3.断れない依頼もあります
カランと扉に付けられたベルが鳴った。
「いらっしゃいま、せ?」
しゃがみこんで茶葉の整理をしていたモネは、くるりと首だけを動かして扉の方を向いたが、入って来ているはずの客が見当たらない。
はて?と思いながら首を元の位置へ戻すと、目の前に見覚えのない男物の靴と頭上からの黒い影。
いつの間にか客が目の前に立っている。
「いらっしゃいませ」
モネが今度は顔を上げてにこにこと笑みを浮かべ、客に向かって再び挨拶をする。
「あれ?驚かないんだね…ああ、そういうこと」
と、何やらぶつぶつと呟く客。
そしてモネの顔に少しだけ自らの顔を近付けて、
「フィンを呼んでくれない?」
そう言って、にっこりと美青年は微笑んだ。
モネが返事をしようとしたら、奥の部屋に続く扉がガチャと音を立てて開いた。
「呼ばなくて良いよ、モネ」
「お、フィン!久しいな。何年ぶりだ?」
「さあ?数十年くらいじゃない?そんなことより、こんな所までわざわざ来るなんて何の用?」
フィンと呼ばれた少年はこの店の店主。人並み外れた美貌の持ち主の少年である。
しかし、客もその少年と引けを取らないくらいの美形である。
数十年ぶりと言った割には時が止まったまま、歳を重ねていないように見える。
二人の違いがあるとすれば、店主とは違い、客は年齢が20代であろう青年の姿というだけだ。
決して人にはなれないのに、人を惹き付ける容姿をしているのは人ならざる者の宿命であろうか。
「依頼」
客のその言葉を聞いて、フィンは目を細めた。
◇◇◇
フィンはその客を店の奥へ案内し、一緒に付いてきていたモネを店舗へ返してから紅茶の準備をする。
ふわりと茶葉の良い香りが漂ってくる。
「今日はロシアンティー」
「…ジャムはいらない」
「ふふ。ジャムは使わないよ。茶葉はキャンディ」
「ふーん?」
カタンと目の前に出された紅茶はとてもきれいな色をしていて、少しだけ甘い香りが鼻をくすぐる。
ただし、決してキャンディのような香りではない。そして添えられているのはレモン。
甘いものが苦手な友に対してあえて困惑するような言葉を使ったのだ。
「セイロンだからね。飲みやすいと思うよ」
「意地悪ぃ」
客はそう言いつつもフィンが手ずから入れた紅茶を飲み始める。
全く癖はなく爽やかでとても飲みやすい。二人でしばし紅茶を堪能する。
「依頼って何?ウィレム」
フィンは自らをわざわざ訪ねて来た友に向かって尋ねる。
ウィレムと呼ばれた客はカチャンとティーカップを置いて、フィンに向き直し目を見つめて口を開く。
「消して欲しい記憶があるんだ」
「…君の?」
「いや…知人」
「ふぅん」
そう言ったっきり、二人の会話は途切れる。
それからティーカップの音と紅茶を飲み干す音だけが部屋に響く。
その静けさに居心地が悪くなり耐えきれず、口を出したのは店主であるフィン。
「案内してよ」
「ありがとう」
「…まだ引き受けたわけじゃない」
「それでも、だ」
フィンの言葉にウィレムは半泣きの顔でそう答えた。
それはいまだかつて見たことのない友の顔だった。
◇◇◇
場所は移動して、ここはとある病室の一室。
白い部屋の中にある白いベッドに横たわる白い顔の女性。
幾重もの管が彼女の体と繋がっている。
管に繋がれた腕を見ると、すでに長い間この状態であろうことが見受けられる。
しかし、見た目は全く窶れたりしておらず、つい先ほど眠ったばかりと言われても分からないほどだ。
「もう三年だ」
ウィレムは愛しげな瞳で彼女の髪をそっと優しく撫でて、フィンにそう言った。
「それで?」
彼女との関係に興味はなく、早く依頼を片付けたいのか、少しだけ棘のある口調でフィンはウィレムに問うた。
「彼女の名前はミラ。俺との記憶を消して欲しい」
「…高くつくよ」
そんなことは問題ないとウィレムはふるりと緩く首を振り、フィンを見つめる。
詳しいことを聞いてこないフィンの優しさを、決して口には出さないが感謝していると、少しだけウィレムの瞳が揺れる。
フィンはその友の姿を見て、ふぅと小さく息を吐くと「分かったよ」と言って、ミラと呼ばれた彼女へ近付いた。
そっとミラの手に触れると、まだ生きているはずなのに少しひんやりとしている。
見た目は問題ないように思えるが、実はもう時間がないのかもしれない。
そのことに気付き、焦った友がフィンの元へ駆け込んできたのだろう。
(何て人のような…)
友の行動を羨ましく思いつつも依頼に取りかかる。
フィンはミラの額に手を置き、目を瞑る。
そして額に置いた手にほんの少しだけ力を入れて記憶を遡っていく。
頭の中で広がっていくミラの記憶。
映像だけがどんどんと流れていく。その中には友と仲良くしていたのであろう光景が見えた。
普段はやらないことだ。どれくらいの時間が経っただろうか。
おそらく数分程度だったはずだが、ウィレムにとっては数十分いや数時間にも感じる時間だっただろう。
ふっとフィンの手の力が緩まり、ミラの額から手を離される。
そしてゆっくりと瞼を持ち上げ、金色になった瞳のままウィレムに「終わったよ」と告げた。
「助かる…」
それだけ言って、片手で目を覆い隠す友の姿を見ていられず、フィンは病室から出た。
少しだけ心の中がざわついた。
そんな自分の心の動きを無視して、病院の外で友が来るのを待つ。
しばらくすると、ほんの少しだけ目を赤くした友がやって来た。
そんな友に気付かないふりをして問いかける。
「紅茶でも飲んで帰る?」
「ブランデーティー作ってくれよ」
「…今日だけだからな」
一筋流れた友の涙がフィンには眩しくて、とても綺麗に見えた。
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