第10話

小林の屋敷でザッと孫六兼定の手入れをした貴時は、脇差を右腰に差し、ひたすら走って、甲府山中に入った。


街道で帰るのは時間も掛かるし、目立つ。

そこで斬り合いにでもなったら、町人達に巻き添えが出るかも知れない。


江戸への道を出来るだけショートカットして、一刻も早く、証拠の品を届けなければならないから、出来るだけタイムロスは抑えたい。


そして、矢張りだが、村田達の言った通り、背後から30人程度の殺気を感じ始めた。


左腰の鍔鳴り正宗が騒いでいる。


この正宗は、殺気を察知して、鍔鳴りがすると言われていた。


ー敵のだか、俺のだか分かんねえけどな。たまにはお前を使ってやるよ。


貴時が鍔鳴り正宗を抜いた瞬間、追手が姿を現した。


家臣たちの少し後方に、金ピカの着物の若造が、気味の悪い笑みを浮かべて立っている所を見ると、小林の馬鹿息子の1人と、その一団だろう。


「父上の仇じゃあ!。殺せえ!。」


襲い掛かって来た家臣の1人の首筋に一刀浴びせ、返す刀で背後に回った男の脇を斬り、更に襲って来ていた左前の男には、左手で瞬時に抜いた脇差で心臓を貫く。


「何が仇だ。悲しんでるようには見え無えけどな。」


「そうだな!。金蔓を潰してくれた恨みだな!。」


馬鹿息子は、酷く楽しげにそう言った。


「あんたいい腕だなあ!。敵ながら惚れ惚れするぜ!。」


ー楽しんでいやがるぜ…。家臣が目の前で死んでくのに…。


性根の腐り切った奴だと、吐き気がした。


しかし、貴時は手を休めない。

刃を袖で挟んで、3人毎に血を拭いながら、一刀も浴びずに、無表情に斬り捨てて行く。


貴時が間合いまで来た時、家臣全員が死んでいる状態になって初めて、流石の馬鹿息子も顔色を失くした。


「結構な腕前だって聞いたが、大した事ねえな。所詮、実戦は初めての手習い小僧か。」


馬鹿息子は悔しそうに、真っ赤な顔で何かを怒鳴りながら、貴時に斬り掛かって来たが、それを避けながら腰を落とした貴時に、下段から脇を斬られ、即死で倒れた。


貴時は刀を振り、血を落とした上で、着物で血を拭って、全ての刀を鞘に納めるなり、また走り出す。


ー後70か…。


貴時はそろそろ日も落ちようとしている薄暗い山の中を走りながら、ふと、綺蝶を思い浮かべた。


綺蝶は元は武家の娘だ。

16の時、父母をお役目上の事で亡くし、身寄りも無かった為、芸者になったそうだ。


出会いは宴席では無い。


お役目帰りに夜道を歩いていた時、御座敷帰りの綺蝶と、もう1人の芸者がヤクザ者に絡まれているのを見つけ、助けたのが縁だった。


綺蝶は仲間の芸者を逃し、1人でヤクザ者達に相対しており、その立ち姿が武家の息女その物だった。

持っているのは扇子なのに、短刀に見える迫力で、ヤクザ者達をいなしていた。


ただ、扇子1本では、相手の数が多すぎたのだろう。

1人に腕を取られてしまったので、そこを貴時が助けた。


綺蝶の腕を掴んでいる男の手を捻り、そのまま片手で川に放り投げ、ドス片手に襲い掛かって来た奴は蹴り飛ばして、矢張り川に放り込み、逃げようとしているもう1人の帯を掴んで、やっぱり川に放り込んでしまった。


綺蝶は楽しそうに笑ってから、優雅なお辞儀をして、礼を言った。


「お礼に一杯、如何です?。旦那。」


普段なら断るのだが、貴時は断らなかった。


綺蝶の、この世の穢れなど知らぬかの様な、美しく澄んだ、吸い込まれそうな目を見た時から、貴時は綺蝶に惚れていたのかもしれない。


それからずっと、かれこれ7年程、鈴乃屋で同棲の様な事をしている。


綺蝶は源氏名で、本当の名前は、楓という。

楓という名で呼ぶのは、貴時にしか許さない。


だが、綺蝶は一緒にはなってくれない。


嫁に来いと言っても、『俺はおめえの目の虜なんだよ。』と、貴時にしては精一杯の口説き文句を言っても、身分違いだと断られ続けていた。


「自分だって武家の癖に…。」


気づけば、そんな恨み事の様な台詞を呟いていた。


でも、もしかしたら、武家が嫌なのかもしれないとも思う。


父母の死因となったお役目上の事というのは、貴時も調べたが、少々酷い。


藩主がした、ほんの些細な罪を被り、夫婦揃って自害したのだ。

表向き、罪禍は夫妻にあり、寄って、綺蝶にはなんの援助も、差し伸べる手も無かった。


ー俺の事は好きだが、御家紋は嫌いって言ってた事もあったな…。武家辞めねえ限り、嫁には来ねえか…。


そしてまた殺気だ。


ー20人…。小林の馬鹿息子の残りか…。


貴時は、再び、鍔鳴り正宗を抜いた。




山の中は雪だらけだ。

寒さも相当な物の筈だが、こうして戦いながら三日三晩も走り続けている貴時には、寒さなど感じる暇は無い。


ーもう全部で100は斬ったぜ…。まだ来んのか…。


貴時のカンではまだ来る気がする。


ーなんでだ…。どうして増えている…。




その頃、桐生はこめかみに青筋を立てて、怒りに震えていた。


2日前に到着した風間からの報告を、早速将軍に上申し、直ちに甲州に事態収拾と、貴時救出の為、配下の者を送った。


しかし、問題はその後に起きた。


兼ねてより、谷村藩江戸藩邸には、見張りの忍を潜ませて置いた。


その者の報告に寄れば、この動向を察知した、谷村藩江戸家老平手は、藩主秋元喬知に上申したが、話が決裂し、平手は桐生に相談に行こうとしていた。


その道すがら、刺客に寄って、暗殺された。


喬知と平手の会談の決裂が、暗殺理由だ。


喬知は、早馬を飛ばし、隠密が到着する前に証拠を全て燃やし、証拠を掴んで江戸に急いでいるであろう、貴時を、証拠を出す前に討てと命じた。


平手は、もう遅いここは公儀の心証が少しでも良くなるよう、全てを明るみに出して、公儀に協力すべしと異を唱え、真っ向から対立した。


頭の軽い喬知は、平手を裏切り者と罵り、平手と貴時に刺客を放ったらしい。


それが1日前の事だった。


幸い、早馬などより早い御庭番達なので、現地の証拠隠滅は免れているのだが、問題は貴時だ。


「あの痴れ者大名めがあああああ!!!。」


桐生は、我が子よりも貴時を可愛がっている。


そして風間は貴時を主として、絶対的な信頼を置き、命に代えても守りたいと思っている。


「私を、貴時様の下にお遣わし下さいませ!。」


「そうしたいのは山々であるが…。

風間…。お主、貴時の居場所が分かるか。

あやつが街道を馬で走って帰るなどとという、目立つ戻り方をするとは思えなんだが…。」


「ーはい…。恐らくは甲州の山の中を走って居られるのでは無いかと…。」


「見つけられるか?。」


桐生は庭で膝をついて、傅く風間の前に、足袋のまま出て来て蹲み、風間の目を見て聞いた。


「ーはい。必ずや。」


そう答えた風間の目には、確信を持った、意志の強さがあった。


「よし。頼んだぞ…。平手が一刀でやられたとは、刺客は、なかなかの手練れ…。貴時といえども、疲れもあろうし、てこずるやもしれぬ。」


「はっ。」




貴時は先程斬った、浪人者の衣服や持ち物を調べていた。


ーコイツは今までの奴らと違った…。殺しに長けていやがる…。甲州の奴らじゃねえ…。


吉井もある意味、殺しに長けているだろうが、そういう趣味の殺しを言っているのでは無い。


さっき斬ったこの20人は、明らかに暗殺を生業にしているプロだった。

要するに、稽古だけの鍛錬を積んだ者ではなく、実戦を積んでいる者という事だ。


貴時は浪人の懐から、和紙に包まれた小判5枚を見つけた。


その和紙を見た貴時は、呆れる余り、思わず呟いてしまう。


「馬鹿か…。」


和紙にはご丁寧に、秋元喬知の花押が押されていたのだ。


ー成る程…。どっかから、江戸の馬鹿殿に漏れて、俺の口封じに、金で雇った刺客を放ったって訳か…。

しかし、コイツら、どうやって俺がここを走ってるって分かったんだ…。


しかし、謎は解けなくても、大方の予想はつく。


金で動く刺客を生業としている者達は、情報が命だ。

従って、ある程度の情報網を持っている上、人探しの術は全て身に付けている。


ある意味、忍のスキルに近い。

足跡や、血の匂い、遠くで聞こえる足音や刀が交わる音、そういった物に鋭敏に反応する。


ー要するに、嗅ぎ付かれたって事だな…。う〜ん…。キリが無えな…。


少々嫌気が差して来てしまった貴時は、空を見上げた。


満月の月が、煌々と山の中を照らしている。


貴時は奥歯を噛み締め、また不機嫌な無表情になった。


ーよりに寄って満月かよ…。


甲州に出立する日の朝、楓は武家の妻のように、三つ指着いて、笑顔で送り出してくれた。


「お帰りをお待ちしてますよ。また無事に帰って来て下さいね。」


照れてしまった貴時は、いつもの様に軽く返してしまった。


「おう。ちょいと行って来るぜ。」


と…。


もう少し何か言えば良かったと、今更思う。


ー帰れっかなあ…。


溜息混じりに満月を睨んで、また闇を見据えて走り出す。

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