第6話
翌朝、貴時が城へ行くと、凄まじく酒臭い真吾が、待ちかねていた様に、貴時が部屋に入るなり、喋りだした。
「国家老小林様と吉井様は、本当に仲がお悪い様です。
そもそも、小林様のお蓉の方様嫌いは、あからさまで有名。
表立って、毛嫌いされたり、金費いが荒いなどと仰るので、ご立腹された吉井様が刀を抜き掛けた事もあるとの事で。」
「ふーん。演技でなく?」
「ない様です。一応、城内での刃傷沙汰はご法度となっておりますから。お蓉の方様の仲裁で事無きを得たと。」
「成る程ね。他にもあんのかい?」
「はい。お蓉の方様はお側衆を抱えていて、お化粧代はそれに消えているらしいという噂でした。」
「お側衆?忍かい。」
「はい。怪しい輩がしょっ中出入りしていると。」
「へえ…。成る程。それから?」
「片桐様でございますが、大変真面目な賢いお方で、皆、悲しんでおりました。やはり、平手様の見込んだ方でございます。」
「うん。」
「ご夫婦仲もお宜しく、お子はありませんでしたが、お幸せだったそうで。」
「成る程。」
「しかし、出奔の半月前からは上の空で、大変様子がおかしかったと。」
「うーん、その訳を知りてえんだがな。片桐さんと仲良い奴は居なかったのかい。」
「それが、片桐様は、江戸から来られた方ですから。
ここの土地はよくご存知なく、そして、小林様に目をつけられていたとかで、皆、小林様を怖がって、なかなかご友人も出来なかった様でございます。」
「平手さんの密偵だと思われてたのか。」
「その様な所ではないでしょうか。」
「そうかい。他には?」
「ーええっと…。これ位でございます…。」
真吾が意気消沈してしまった。
貴時は慌てて取りなす。
「いいんだ、いいんだ。上出来だ。ごめんな。ありがとな。お蓉の方のお抱え忍ってのは、かなりの収穫だぜ。」
貴時が席を立とうとすると、黙っていた高杉が急に言った。
「片桐様の親しい友人ですが。」
「うん。」
「城内には居らぬ様でしたが、研ぎ師で懇意にしている者がいた様だと、チラッと聞きました。」
「研ぎ師。」
「はい。何処だかは分かりませぬが、小さな藩でございます。そう何軒もはありませぬ。」
「知ってる?」
「いえ。」
「だよな。ちょっと行って来る。」
「我らは何を…。」
高杉に聞かれ、貴時はあらん方を見やり、そして、目を合わせずに高笑いした。
「算盤弾いてるフリでもしててくれ。昼飯時になったら、また話を聞きに行く。それで頼む。」
困っていそうな2人を置いて、貴時は柳井に聞いた一軒の研ぎ師の元へ向かった。
「邪魔するぜ。」
暖簾を潜ると、店主らしき男が顔を上げて、貴時を見て笑った。
「江戸から来たお偉いさんですかい。町中の噂ですぜ。色男のお役人が来て、毎晩、女は買わずに酒買って帰るって。」
「飲兵衛が町中にバレてんのかい。怖えな、田舎は。」
「へえ。その通りでさあ。」
「お前さん、江戸の人間かい。」
「へえ。流れモンでござんすよ。お腰の物ですかい?」
「いや、ごめん。これは自分でやってっからいいんだ。今日は話を聞かせにもらいに来た。」
「なんです。」
「亡くなった片桐さんの事をね。」
店主の研ぎ師の顔が暗くなった。
「あの方はね…。今時珍しく、刀は命とお思いなさる、立派なお武家様でござんしたよ…。」
「その人の死が無駄にならんように探ってる。なんでもいいから聞いた事を聞かせてくれねえかい。」
「ーどうぞ、奥へ…。」
店主は、仕事の手を休め、貴時を奥の小さな座敷に通し、湯気の出ている薬罐から湯を出して勧めた。
「すみませんね、こんなもんしか無くて。」
「いや、有難い。冷えちまったから助かるぜ。」
店主は白湯を美味そうに啜る貴時を見て微笑んだ。
「お役人様もいいお人のようだ。」
「そうかい?」
「役人には見えないけどね。」
「だろうな。よく言われる。」
「裏地が粹過ぎだぜ。」
店主は袖口から見える、貴時の着物の裏側を見て笑っていた。
表側は絹織物で出来た地味な墨染めなのに、裏地がしんくをバックにした風神雷神である。
「ただの大酒飲みの穀潰しなんだよ。」
「そうとも見えねえけどね。そのお腰の物、相当手入れなさってる。」
「まあまあ、俺の事はいいからさ。」
「はいはい。」
「片桐さんからなんか聞いたかい?」
「へえ…。しかし、ハッキリとは…。」
「うん。なんでも良いんだ。」
「人を意のままに操る薬なんか出来るのだろうかと仰ったんで、南蛮渡来の薬なら、そんな物もあるかも知れませんねと申しました。
どうしてそんな事をとお聞きすると、ご家老がその様な薬を密かに作り、村の娘で実験している様なんだと。」
「成る程な…。やっぱそっちは掴んでいた訳か…。そんで?」
「それは片桐様がご存知なのを誰かに知られたら、命取られますよと申しますと頷いて、どの道、これを相談できる人間はここには居ないと。」
「上役の吉井さんの事はなんか言ってたかい。」
「それが、何人もの顔を持つ男だと。」
「何人もの顔?」
「はあ。あっしも、とんと分かりませんで。だから信用ならねえと。」
「うーん…。そっかあ…。」
「吉井様って方と関係があるのか分かりやせんが、ご家老なんて小物だったなと仰った事がありやすぜ。」
「小物。てえ事は、もっと大物の悪が居たって事だよな。」
「へえ。あっしもそう申しました。そしたら、城の奥深くに住んでいるとだけ仰って、払いを済ませた後、これを…。」
店主は、戸棚から綿の風呂敷に包まれた、15センチ四方の箱を出した。
「江戸から離れたこの地へ来て、あっしと話す一時だけが、楽しかった。世話になったなと丸で長の別れの様に仰って…。」
「見て良いかい?」
「はい…。」
箱の中身は焼きのいい、薄い盃だった。
「なんだか今思うとそれも、死を覚悟なすっての事かと思いましてね…。」
店主が涙ぐみながら鼻をすすった。
「ーだろうな…。出陣する気分で江戸へ発ったのかもしれねえ…。」
死を覚悟して、藩の秘密を江戸家老平手に届けようとした。
この秘密は、やはり相当なもので、片桐の命を奪ったのも、国家老小林ではなく、そっちではないかという気がした。
お蓉の方には早々近付けないが、忍の風間が探ってくれている。
後は、吉井だ。
何人もの顔を持つ男というのは、どういう事なのか。
貴時は背中にうすら寒い物を感じていた。
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