第23話 移動
第23話 移動
その日の朝も、これまで通りに始まった。起きたら飯を食い、濡れタオルを自分で用意し、体を拭く。左手は握力はほぼゼロだが動くようにはなった。おかげで一応は全身拭ける。最後ぐらいアンナさんに拭いてもらってもいいかも、などといかがわしい妄想に襲われたが、むしろ最後かもしれないからこそそういう部分を残さないようにしないとな。
「今日までありがとう、クリス、アンナさん。おかげで何かあったとしても抵抗はできるようになったと思う」
クリスの治癒を受けながら二人に感謝を伝える。
「今日でお別れみたいないい方は好きじゃないわね」
俺も別に好きでやってるわけじゃないけどね。だけど、のん気に構えているわけにもいかない。飯食ったら王様から呼び出しだからな。
「お礼はちゃんと伝えとくもんだろ? 腕一本儲けたんだ、ちゃんと言っとかないとな」
この離宮に移動してから、一度もお呼びがかからなかったから、ワンチャン俺という存在をなかったことにしてくれてないかな、とも思ったけど、もちろんそんなことはなかった。どういう流れになるかはわからないが、準備はしてある。
こちらへ来たときに来ていた半袖シャツの左わき腹に限界まで薄く研いでもらったスローイングダガーを縫い込んだ。パンツのベルト部分にはナックルガード付きのナイフを。右のポケットにはこっちに来た時のまま、家の鍵が入っている。形状としては車の鍵の方が握りこみやすいんだが、持ってきてない物は仕方ない。
シャツの下にはどのぐらい意味があるか疑問だが、いわゆる鎧下を着込んである。Tシャツの上からでもひんやりするし、結構シャラシャラ音がする。しかも重い。ちゃんと効果あるんだろうなこれ……ただ動きにくくなるだけとかだったらアホだぞ。
そして秘密兵器も用意した。1円玉と錆びた剣を使う。金やすりがこっちにも存在して良かった。まぁ鍛冶があるんだからやすりもあって当然だけどな。硬貨の加工は法律違反だが異世界だからドンマイ。
とにかくこの両者から頑張って粉末を作る。粉の割合はおおよそ1:2.5だ。これを小さな袋に入れてぶんぶん振り回しておく。混ぜ終わったら取り出しやすいよう左の胸ポケットに忍ばせておく。
作業中思いっきり「何やってんだコイツ」的な目でアンナさんに見られたのが悲しい。いやこれ本当に強力なんだって! 魔法を併用すれば自前で点火までできてマジサイコーですよ。事前に実験できてないけど!
とりあえず準備はできた。クリス、アンナさんとともに王宮へ向かう。部屋の外にいた騎士2人は、そのまま王宮までの護衛としてついていてくれるようだ。結局話したことはなかったが、一応頭を下げておく。向こうも何となく頭を下げてくれたようだ。部屋から出るだけで必ずいるんだからちょっとぐらい話しておけばよかったな。
よく考えたらこの離宮出るのここ来てから初めてだな。一歩外へ出た瞬間、ものすごく手の込んだ庭園が目に飛び込んでくる。こっちに来てから初めてまともに自然物を見たような気がする。いや庭園である時点で加工された自然ではあるんだけど。初夏の日差しが庭園の緑を美しく彩っている。
「さぁ、行くわよ!」
クリスの掛け声とともに歩きはじめる。目指す王宮はこの離宮より少し下の方にある。歩いて大体10分といったところだろうか。離宮の部屋には窓がなかったし、ほかの部屋の窓もすべて閉じられていたので、王宮を外から見るのは初めてだ。バロック建築に近い……ような気がする。サン・ピエトロ大聖堂とかそんな感じ。建築物に関する知識は皆無に等しいから何とも言えないが、これほどの規模の建造物の作成に科学的知識が用いられていない、などということが本当にあり得るのだろうか。結局そのあたりについてオリアナ先生と詳しい話をする機会はなかった。
「クリス、一つだけ聞いてもいいかな?」
ぴくっ、と護衛の騎士たちが反応するが、クリスは意に介さない。ごめんよ、もうこの口調に慣れちゃったからちゃんとした場でないと改められそうにないんだ。
「なにかしら?」
「この国は、俺をどうするつもりだ?」
「お父さまの考えは私にはわからないわ。でも私個人としてはこの国にとどまっていてほしいとは思うわね。魔法に関するものだけでもあなたの知識は利用できる範囲がとっても広いもの」
ふぅん、知識、ね。
「それは、あの勇者クンでも別にいいんじゃないか? 今回の召還はちょっと過去のものと違うんだろ?」
「確認したわけじゃないもの。それに、あの人と仲良くしたいと思わないわ。仮に彼がマモルの代わりになるとしても、対応するのは私やアンナ、オリアナ先生ではないでしょうね。それに──」
「それに?」
「聖王国に行って、勇者に鎖がかけられていないはずがないわ。」
鎖、か。魔法的なものか、精神的なものか、それとも情緒的なものかな? そこらへんも一緒に来てるっていう聖女サマから引き出せれば、何かの役に立つかもしれんなぁ。
「とりあえず、俺は聖女様を挑発するつもりでいる。それはもう下世話な方向で。可能ならほかの人たちの抑えをしてくれるとありがたいな」
クリスは少し考えるそぶりを見せた。
「勇者の聖女は、特別な存在よ。神託を受けるべく各地に派遣されている巫女より、立場的に言えばかなり格上。そこら辺の貴族なら顎で使えるぐらいの権力があるわ。だからあんまり無茶はしてほしくないんだけど」
「向こうから突っかかってきてもらいたいんだよ。俺がここに残るためには、多分勇者に勝たないといけないから。そもそも戦いにもならず、追放だの神敵だの言われると困る。正々堂々戦わないとな」
「呆れた。よく言うわね」
「いやぁ、お褒めにあずかりまして光栄です、オウジョサマ」
ガッツンと足に痛みが走る。ヒールが突き刺さってるんだが。いってえ。
「次その発音で私を呼んだら足に穴が開くわよ」
「ごめんごめん。さて……」
王宮だ。行くか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます