6.客の依頼
「終わったー…あっ!昼時を過ぎてしまった…」
きりの良いところまでと仕事に集中していたらいつの間にか昼食時間を過ぎてしまっていた。
社内の食堂はすでに閉まっている。仕方なく外出することにする。
「ちょっと外に出てくるね」
そう言って一人で籠っていた役員部屋から続く職場を覗き、秘書へ声をかけてから外へ出る。
この国に来て三ヶ月。
ようやくこの国の作法や仕事にも慣れてきた。
右も左も分からない、ましてやこんな事務仕事をすることも初めてのことだったので社内での人とのコミュニケーションは真っ先に取り組んだ。
性格も幸いしてか、今ではとりあえずこの国で生きていくには問題ない程度にはなっているだろう。
この国に呼ばれたのはそれまで道路や交通関係の仕事をしていたからだ。
街から街、市、はたまた山の中まで道路を整備し、その国は一気に便利になり栄えた。
国内の道路整備が完了してからは、馬車や汽車だけでなく他の移動手段になりそうな未来の乗り物、車の開発にも着手した。
しかし、車の開発はなかなかうまくいかず、私は責任を取らされるために他国へ行くこととなった。要請があったと言われたが、簡単に言えば追い出されたのだ。利権問題などもあったのかもしれない。
呼ばれた国ではほどほどの役職の身分をもらった。私の知識でこの国が良くなるならばと必死で働いた。
母国が恋しくて戻るために、この国で早く実績をあげたいと思ったからかもしれない。
ただ、そこまで母国が恋しいと思うほど会いたい身内や国に思い入れなどないはずなのだが。妙に早く帰りたいと感じたのだ。
不思議な感情だと思いつつも、やはり生まれ育った場所に帰りたいのだろうと思っていた。
「ここなら開いているかな…」
職場から歩いて十分程度の場所にある食堂に着く。
ここは職場からも借家からもほどほどに近く、よく利用している食堂だ。
それ以外にも…
「いらっしゃいませー!」
店に入ると、元気よく挨拶する女性の声が響く。
「あら!今日は珍しい時間に来たのね。お昼を食べ損ねたのかしら?あいにくランチは終わっちゃって。でも軽食なら準備出来るわよ」
「腹が減りすぎてたまらないから、食べられるなら何でも良いんだ。頼む!」
「あははっ。分かったわ、ちょっと待っててね」
そう言って店員の女性はキッチンへ向かっていった。
この店に来るのは、彼女の笑顔を見たいというのも理由のひとつである。
どことなく懐かしく、安心するようで胸が痛むような…そんな女性だった。気にならないわけがない。
一人ぽつんと席に座って待っていると、ほどなくしてスープとピラフが出てきた。
何故か二人分。
あれ?と思っていると、向かいに店員の女性がすとんと座った。
「あたしも今からお昼なの。一緒に食べても良い?」
「どうぞ」
二人で『いただきます』と言ってから食べ始める。
特に会話らしい会話はないが、一人ではない食事はいつぶりだろうか。顔がほころんでしまっていたのだろう。
「そんなにお腹が減ってたの?」
と、女性にそう尋ねられてしまった。
「いや…うーん…まぁ、そんなところかな」
気恥ずかしさもありそんな返答をしてしまう。それからは静かに二人で食事を取った。
その日から店員の女性と話をするようになり、次第に仲良くなっていった。
いつしかお互いがお互いを意識するようになった。しかし仲が進展することはなかった。
男として優柔不断なのは情けないと思うが、いつまでもこの国に居るわけではないという気持ちがどうにも先に進む決断を鈍らせたからだ。
結局、三年経った頃に母国へ戻る話が出てしまった。この国での私への評価だろう。
それと、車の開発に少し未来が見え始めたことも関係していたのだろうか。
車の開発の話がなければ、この国にもう少し残っていても良かった。だが、どうしても車の完成を見届けたいと思った。私は帰る決断をした。
しかし、このままではお互いに良くないと思い、帰国前に女性と話をすることにした。
『私の国へ付いてきてくれないか?』
その言葉を言いたかった。でも言えなかった。
私がその言葉を言う前に、女性から言われてしまったのだ。
『付いていくことは出来ない』と。
分かっていた。
女性はこの国のことが好きだ。家族にも愛されている。
そんな幸せな生活を捨ててまで、私が少しなりとも憎んだ国に行こうなどと思うはずがない。
私も私で、母国へ戻ったからといって女性を守れるかというと、自信はなかった。
そして帰国する日。
女性は弁当を持って見送りに来てくれた。私はその弁当を持って汽車に乗る。
弁当の包みを開けると女性からの手紙が入っていた。
感謝の言葉と謝罪の言葉。そして何より私にとって記憶を呼び覚ます言葉。
『あたしのことは忘れて幸せに…』
ああ、どうして私は忘れていたのだろう。
だから私はどうしても母国に帰りたかったのだ。
国へ帰ったら真っ先に彼女へ会いに行こう。
そう思いながら、こぼれる涙を手で拭った。
◇◇◇
「忘れて良かったのでしょうか?」
モネは男性が街とは反対方向へ向かうのを見ながらフィンに問いかける。
「さぁね。彼にとっては彼女の望みを叶えることが第一だったんだ。それ以上でもそれ以下でもないさ」
「けれど…」
「…愛しい人の死と向き合うのは難しいんだよ。彼が忘れることで先に進めるのなら、他人は何も言うことはないよ」
フィンはそう言って少しだけぎゅっと手を握る。
その手の中からシャラとかすかな金属の音がする。それはすでに銀の輝きを失いくすんだ色をしたロケットだった。
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