7.きっかけはあなたでした
まだその頃の名はフィンではなかった。
親しくしていた女性の愛称がフィンだった。
これはフィンと名乗る前の僕と僕がフィンと呼んでいた彼女との話。
彼女の名はフィリア。貴族にしては珍しい女性だった。
その頃の貴族と言えば、女性はとにかく着飾り、知性よりも見た目が大事だった。
動きにくそうな服を着て何でもない顔をして、茶会や夜会では腹の探りあいをする。そんな貴族社会だった。
そんな時代に平民が利用するカフェで出会ったのがフィリア。
フィリアは侯爵の身分であるにも関わらず、平民のような動きやすいワンピースを着てそのカフェを訪れていた。
おそらくお忍びで訪れたのだろうが、彼女の佇まいやどことなく上品な空気は上級階級の者だとすぐに分かった。
僕は彼女と関わるつもりはまったくなく、ただ見ていただけだった。
「お決まりでしょうか?」
カフェの店員が注文を取りに来たので、サンドイッチと紅茶を注文した。
「紅茶の種類はいかがいたしますか?」
と聞かれたが、特に紅茶にこだわりが無かった僕は、
「何でも良いよ」
そう答えたのだが、その言葉に妙に反応してきたのが貴族らしき彼女、フィリアだったのだ。
「何でも良くはありません!サンドイッチに合う紅茶でしたらこちらとこちらか…あ、でも無難なのは…やはりダージリンでしょうか」
ぶつぶつと呟いて、結局ダージリンを注文していた。僕が飲むんだけど…。
そして許可をしていないのに何故か相席をしてきたのだ。
「食べ物に合う紅茶を選ぶのはとても大事ですわ!何でも良いなんて、食べ物にも紅茶にも失礼です」
『ぷんぷん』と表現するのがぴったりなくらい、片頬をほんの少しだけ膨らませてキッと睨んできた彼女。
しかし僕の顔を見た途端、驚きに目と口が開かれる。
いつものことだけれど、気分が良いものではない。知らず眉をひそめてしまっていた。
そんな僕を見て彼女はハッとして「ごめんなさい」と言ったが僕は無視した。
店員が彼女へ注文を聞きに来るまで二人とも黙ったままだった。
注文し終えた後も特に話すこともなく、早く別の席に行ってくれないかなと思っていた。
「あの…」と沈黙に耐えきれず口を開いたのは彼女。
「お一人ですか?」
「…それはこっちの台詞だと思うけど?貴族様がこんなところに来るなんて冷やかし?」
「!」
「服装はまだしも、その身のこなしはどう見ても貴族でしょ」
「………」
彼女はショックだったのか、少しばかり肩を落としてしゅんとした様子だった。しかし、次の瞬間こちらを見て、
「あなたもでしょう?」
と、フフンと勝ち誇ったように言ってきた。
「僕は違うよ」
「えっ…」
またも驚いたようで目を開き、今度は開いた口を手で隠していた。
そうこうしているうちに、二人の注文したものが届く。一旦、話は中断して食事に集中することにする。
フィンはサンドイッチ、彼女はケーキを紅茶と共に黙々と食べる。
二杯目の紅茶を飲み始める時に話が再開される。次も彼女が先に口を開いた。
「わたしはフィリア。侯爵家の娘よ…内緒にしておいて欲しいの。その…あなたの容貌はとても平民とは思えないわ。貴族の血を引いているのではないかしら?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ僕にはそんなこと興味がない。それよりも何で同じテーブルについたの?一人でゆっくりしたかったんだけど?」
「あ…ごめんなさい。でも、あなたも悪いのよ。紅茶の種類は何でも良いと仰るから。…わたし、とても紅茶が好きなの。それこそたくさんの紅茶を飲み比べたり、好みの味にするためにブレンドしたり…とにかく大好きなの」
目をキラキラと輝かせて本当に楽しそうに紅茶の話をし出す彼女。
しかし興味のない僕はつまらなさそうに、彼女が選んだ紅茶をただ飲んでいた。
二杯目の紅茶も飲み干すと、彼女に付き合っていられないと席を立とうとしたが、何故か彼女に手首を掴まれていた。
「…なに?」
「あの…また話を聞いてもらえませんか?」
「は?」
突然何を言い出すかと思えば話を聞け?一体どういうことかと気になってしまい、ついまた椅子に座ってしまった。
そんな僕を見て彼女は貴族ではタブーであろう、白い歯を見せて笑ったのだった。
「あのですね…わたしは侯爵家の娘です」
「それは聞いた」
「そうですわね…えっと、この国の貴族である女性ってどんな未来が待っているかご存知かしら?」
「自分の階級よりも上の身分の家に嫁ぐことが一番良い道かな。ま、たとえ下の身分だとしても、女性は嫁ぐ以外に道はないと思うけど?」
「よくご存知で!そうです…女性は嫁ぐことがすべてですわ。その後はいかにその身分を維持して他の方々に見せつけるか。もしくは上の身分の方に取り入るか。それだけですわ」
「そうだね。それが普通の未来だと思うよ」
「でも、わたしは…そんな未来は嫌です。わたしにはやりたいことがあるのです。わたし…紅茶専門店を開きたい!それがわたしの夢なのですわ!」
「ふぅん」
「?」
「君は貴族は嫌だと言っているけれど、貴族だったから紅茶に興味を持てたんじゃないの?毎日をただ生きていくだけで精一杯の平民なんて山ほどいる。夢を語ることが出来るのも貴族だからじゃないの?」
「!…あなたって本当の年齢はおいくつ?」
「数えたことないね。もう帰っていいかな」
貴族である環境に甘えながら、そのことに気付かず夢物語を語る彼女にどこか苛ついた。夢を見る彼女が羨ましかったのかもしれない。
「また…会えるかしら?」
「さあね」
「わたし…5のつく日は此処に来ます。待っています」
「…勝手にすれば」
そう言って、今度こそ席を立って店を出る。
もう彼女と関わることはない。そう思っていたが、次の5のつく日にはそのカフェに足が向かっていた。
矛盾を抱える人という存在に惹かれたのか、それとも…。
彼女と会う回数は増えていった。
毎回、何故か彼女が紅茶の話をひたすら語るだけ語って満足したら帰るという日々だった。
いつの間にかお互いのことを愛称で呼ぶ仲にまでなっていた。
彼女と会って数ヶ月が経った頃から次第に5のつく日に毎回は会えなくなっていった。
彼女は貴族だ。貴族の勤めもあるだろうし、妙齢の女性が未婚のままというのは侯爵家という身分であればいつまでも許されるものではないだろう。
仕方ないと思いつつもどこかで期待しながら、妙に苛つきながら、彼女を待った。
だが、ある日を境に彼女にまったく会えなくなった。
更に数ヶ月が経った頃も僕はまだ5のつく日に毎回カフェを訪れていた。
その日に何と久々に彼女に会うことが出来た。
しかし彼女を見て僕は目を疑った。
彼女は夢を語っていた以前のような姿ではなかったのだ。
美しかったダークブロンドの髪色はすっかり抜けて真っ白になっていたし、いかにも瑞々しく生気が宿っていた肉体は痩せ細り、一気に年齢を重ねた容貌になっていた。
(不治の病…)
まだ名前もついていない、対処法などあるはずもない病気がたくさんあった時代だ。治らない病など数多くある。
ただ、そんな病気に彼女がかかると思っていなかったのだ。
僕の視線に気付いて、彼女は恥ずかしそうに近寄って来る。
「なかなか来れなくてごめんなさい。ちょっと体調が悪くて…」
「………」
「わたし、分かっているの。もう…長くは生きられない。だから最後のお願いをしに来たのよ。あなたにわたしの夢の続きを…託したい」
「………」
「なんで?って聞かないのね」
「…聞いても無駄だから。僕に言うつもりでここまで来たんでしょ」
「何でもお見通しなのね。そんなあなたと過ごしたかった。もっとあなたのことを知りたかった。本当は…あなたと一緒に生きたかった。共に歩みたかった…」
彼女の瞳からは涙が溢れている。
僕はその涙をただ見るだけで何も出来ない。僕に出来ることは記憶を消すことだけ。
彼女の命を救うことも、彼女に希望を与える言葉をかけることも出来ない。それでも思わず彼女に告げようとしていた。
「僕は君が…フィンのことが…」
「その続きは言わないで!もっと生きたくなるから…お願い」
「………」
「最後のお願いがたくさんあるの。もうひとつだけ聞いてくれる?…わたしのことを覚えていて。わたしもあなたのことをずっと覚えてるから。そしていつかまた会えたら…」
涙は流れ続けている。それでも最初の頃と同じように白い歯を見せて彼女は笑った。
それが彼女を見た最後だった。
僕は彼女と会ったその日に国を出た。
彼女と向き合うのが怖かった。悲しかった。そして何も出来ない自分が悔しかった。
何度彼女との記憶を消したかったことか。でも、自分では自分の記憶を消すことは出来ない。
ようやく自分の気持ちに向き合うことが出来たのは、彼女が亡くなって数年が経った頃だった。
遅くなってしまったけれど、彼女が眠る場所に向かった。そしてその日から彼女の最後の願いを叶えるために生きることを決めた。フィンという名前を借りることを彼女に報告して…
フィンの手には銀色に輝くロケットが握りしめられていた。
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