8.受け止めることはできますか
カララララン!と今までに聞いたこともないほど激しく店の扉のベルが鳴る。
モネは驚いて客へ挨拶することを忘れ、誰が来たのかと思わずフィンも店に出てくる。
そこに立っていたのは、
「祖母の件ではお世話になりました!」
以前、アイリスが訪れた時に一緒に来ていた孫のジルベルトであった。
「何の用?」
客でもないのに、とフィンは冷たく言い放つ。
「この店に住み込みで雇ってください!」
「………」
「前に来た時、喫茶のメニューを見て…」
「却下」
「え?」
「雇わないから出て行って」
話は途中だが、ぐいぐいとフィンはジルベルトを押す。しかし子供と大人の体格差があるこの状況では、ジルベルトはなかなか動かない。
力ずくで動かすことは諦めて、仕方なく話だけは聞いてやろうと店の椅子に座る。
フィンが座るのを見てモネは紅茶の準備をし始め、ジルベルトは向かいの席へ座る。
「それで?」
「え?」
フィンの問いかけが耳に入ってこないほど、ジルベルトはモネを視線で追うことに集中していた。
「モネに会いに来たの?」
「あ、はい…じゃなくて、いや、…ふぅ。そのですね、喫茶メニューに俺が作る菓子を出してみませんか?」
「…作れるの?」
「あはは。そうですよね、そこですよね!で、持ってきました。生菓子はここまで持って来れないので焼菓子にしました」
そう言ってジルベルトが取り出したのは、ガレットやマドレーヌなどの様々な焼菓子だった。それも、店で売っていてもおかしくないくらいの見た目だ。
「…食べられるわけ?」
「やだなぁ、もちろん食べられますよ!ぜひどうぞ」
ちょうど良いタイミングでモネが紅茶を持って来る。
「モネも味見」
モネにそう言って、フィンはジルベルトの隣の席に座るよう促す。
「っ!」
思わぬ近さにジルベルトは顔を赤くするが、モネはそんなジルベルトに対してもいつもと同じように笑みを浮かべているだけだった。
フィンはそんな二人に興味は無いとばかりに、菓子に手を伸ばす。
フィンを見てモネも同じように手を伸ばす。
「いただきます」
きちんと食前の挨拶をしたのはモネだ。
フィンはすでにサクサクのクッキーを食べている。モネはマドレーヌを口に運んだ。
ジルベルトは二人の様子を固唾をのんで見ている。
「美味しいです」
言ったのはもちろんモネ。フィンは次の菓子に手を伸ばしてパクリと頬張っている。口に合ったのだろう。紅茶を飲みながら、全種類を制覇しようとしていた。
そしてフィンが一通り味見を終えて紅茶を飲み干した後、ジルベルトに向かって「仕方ない」と少しだけ口を尖らせて言った。
「不本意だけど、合格。空いてる部屋なら好きに使っていいよ。それと、キッチンの改装が必要なら言って…手配するから。今から開店だから片付けといてね、モネと一緒に」
じゃあ後はよろしく、と言わんばかりに片手をあげてさっと席を立ち、店の奥の部屋へ向かうフィン。
モネは「はい」と返事をして、ジルベルトはきょとんとその二人を見ていた。
「片付けましょうか。本当に美味しかったですよ」
椅子に座って固まったままでいるジルベルトに声をかけてモネも動き出す。開店の準備だ。
「あの…俺、雇ってもらえるんでしょうか」
自分から押し掛けて来ておいて、いまだ半信半疑のジルベルトはモネに問いかける。
モネはいつもとはほんの少しだけ違う柔らかい笑みで「はい」と言った。
そんなモネにジルベルトはまた顔を赤くするのだった。
今日も紅茶専門店は営業だ。
◇◇◇
「雇ってもらった身なんで言いにくいけど…この店、客来ないんだな」
いつの間にか店番を任せられるようになったジルベルトが小さく呟く。
「そうですか?これが普通です」
モネはジルベルトの独り言のような呟きに答える。そう、呟きすらも聞こえるくらい客が来ないのだ。
それもそのはず。こんな街からかなり離れた場所まで紅茶を買いに来る客など滅多にいないはずだ。
それこそ、他の目的がない限りは。
そんな時だった。
カランと扉のベルが鳴ったのだ。
今日も客は来るはずがないと思っていたジルベルトは慌てて立ち上がり、客がいるはずの入り口に目をやった。…のだが、視界に客はいない。
左右を確認して、次に上下と視線を動かしてようやく気付く。ベルを鳴らして入って来たであろう客に。
「あら、まあ…」
モネは驚いたようにその客を見ながら言った。
そうだろう。その客は、子供だったのだ。
「いらっしゃいませ。親御さんは?」
営業スマイルで少女に近付く。
しかし、少女は俺に怯えたようでパタタと走ってモネの後ろに隠れてしまった。
モネはそんな少女と視線を合わせるためにしゃがみこむ。そして、
「いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
そう言って少女の頭を撫ではじめた。
「今日はお母様はご一緒ではないのですか?」
「…うん。おかあさんは…連れて行かれちゃった」
「連れて行かれた、ですか?」
「うん。あたしをぶったからだって…他の大人の人達が言ってた…」
少女の体にはあの時よりも更に増えた痣や跡が見えた。
「それから孤児院に連れていかれて…でもそこもおんなじで、逃げちゃったの」
「「………」」
少女の悲惨な話にモネとジルベルトは一言も発することが出来なかった。
そんな話をしているにも関わらず少女の表情は変わることがない。涙も流れていない。ただ、人形のように何の表情も浮かべることなく淡々と話していた。
まだ少女の頭に置いていた手を下ろすと、モネはぎゅっと少女を抱き締めた。
そして少女ではなく彼女が…モネが涙を流している。初めて見るモネの涙は綺麗で、思わずジルベルトは目が釘付けになっていた。
「痛かったね。いっぱい我慢したね。よく頑張ったね。ここでは泣いて良いんだよ」
それは今までに見たことのないモネの表情と声音だった。
「ふぅん」
そこに突然、先ほどまでは居なかったはずの人物の声が響く。
フィンだ。
いつの間にか店内に来ていたらしい。
「店長!」
「ジル…それはやめてって言ったけど。まぁいいや。それよりもモネ。その子をどうしたい?たまには君のお願いを聞いてあげる」
「あ…」
モネは何やら躊躇っている。しかし、モネの願いはフィンにもジルベルトにも分かっている。
それをあえて言葉にさせたいフィンは再度モネに尋ねる。
「君は何を願う?」
「わたしは…」
モネの願いをジルベルトは静かに聞いていた。
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