第8話

貴時は、忍達が散ると、直ぐに玄庵にも立ち去る様に言い渡し、城へ向かった。


「お蓉の方様に、火急のお知らせこれあり。即刻御目通り願いたい。」


お蓉の方の部屋の前に片膝着き、そう言上したものの、お蓉の方の返事がなかなか返って来ない。


「お方様、伊達でございます…。」


再度声を掛けた貴時は、背筋が凍る様な殺気を覚えた。

こんな殺気は、かなりの修羅場を潜って来た貴時でも感じた事が無い、異様な不気味さを伴っていた。


ー妖刀か…?。


貴時がそう思った瞬間の事だった。

障子を異様な殺気を放つ刀が突き刺し、貴時は抜刀しながら飛び退いた。


「吉井か…。」


障子は、その一刀で庭先に飛んで行き、刀を手にした吉井が現れた。


恍惚としたとも言える様な、この世を見ていない様な目をした吉井は、貴時を見て、ニヤリと笑い、お蓉の方に向かって、刀を振り上げた。


貴時はサッと身を翻し、お蓉の方の前に回り込んだ。


吉井の刀からは、どす黒い紫色をした妖気の様な物が出ており、吉井は刀に動かされている様な、奇妙な動き方をして、お蓉の方目掛けて刀を振り下ろした。

寸手のところで、貴時が刀でそれを受けたが、恐ろしい力だ。


ー確かにこれは、吉井の力じゃねえな…。太刀筋も読めねえ…。


なんとか剣圧でその刀毎、吉井を後方に飛ばすと、呆然としていたお蓉の方が、漸く正気を取り戻して叫んでくれた。


「曲者!。吉井が乱心じゃ!と、捕えよ!。」


しかし吉井はニヤリと不気味な笑みを漏らして、刀に引っ張られ、飛んで行くかの様に逃げ去ってしまった。




「そうであったか…。わらわも愚かな事よ…。」


吉井について、判明した事を説明すると、お蓉の方は、涙ぐみながら、貴時から顔を背けた。


「吉井はどうやって貴女様に近付いたのですか。」


「源吾が、初登城した日じゃ。

わらわは、江戸城ではそれとのう、邪険にされておってのう…。

父上は子沢山なうえ、女子ばかり。

今度こそ男と思うたのに、また女子のわらわ。

落胆したまま、父上は元より、皆にも母上にも、邪険にされておったのじゃ。」


確かに、お蓉の方は、他の姉妹に比べて、殊の外ゾンザイに扱われていた。


将軍に女子が産まれるというのは、実はとても厄介なのだ。


置いておいては、江戸城の財政が逼迫するので、嫁に出すのだが、その嫁ぎ先も、非常に迷惑をする。

どんな御面相、どんな性悪であろうとも、崇め奉り、迎えねばならない。

その上、迎え入れた藩は、江戸城に居た時と変わらぬ贅沢をさせねばならない。


将軍家の御息女だからだ。


勿論、幕府から手当て金など、出ないに等しい。


それで財政が傾く藩もある位で、多大な迷惑を被る為、相当嫌がられ、陰では忌み嫌われる。


そんなだから、上手い事を言って、断る藩も多い。


だから、江戸も後半に差し掛かると、姫が産まれるというのは、祝い事ではなく、ただ迷惑なだけであった。


それが、お蓉の方の時は姉が4人居た上だから、いい加減にしてくれという重臣達の叫びが、態度に現れてしまったのかもしれない。


思えば可哀想なお人だと、貴時も思った。


「好きで女子にお産まれになった訳でもなく…。お辛かったでしょうな…。」


「左様。そんな折じゃった。源吾が庭に1人で居るわらわに優しく声を掛けてくれたのは。

わらわは直ぐに源吾を気に入ってしもうた。

そして、そのまま奥に入れた。」


お蓉の方が居たのは、大奥の奥の奥で、お側女中でも滅多に行かない様な場所にあった。


男を引き込んだとしても、バレないし、そんな境遇だから、バレても誰も気にしない。


吉井が、何故お蓉の方の境遇を見抜けたのかは分からない。

だが、吉井は上手くお蓉の方の心の隙間に入り込み、隠れ家まで得た。


「そして、わらわの境遇を泣いてくれた。男上位の世の中が悪いと…。そして2人で考えたのじゃ。

弟を殺して、女将軍になろうと…。」


「お2人で…でございますか?。」


そこで、お蓉の方は、ふと真顔になり、考え込んだ。


「ー先に申したは…、源吾であったかもしれぬ…。しかし、わらわもそれは妙案じゃと率先してしもうたのだから、同じ事であろう?。」


「ー吉井は、お方様のお寂しいお心を上手く利用したのですよ。庇い立てなさる必要はありません。」


「ーそうじゃのう…。」


お蓉の方は、息をつくように、寂しげな口調で返した。


「ーまあ、源吾の言う通りに進めておったが、結局、桐生に見つかり、こうなった訳じゃが…。これも策の内であったのかのう?。伊達。」


「はい。恐らくは。

上様に、お方様を甲州へと進言したのも、吉井かと思われますが、手段がまだ分かっておりません。」


「わらわもよく分からぬが…。あの頃、源吾は夜更けに居ない事があったのう…。今思えば、弟の部屋の香の香りがした気がするが…。

上様も籠絡して、わらわを甲州に行かせる様にしたのかのう。」


「ー私もそう推察しております…。」


「伊達、わらわの事、上様に申し上げるか?。」


貴時は、お蓉の方の目を、じっと見詰めた。

見られたお蓉の方は、全てを見透かされるようで、恐ろしくなり、不本意ながらも震えてしまっている。


「お方様は、まだ女将軍におなりあそばされたいのですか。」


「実は、どうでも良いのじゃ…。源吾さえ居てくれればそれで良かった…。ここに来てからは特にな…。」


「お方様はこれからどうなさるおつもりですか。」


「出来る事なら、尼になり、源吾が殺めた者達を弔いたく思う…。」


「そうですか…。」


お蓉の方の言葉に嘘は無いと、貴時はその目を見て確信した。

だが、その最終判断は桐生がする事であり、貴時がすべき範疇を超えている。


「その様に桐生様にはお伝えしておきます。上様に申し上げるか否かは、私には出来ませぬが、お方様のお気持ちは、真実だと思っております。その様に桐生様にも申します。」


「忝い…。」


「しからば、私はこれにて失礼致します。」


貴時は寸暇を惜しむ様に、直ぐに立ち上がった。


「どこへ行くのじゃ?。江戸に戻るのか?。」


「最終的には。しかし、あの状態の吉井は、野放しに出来ませぬ。吉井を追います。」


今まで情を交わし、信頼しきっていた吉井に、尋常ならざる状態で、刀を向けられたばかりのお蓉の方は、辛そうに目を伏せ、貴時を労る様に、哀しい声で言った。


「ーもう人では無い故…。呉々も気をつけてのう…。」


貴時は、その様子を悲しそうな目で見ると、何も言わずに、柳井の屋敷に戻った。




貴時は、愛用の刀である、孫六兼定の一振りの手入れを確認すると、脇差を鍔鳴りのする正宗に交換し、長刀を二本差しにして、脇差を背負った状態で旅装をし、柳井に挨拶をしようとしたが、母屋がやけに騒がしい。


「伊達様!?。」


駆け寄って来た柳井は、貴時の旅支度を見て、尚更慌てている。


「なんかあったのかい、柳井さん。」


「お立ちになるのですか!?。」


「ちょいとヤベエ奴が逃げ出したんでな。辻斬りだ。追って、そのまま江戸帰る。

世話になったと、奥方にも礼を言いたかったんだが…。お留守なのかい?。」


「それが!。こ…これを!。」


柳井が見せた文は、家老からの物だった。


ー奥方はお預かりし候。無事に返して欲しくば、そちらに住まいし、伊達貴時殿を差し出されよ。小林義興ー


貴時は思わず舌打ちをしてしまった。


家老は恐らく、貴時が隠密である事も、家老の悪事を掴んだのも、勘付いたのだ。


だから、貴時の1番痛い所を突いて来たのだろう。

柳井が貴時を信頼し、仲良くなっていたのは、誰の目にも明らかだった。


「あのクソ家老…。どこまでも汚えな…。」


「伊達様…!。私は神命に誓って、左様な事は…!。」


「いや。俺行って来る。」


「は!?。」


「いいから。柳井さんはここで、奥方の帰り待ってな。んじゃ、ちょいと行って来るぜ。」


丸で、酒を買って来ると言うのと同じトーンで、軽く言って、貴時は1人で出て行こうとしたが、ふと足を止めて、振り返って、柳井を見た。


そして、問答無用の圧を込めて、その迫力だけで、柳井も黙ってしまう様な気迫で言い含めた。


「誰も来んなよ?。

あのジジイ、危険極まりねえ事やってっからな?。

おいそれと入ったら、どんな目に遭うか分かんねえからな。いいな?。

それから、この後、この藩は多分失くなる。

困った事があったら、深川の鈴乃屋って芸者置き屋に来てくれ。夜なら大体居る。」


そして、いつもの人をたらし込んでしまう様な、柔らかい笑顔になった。


「じゃ。ほんと世話んなった。またな。」

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