第3話
桜井の案内で、惣田権兵衛の屋敷に着くと、権兵衛は一瞬、警戒した様な強張った表情を見せた。
「権兵衛さん。俺は幕府から来てる。つまり、ここの殿様にだって物申せる立場だ。誰に口止めされたのか、話しちゃくれねえかい。」
権兵衛は暫くの間黙っていた。
その間、貴時の目をじっと見つめていたが、何か決心したような、腹を括った様な顔つきになると話し始めた。
「お袖を連れて来たのは、梶原様です。迷子になっておったので、さるお屋敷に匿われていたのだと申され、詮索は為にならんと…。」
「脅されたんだな。」
「はい…。しかし、匿われていたのではございません…。」
権兵衛は悔しそうに拳を膝の上で握り、絞り出すように続けた。
「お袖は…。あの様な状態に…!他の村の娘も皆そうでございます!皆、口も聞かず、日がな一日、薄ら笑いを浮かべ、飯も食わずに、虫を潰して遊んでおります!匿われて頂いただけなら、あの様な事にはならぬはずででございます!」
貴時達は、庭に居るお袖を見た。
振り乱した髪に、乱れた着物姿で、着物の裾が地面に着くのも厭わず、涎を垂らしながら、ニヤニヤと笑って、面白そうに蟻を潰していた。
「そうだな…。医者には見せたのかい。」
「ーはい…。しかし、まったく理由が分からぬと…。何か乱暴をされた痕跡も無く、サッパリ分からぬと申されました。他の村の娘も同じだそうでございます…。」
「乱暴の痕跡が無えって事は、若い娘だったら気が触れてもおかしく無え、慰み者にもなってねえって事かい。」
「はい。私も女房もそれを疑いまして調べて貰いましたが、綺麗なままだそうでございます。」
「うーん…。全員、虫潰してんのかい。」
「はい…。気味が悪いほど同じ状態でございます。」
「うーん…。そうかい…。薬を盛られたとかは?」
「それも考えましたが、どこの医者に聞いても、そんな薬は知らぬと…。」
「ーそうかい…。ちょいと調べてみよう。辛いところ、邪魔して悪かった。ありがとよ。」
帰るのかと思った貴時だったが、やおら庭に裸足のまま出ると、お袖の前にしゃがみ込んだ。
これだけの色男が目の前にしゃがみ込んで、自分をじっと見つめているというのに、お袖には全く目に入っていないかの様だ。
なんとなく、貴時の方向を一見しただけで、また地面の虫を探し始めてしまっている。
貴時はお袖の顔を両手で包み込む様にすると、その目をじっと見つめた。
空虚な目だった。
やはり、貴時の事は見えていない。
ー瞳に俺が映ってねえな…。どういうこった…。
貴時は蟻をつまみ、試しにお袖の目の前に持って行った。
するとお袖はまた恍惚といってもいい、嬉しげな表情で蟻を見つめて、手を伸ばした。
ーアリンコは映ってるぜ…。見えてねえんじゃなくて、アリンコしか見えねえのか…?
貴時は試しに違う鈴虫を捕まえて来て、お袖の前に見せた。
ところが、お袖の目には映らないし、なんの反応も無い。
ー鈴虫の方がデカイじゃねえかよ…。全然分かんねえな、これは…。
貴時は鈴虫を放り投げると、桜井に他の娘も同じかどうか調べてくれる様頼み、柳井に先に帰る様言った。
「まだ何かお調べでしたら…。」
「いや、酒買ってくだけだ。先に帰っててくんな。」
柳井の姿が見えなくなると、驚く様な速さで文を書き、いつの間にか現れていた忍びにそれを渡した。
「コレ、玄庵に。至急でな。」
「ー伊達様。」
「ん?。」
「国家老の役宅ですが、地下に表の家と同じ広さの空間がある様でございます。」
「ー地下に?」
「はい。何せ地下故、なかなか調べが進みませず、申し訳ありませぬ。」
「地下か…。梶原の家は?」
「女子を入れておける様な場所はございませんな。国家老からのこずかいも、全て子供の食費と、本人の博打で消えている様でございます。」
「博打ね…。そこから潰してくか。どこの賭場だ。」
貴時は使いを出し、桜井を呼び寄せ、梶原が出入りしている賭場に張り込み、梶原が中に入り、楽しみ出すと、桜井と共に見張りの大男を倒し、2人で乱入し、打ち合わせ通りに桜井に怒鳴らせた。
「ごっ、御用改めである!」
この賭場は認可されていない賭場で、高額の賭け金で遊べるというヤクザ者がやっているモグリの賭場だ。
そこでお役人が遊んでいるとなったら、クビは確定。
場合によっては、切腹となる。
血相を変えて、裏口から逃げ出そうとする梶原の着物の裾を、草履のまま踏んづけて転ばせ、腹ばいで倒れている梶原を表返しにするなり、貴時は、いつの間に抜いたのか分からぬ早業で抜いた刀を、梶原の首筋に当てた。
「ひいいい!」
「あんた、身なりから行って役人だろ。ヤバイんじゃねえの。こんなトコいちゃあさあ。おーい、桜井さん。お役人が居たぜ!」
桜井は諸に芝居と分かるわざとらしい駆けつけ方をし、そのままのわざとらしい口調で言った。
「これは梶原様ではございませぬか!斯様な賭場で遊ばれているとは、いくら御家老様の覚えがめでたくとも、ただでは済みませぬなあ!」
貴時は苦笑しながら、梶原を立たせた。
「桜井さん、どうする。」
「さ、早速我が番所へ!」
「梶原とやら。俺は知っての通り、幕府のお役人だ。国家老なんか飛び越えて、幕府に直接あんたが無許可の賭場で毎晩遊び狂ってるって、報告出来んだぜ。」
「そっ、それだけはご勘弁下さいませ!」
「素直に知ってる事全部喋ってくれりゃあ、あそこにいた事だけは黙っててやるよ。」
貴時が娘達の事を話し、国家老の家にいたのではないかと推測する度に、梶原の顔色はどんどん悪くなって行った。
「さ、先ほどのお言葉…、ほ、本当でございましょうな…。」
「俺は悪党相手だろうが、小悪党相手だろうが、嘘はつかねえ。ほら、言いな。」
「で、では…。
確かに、伊達様の仰る通り、娘達は某が、御家老様よりお預かり致しました。娘達の探索を桜井がしておると報告をした翌日の事でございます。」
「なんで?」
「は…。」
「なんであんたは御家老に報告したんだよ。」
「はあ…。桜井が調べた、身なりが良く、面を被った若い侍というのが、御家老様のご子息のご三方ではないかと思いまして…。」
「御家老の息子は、そんな格好で、娘をかどわかして歩き回ってる事で有名なのかい。」
「いえ、そうではございませんで…。
私がご家老のお宅に伺った時に、ご三方が面を着けて、出て行かれるのを見たものでございますから…。
それにご家老から、行方知れずの娘に関して、調べる者が出たら、報告せよと言われて居りましたので…。」
「ふーん。そんで?娘達は何されてたんだ。」
「それは某には分かりません…。」
貴時は、さもがっかりした様子で、半ばふてくされる様に、後手に床に両手を着いて、虚ろな目で梶原を見た。
「なんだよ。分かんねえのかよ。」
「は、はあ…。」
「それじゃお話にならねえな。」
「と、申されますと!?」
「その程度じゃな。この件は知らせよう、桜井さん。」
「はっ!」
直ぐに動き出そうとする桜井の様子に、梶原は泣き出しそうな勢いで慌てふためいた。
「本当に、某が存じ上げておるのは、これだけなのです!」
「命が惜しけりゃ、もう少し、なんか思い出してくれねえとな。地下だろ?娘達が入れられてたのは。」
「はい!」
「あんた、そこに入った?」
「娘達を引き取る時に、手前の方だけですが…。」
「どんな所だよ。」
「床は無く、全部土でございました。」
「そんで?他に見たものは?」
「ええっと…。娘達は1番手前の部屋に入れられ、皆、土に座って、蟻を潰して居りました…。」
「暗えんだろ。なんで蟻が見える。」
「何故か、下の方に灯りがございまして、土は良く見えました…。」
「ーふーん。他は?」
「他は真っ暗でしたので、何も見えませんで…。この事は他言無用ときつく言われておりまする…。」
「国家老より怖え幕府に言ってもいいのかい。」
「いえ!」
「他には。誰か見なかったか。」
「いえ、ご家老様だけで…。」
「匂いや音とかは。」
「匂い…。音…。」
「ほらあ、思い出さねえと…。」
「お、お待ち下さいませ!
ーえええっと…。あの…。
何か、砂糖を焦がす様な甘い匂いがした様な気がいたします…。」
「砂糖?」
「はい。それと、乳鉢でする様な音が奥の方から…。」
「ふーん…。」
「あの、お許し頂けますでしょうな…!?」
縄を打たれた手で、貴時を懇願する様に見る梶原を、貴時は鼻で笑った。
「ああ、幕府には言わねえ。」
梶原はホッとしたのも束の間、次の瞬間には、また青ざめる事になった。
「俺がした約束は、あんたの話によっちゃあ、幕府には言わねえって約束だ。この藩の重臣に言わねえとは一言も言ってねえ。」
「な…!何卒、それだけはご勘弁下さいませ!この事が明るみになれば、ご家老様に何をされるか…!」
「いいや、勘弁ならねえな。あんた、真面目に暮らしてる百姓達の大事な娘があんなになったのを隠しだてする片棒担いだんだ。その上、これだ。」
貴時は紙切れを見せた。
「合わねえじゃねえかよ。あんたの奉行所に支給されてる額と、使った額が。支給金の余った金は、保管て事になってるらしいが、そんなもん、奉行所には無えそうじゃねえか。」
「そ、それは!」
真っ青になって、奪おうとする梶原を貴時は更に笑う。
「それは、俺には手に入らねえはずだって言いたげだな。
残念だが、今日のゴミみてえな書類の中に、奉行所に支給されている公金の額が書いてある箇所があったんだよ。
だから、柳井さんに頼んで、使った額も後から調べて貰ったんだ。
確かだぜ?吉井さんて人に聞いたんだからな。
で、保管ていうのを調べて貰ったら、無かったと。
つまり、この件は吉井さんて人も知ってんだ。勘定奉行なんだろ、あの人。
話によると、ご家老とは仲が悪いってえじゃねえか。容赦はしてくれねえだろうなあ。
しかも、その横領目的が博打じゃな。
今頃、あんたが連れて来られんの、手ぐすね引いて待ってるぜ。」
「ご、ご勘弁下さい!」
「いや。あんた、他にも悪行がありそうだ。桜井さん、吉井さんの所に連れてってやんな。」
「はっ!」
大男の桜井に両腕を掴まれて立たせられた梶原は小さくなって、震えているのもあり、みすぼらしい子供の様だった。
貴時が酒を買って帰ると、柳井が心配そうな顔で出迎えた。
「ご無事でしたか…。あの様なヤクザ者の賭場へ桜井と2人で行かれるなどと…。」
「その後、ちゃんとあの賭場始末したかい。」
「はい。仰せの通りに、伊達様が梶原を連れて去られた後、全て捕縛致しました。」
「そうかい。」
「それで、何か分かりましたか。娘達の事は…。」
貴時は柳井を見て、ふといつもの優しげで寂しげな笑みを浮かべた。
「ー柳井さんは未だ知らねえ方がいいだろう。そう大した事は分かってねえ。」
「危険だということですか。でしたら尚更お聞きしなければ、あなた様も危のうございます!」
「俺はいいの。そういうお役目。じゃ、お休み。」
それだけ言って離れに去っていく貴時の後ろ姿を、柳井は不安気な様子で、いつまでも見送っていた。
風呂を済ませ、縁側で酒を飲み始めると、何処からともなく、昼間の忍び、風間が庭に降り立った。
「早えな。もう返事が来たのかい。」
「はい。」
忍びが差し出す文を読みだした貴時は唸った。
「神経に作用する薬じゃねえか?漢方ではない…?なんだよ。玄庵の癖に、結局分かんねえのかよ。」
玄庵というのは、奥祐筆が仕事で止む無く暗殺する際、毒殺にしたり、その死因を隠す時に使う、怪し気な医者だ。
金でしか動かないが、薬学には滅法詳しく、口も堅い。
「その様でございます。そして、話を直接聞いた者からの伝言が。」
「なんだ。」
「5両で、そちらへ行ってやると。」
「ー5両だあ?玄庵にしちゃあ随分と安いじゃねえかよ。」
「大変な興味を惹かれたご様子だったと。」
「そんじゃあ、向こうで5両請求して、こっち来いって言っといてくれ。」
「承知致しました。」
忍びはいつの間にか消えた。
貴時はまた寒空の中、月を見る。
正気を失くしてしまった娘達。
国家老の横領や悪企みなどどうでもいいから、娘達を元に戻してやりたい。
しかし、目的は国家老の方である。
それに、お蓉の方もどうも怪しい。
「長くなりそうだぜ…。春んなったら帰れんのかね…。」
貴時は自嘲気味に笑い、2本目の酒に手を伸ばした。
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