第4話

翌日、桜井が意気揚々と酒瓶を携えて、朝から挨拶に来た。


貴時は今日は遅れて行くと言って、柳井に先に行かせ、そのまま桜井を離れに通した。


「宜しいのですか。お仕事は。」


「どうせ、今日も足止め仕事だろう。昨日の一件で懲りて、更につまんねえ書類の山が出来てるぜ。」


「はあ…。しかし、この度は誠に有難うございました。

お陰で、拙者、奉行になる事が決まり申した。そのご報告も致したく、朝から申し訳ござりませぬ。」


「そう堅っ苦しくなんなよ。そらご出世だ。良かったね。」


貴時の噓偽りの無い笑顔に、漸く桜井の緊張もほぐれたらしく、桜井も少し笑った。


「そんじゃあ、梶原は?」


「今の所、城の牢屋に入れられております。切腹となるのではないかと。」


「そう…。家族の事考えると、ちょっと申し訳ねえ感じもするがな…。」


「その家族でございますが…。」


「ん?」


「消えましてございます。」


「子供6人に女房と爺さん、婆さんがかい?」


「はい。梶原は、ご家老が連れて行ったのだと泣き喚いておりましたが、そうだとすれば、話をしたら皆殺しにされると思ったのでしょう。急に口をつぐみましたが…。」


「もう遅えやな。」


「はい。吉井様には、伊達様がお聞き下さった、娘達の一件や、ご家老のお宅の様子などは、当方も話しておりませぬが。」


「その方がいい。あんたも知ったと知られたら、あの娘達と同じ目に遭わされるか、殺される。」


「ーはい…。」


「乳鉢でする音を梶原は聞いた。

娘達の一様に異様な様子からも、薬を作ってんのは間違いなさそうだが、そんな薬を作って、娘達に飲ませて、何がしてえのかだよ。

地下の規模から行って、かなりの金がかかってる…。

こいつはヤバイ。もうあんたは関わるな。後は俺がやる。」


「いや、お手伝いさせて下さい!」


貴時は、笑顔だが、強い口調で断った。


「そいつはいけねえ。絶対駄目だ。江戸から助っ人も来るし、俺は慣れてる。気にしない。」


「いや、しかし、お一人では!」


「いいから。ほら、早く帰んな。もうここへも来んなよ?」




それから貴時が城へ出ると、意外な事に、書類攻めは無かった。

逆に、今度は暇攻めなのか、全く仕事が無い。

どこへ行っても、体良く追い出される。


「申し訳ございません…。」


様子を見に来た柳井に話すと、本当に申し訳無さそうに頭を下げた。


「いいんだよ。却って都合がいいさ。本業の勘定方に行ってみる。吉井さんには貸しがあるしな。」




貴時がひょっこり勘定方の部屋に顔を出すと、吉井は笑顔を見せる訳でもなく、かといって感じが悪いという事もないという、要するに、何を思っているのか分からない表情で貴時に応対した。


「どこへ手伝いに行っても要らねえと言われましてね。ここで手伝わせて貰えませんか。」


「ーどうぞ。構いませんよ。」


そして貴時はウンウン唸りながら、そろばんを弾いている2人を見つけた。

あの、道中でおにぎりをくれた、台所侍2人である。


「なんだい、随分遅えな。」


2人は顔を上げると、貴時を見て、ホッとした顔を見せた。


「吉井さん、俺、あの2人には世話になったんだ。」


「そうですか…。ちょっと宜しいか。」


吉井は、貴時の側に寄り、小声で言った。


「あの2人、江戸家老様からの文では、勘定方でずっと働いていたとあるのですが、それにしては、算術も心許なく…。

ここで今、1番困っている事というと、実は、彼らの面倒なのです。こんな仕事を押し付けて申し訳ないのですが、お引き受け頂けると、大変有り難い。」


それは貴時にとっては、もってこいの依頼だった。


正直、あの2人が台所侍である事は、貴時も分かっているし、調査という面では、戦力としては考えていない。

しかし、あの2人の目的は今の所一緒だし、なんらかの形では使えるだろう。

それに側に居れば守りようもある。


「いいですよ。」


「ではあちらのお部屋をお使い下さい。ここにある物は全てご覧頂いて結構です。過去の帳簿は全て、隣の部屋にございます。鍵が掛かっておりますので、一言仰って下されば、鍵はお渡し致しましょう。」




「ああ、良かった…。助かった…。」


小部屋に入ると、高杉一明と、川端真吾は、大息を吐いて、苦笑した。


「もう算盤は弾かなくていいぜ。だが、頼みがある。」


「なんです。」


「あんたら、国家老の悪事を調べに来させられたんだろ?」


2人は真っ青になって固まって言葉も出ない。

刀に手をかけたものの、その手もガタガタと震え、今にも鍔鳴りがしそうだ。

貴時は笑い出した。


「抜かねえ方がいいと思うがな。俺は一応、斎藤道場の免許皆伝なんだが。」


「さっ…斎藤道場の!?」


斎藤道場といえば、江戸では1番と言われる道場だ。

師範代クラスでも、他の道場の主と同等、或いはそれ以上と言われている。

台所の2人でも知っているくらいなのだから、江戸の侍で知らぬ者は無いだろう。

その道場の免許皆伝などと言ったら、相当な使い手である事は間違いない。

刀を抜いた瞬間に命は無いかもしれない。


「それは置いといて。俺もそれを調べてる。」


固まったままの真吾の横で、一明がなんとか口を開いた。


「この藩を取り潰されるおつもりか…。」


「それは俺が決める事じゃねえ。」


「だが、幕府に上申されたら、そういう事になるのではありませぬか。その前に我らは証拠を掴んで、平手様に…。」


「平手さんに言って、揉み消して、お取り潰しを免れると。

まあ、それが自力で出来りゃ、そうするに越した事は無えよ。

だから、その邪魔はしねえ。

俺が調べた事も全部、お前さん方が先に平手さんに知らせていいよ。どうだい。」


確かに、このままでは、何も調べられないし、そもそもどうやって何を調べたらいいのかもわからなかった2人にとっては、これしか道は無いようにも思えた。


それに、この伊達貴時という男は、嘘をついて騙す男には、どうしても見えないのだ。


幕府の役人のくせに、気取った所が少しも無く、目付きが鋭いのを除けば、優しげで、人懐っこい感じがするからなのかもしれないが、兎も角、気がつくと好感を持ってしまう男だった。


2人は顔を見合わせ、二言三言相談した後、仲良く頷いた。


「あのね、ここの奉行の吉井さんて人と家老は、仲悪いんだってよ。」


「はあ…。」


「つまり。家老が藩の金を横領するってのは、勘定奉行と結託しなきゃ出来ねえだろ?。

だから、仲悪いのが本当なのか、嘘なのかってのを調べて欲しいのが1つ。」


「そんなのどうやって…。」


「まあ、それは後。俺は結託して、家老に金が流れてるか徹底的に調べてみる。ただ、だとしたら、吉井は俺をここには入れないとは思うから、本当は結託してるって線は薄いとは思うがな。」


「では、横領の件はどうなりますか。片桐殿が命を懸けて知らせてくれた…。」


「詳細が書いてあったのかい?」


「いえ。ただ、横領の疑いありと。」


「うーん。そりゃ、家老の金回りが異様にいいからじゃねえのか。」


「そうなのですか…。」


「なかなかにな。その理由を探りてえ。

多分、ろくな事はやってねえからな。

こっちで調べた事は、あんたらにも教えてやるから、先ず、2人の仲、事、なんでもいいから、あいつらに関する事を探ってくれ。」


「ーと申されますと…。」


矢張り話をしているのは、高杉の方で、真吾の方は、ぼんやりという形容が相応しい様な顔で、他人事のような緊迫感の無さである。


貴時は真吾の顔を見ると、真意を探るかの様に真剣に目を覗き込んだ。


「おめえさん…。なかった事にしてえ人?」


図星を指された様子で、真吾は目を見開いて、真っ青になって硬直した。


「あ…!いや、あの…!」


「でも、高杉さんだけに任せとく訳に行かねえだろ?おめえさんだって、お役目果たさねえと。」


「はあ、それはそうなのですが…。手前、台所から出た事がございませんで…。」


「分かってるよ。だから、そんな難しい事は言わねえ。あんたら位の下っ端と仲良くなって、雑談してりゃいいんだ。

なんでもいい。

吉井、家老、お蓉の方に関する事、それから死んだ片桐さんの事もな。

なんでもいいから。そこから分かった事を教えてくれりゃあいい。」


「雑談…。」


「そう。あんた酒は強い?」


「はい。」


「じゃあ、お近づきの印にってさ。酒の席なら舌の滑りもいい。」


真吾は漸くホッとした様に微笑んだ。


「それ位でしたら。」


「じゃあ、頼んだぜ。美味いつまみもありゃ、なお会話も弾む。おめえさん達の得意技だろ。」




貴時は例によって、また昼も食べず、心配した柳井が用意してくれた握り飯を口に入れながら重箱の隅をほじくり返す様に、過去から現在までの帳簿を調べたが、不審な点は1つも無かった。


ただ、お蓉の方への出費は確かに多い。


お化粧代、お着物代としか書かれていないが、藩の財政をかなり圧迫しているのは確かで、これは家老でなくても、眉を顰めたくなる額だ。


将軍から小遣いの様な物は出ているが、それの10倍は掛かっている。


貴時は、台帳にある呉服屋などの領収書の額と照らし合せてみた。


ところが、合わない。


呉服屋の領収書に書かれている額を全て合せても、年間のお蓉の方に掛かる金額の方が、遥かに多いのだ。

寧ろ、領収書の額から行ったら、かなり慎ましい生活を送っている筈だった。


ーなんだこれは…。何に使ってる…。


お蓉の方との会見を思い出す。


お蓉の方の部屋も、お蓉の方自身も、金を掛けている様子は全く見られなかった。


恐らく、この領収書に嘘は無い。


貴時の脳裏に、お蓉の方が輿入れ前に企んだ、女将軍計画がまた浮かび上がった。


ーまたやらかそうってのか…。次は無えって、あんだけ言ったのに…。


次にやったら、お蓉の方の命は無い。

剃髪などという生温い措置は取らないと、将軍自ら言い含めた筈だ。


貴時は暗い気分で、部屋を出た。


「お調べ物はお済みですか。」


勘定方の大部屋には、吉井しかいなかった。


「すみません。つい夢中になって…。お待ち頂いてしまいましたか。」


「いえ。私も仕事が残っておりましたので。では帰りましょうか。」


一緒に城を出ながら、寒風に身を縮めた。

江戸ではまだ過ごしやすい秋でも、この地域の秋は江戸の冬に近い。

増して、日はとっぷりと暮れている。


「寒いでしょう。私もなかなか慣れませんでした。」


「どちらからお見えになったんんです。」


「江戸です。」


「へえ。同じだ。」


「はい。」


吉井は仮面の様な顔で笑った。


仮面と思ったのは、目が全く笑って居らず、寧ろ、貴時を警戒心丸出しの目で見ていたからだ。


それにこの男、江戸から来たと言ったが、それだと逆に正体不明になる。


吉井は江戸屋敷から来たのではないのは分かっている。

お蓉の方が連れて来たとしか分かっていない。


どこかの藩の人間ならまだしも、江戸と言ったら、どこかの藩の江戸屋敷詰めか、江戸城の人間としか考えられない。


あとは浪人者だが、浪人者がいきなりお蓉の方の目に留まるという可能性はゼロである。


でも、奥祐筆の調査では、それのどこにも属していない男なのだ。


「江戸のどちらから?俺は深川なんですが。」


「まあ、私の話はいいじゃありませんか。ところで、伊達様は何をお調べに?」


矢張り、話を逸らして来た。


「いえ。こちらの国家老が横領しているのではないかという噂が耳に入りまして。お前行って調べて来いと。」


「ほお。それで?」


「全く横領の余地はありませんね。吉井さん、しっかり管理されてます。」


「そうですね。藩の金子(きんす)には手をつけていなくても、やけに羽振りがいいのは、私も気になっておりまして、それでそういった噂が流れたのかもしれませんな。」


「女好きという話も聞きましたが。家臣の妻を差し出せとか。」


吉井の表情がまた能面に戻った。


「片桐のご妻女の件ですね…。片桐には本当に可哀想な事をしました…。」


「江戸屋敷で息絶えた片桐さんは、勘定方の方でしたね。ご存知でしたか。」


「ええ。仕事の出来る、良い男でした。しかし、彼はご家老の何かを掴んだ様なのです。それで、ご家老に、これ以上詮索するのなら、ご妻女を取るぞと言われたんですね。」


「ん?」


「はい?」


「あなたに報告は無かったんですか。その何かの。」


「ええ。だったら私に報告して、明るみに出そうと言ったのですが、何故か言ってくれませんでした。」


「ーだって、あなたの汚職じゃねえんだろ?なんで相談しねえんだい。」


「分かりません。信用して貰えていなかったのでしょうか…。」


そう言いながら、吉井の表情は変わらない。

辛そうでもなんでもないのだ。


ーこいつ、片桐の死に関わってんじゃねえのか…。


貴時は直感的にそう感じた。


「それで…。黙ったまんま、ご妻女連れて脱藩したんですか。」


「はい…。」


「ツー事は、勘定方で分かる事で、それが分かったって事ですね?」


「私もそう思い、調べているのですが、なかなか見つかりません。」


「責任者のあなたでも見つからねえもんを、ヒラの片桐さんが見つけた?」


「ーもしかしたら、たまたまかもしれません。勘定方ではなく。」


「てえと?」


「片桐のご妻女は、ご家老のお宅に請われて、お手伝いに行かれていた様なのです。家が隣でしたから。

ですから、ご家老のお宅で、ご妻女が何か見られたのかもと…。」


「なるほどね…。で、女好きの話に戻りますが。」


「ああ、あれは片桐のご妻女の一件で噂になって広がったのです。

村の娘が行方知れずなのも、ご家老が囲い者にしているのではないかと、尾ひれがついて…。

何せ、田舎ですから。噂位しか楽しみが無い様で。」


吉井は珍しく感情を見せた。

酷く憎々しげで、小馬鹿にした様子が見て取れた。

田舎の人間も、この藩の事も、かなり下に見て、馬鹿にしているのが分かる。


「そんなもんでしょうねえ。」


正直言えば、貴時も田舎も田舎の人間も、好きではない。

別に馬鹿にする気は無いが、感覚の違いで、とても疲れる。


だが、この憎しみはなんだろうか。

しかも、何を聞いても、能面の様な顔を崩さない男が、初めて感情を露わにする位である。


ーこいつの事、調べさせねえとだな…。


貴時は吉井と別れた後、雑木林に入った。

入ると直ぐに忍の風間がどこからともなく現れ、貴時の前に傅いた。


「吉井、徹底的に調べてくれ。」


「そう仰るだろうと、桐生様からのご命令で、調べてございます。」


「ありがとよ。助かるぜ。」


貴時が苦笑しながら風間の前に座り込み、キセルをふかし始めると、風間はいつも通り、静かに報告し始めた。


「吉井源五。元はこの地の貧農の末っ子でございました。」


「そうなの!?」


「はい。それが子供の頃は大層可愛らしかったそうで、親は金欲しさに、寺に稚児として売りつけたそうで。」


「ー坊主の慰みもんかい…。」


「はい。それだけではなく、その坊主は身売りまでさせておりました。ところが、成長するに従って、並み程度の顔になり、坊主に捨てられた。」


「酷えな…。」


「まことに。そして、江戸に逃げた様でございます。そこで、浪人者の吉井又兵衛とその妻に拾われ、養子に。」


「ほおほお。」


「ところが、吉井夫婦は、相次いで流行病で亡くなり。」


「ついてねえなあ…。」


「その様でございますな。しかし、その後はまあまあでございます。吉井にとってはですが。」


「へえ。」


「寺子屋の外で必死に勉強している吉井を寺子屋の主が拾いました。

そして吉井が大層頭が良いので、これは勿体無いと、寺子屋の主、近藤将右衛門が奔走。

江戸城に仕官が叶いました。」


「ええ!?俺、あいつ、知らねえよ!?」


「無理もございません。桐生様でさえご存知ありませんでしたから。仕官し、勘定方で仕事したのは、たった1日。」


「まさか…。」


「はい。その後は、お蓉の方様に囲われ、誰も把握出来ない状態に。

例の一件の時はお蓉の方様が上手く逃し、お咎め無しでございます。

誰も、奴を知りませんでしたが、奴の立ち回りで、前回の計画も運んだと思われます。」


「はーん…。こりゃあ、大変だ。」


「はい。何せ、証拠を隠すのが殊の外上手い。桐生様の追求も逃すのですから。」


「ほんとだな…。」


「あ、貴時様。」


「ん?」


「急ぎお屋敷に帰られた方が。」


「ーえ?なんで?俺、今夜の酒買ってかねえと。」


「いえ、あの、玄庵様がそろそろお着きではないかと思いますので…。」


それを聞いた瞬間、貴時は目を見開いて、血相を変えて袴の汚れも払わずに、駆け出した。




貴時と風間の予想通り、柳井家の玄関では騒動が起きていた。

奥方と子ども達は抱き合って、固まって震え上がり、柳井は刀を構えて真っ青な顔で、非常に怪しげで、タンスの様な荷物を背負った小汚い中年オヤジに相対していた。


「だからあ!俺は物売りでも無えし、怪しい奴でも無えっつーんだよ!。

貴時の野郎に用があって、遥々江戸からやって来たってえんだ!。

これが甲州の客の迎え方かあ!。

ったくとんでもねえ田舎だぜ!」


「貴様、乞食の分際で、侍を愚弄する気か!」


貴時が2人の間に飛び込みながら叫ぶ。


「ごめん!柳井さん!ちょっと待ってくんな!。

こいつは本当に俺の客人なんだ!」


柳井は驚いた顔で固まってしまった。


「は…。ま、まことでございますか…。」


「ほんと、ほんと。ごめんな、奥方も子ども達も…。こんな怪しいなりしてるが、これでも医者なんだよ、こいつ。」


「い…医者ああ!?」


柳井は今一度、玄庵を上から下までじっくりと見つめた。


しかし、矢張り、医者には見えない。


髪は髷も結わずにボサボサと伸ばし放題で、癖っ毛の剛毛なのか、横に凄まじい勢いで広がっているし、ヒゲもなんの手入れもせずに、伸ばし放題で、そこらじゅうに飯粒などの食べ物が付いている。

顔は真っ黒。

痩せ細り、目だけがギョロギョロと血走っている。

着物はどこで売っているのだろうかという般若の面が柄としてあしらわれた着流しを着て、その上から、寒いと思ったからなのか、布団の様に分厚いドテラを着ている。

その上から帯を締めていて、何故か脇差だけ差しているのだが、その脇差もヤクザが持つ様な派手な物で、刀の鞘は象牙で、一面に彫り物がしてある。

そして、小柄な玄庵の身長の4分の3はあろうかという大きなタンスの様な物を背負っているのだから、乞食の物売りと勘違いするのも、怪しい奴と勘違いする気持ちもよく分かる。


「ごめん。ほんとごめん。」


本当に申し訳なさそうに謝った後は、鬼の形相で振り返って、怒鳴りつけた。


「玄庵!」


「あんだよ!来てやったのに!」


「早えんだよ!」


「馬飛ばして来てやったんだろうが!」


「そんなもん背負ったままか!?馬死んじまうだろうが!」


「こんなもん背負ったまんま甲州くんだりまで歩ってこられっかあ!

俺の方が死んじまうわ!。

だから10頭乗り換えたよ!」


「ああ、もう…。いいから入れ…。って柳井さん、入れていい…?」


本音を言えば断りたい柳井だったが、貴時の客人と聞いては断れない。


渋々頷き、貴時は申し訳なさそうに、離れに玄庵を連れて行った。


「全くもう…。

普通の人は、そのカッコだけで驚いちまうんだよ。

ここは江戸じゃねえんだぜ。

お前みてえなカブイタ奴なんか居ねえの。

もう少しなんとかしてから、ここ連れて来ようと思ったのに、早すぎだぜ。」


貴時は一日中仕事漬けの上、いきなりの全力疾走で、精神的に疲れていた。


玄庵に座る様に適当な場所を指差すと、自分はドサッと畳に横になり、キセルをふかし出した。


玄庵は貴時の疲れ果てた様子など、全く気にも止めず、目を輝かせ、身を乗り出して早速言い出す。


「早く患者に会わしてくんな。」


「明日にしろよ。こんな夜更けに行けねえだろ。」


「治療に時間は関係無えだろ。」


「治療なんかしねえくせに。調べてえだけだろ。」


「貴時〜!頼むぜ、おい〜!」


貴時が背中を向けてしまった時、バタバタと母屋から忙しなく走ってくる音が2人分し始めた。

貴時が起き上がると、挨拶もそこそこに櫻井と柳井が飛び込んで来た。


「どしたい。」


櫻井は一瞬玄庵にぎょっとしたものの、直ぐに切迫した様子で答えた。


「伊達様!あの娘達が!」


「お袖達がどうした。」


「全員、死にましてございます…。」


「いつ!?」


「たった今…。惣田権兵衛が参りまして…。他の娘達も同時刻に…。」


「ー直ぐ行く。玄庵。」


「待ってました。」


待ってましたと嬉しげに言う玄庵を一睨みし、貴時は休む間も無くまた屋敷を出た。

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