第5話 実践

第5話 実践


「とりあえず今朝の治癒はおしまい」


「いつもありがとう、もうすぐ良くなるんだよね」


「元の通りに動かせるようになるにはまだ時間がかかるわ、でも多分明日の晩には感覚も戻り始めるはずよ」


 おお、そういうのわかるのか、人体への理解はそれほどなさそうなのに。治癒マニアすげえな。


「さぁ、とりあえずお湯よ! もしさっきの話の通りにお湯が出せるなら魔法界の大革新だわ! アニーもやってみなさいよ!」


 クリスは元気だなぁ。俺の感覚としては、と思うんだけど。

 

「むー!振動!お湯―――――!」


 ギュッと目をつぶって魔法に集中しようとするクリスが、初めて年齢相応の少女のように見えた。

 手からタラタラ水が垂れているが、今のところお湯である様子はない。


「水よ、震えて、溢れなさい……」


 アンナさんはさっき水を出してた時と違う言葉を呟いている。クリスに比べて勢いよく水が出ている。しかしやっぱり水だ。


 さっきのでかいタライに半分ほど水がたまったところで二人とも魔法を止めた。


「駄目ね」


「駄目というか、水が粒でできている、ということがよくわからないですから……。よくわからないものを振動させる、ということのイメージがつかめませんね」


 うーん、水分子についてどう説明すればいいのか、確かによくわからんな。ほんとはさっきの瓶の例で実際に体験してみたほうがいいんだけど、あれだと1000回振って1、2度しか変わらんから、前と後との比較は難しいしなー。


「クリス様、この世界には温度計はある?」


「温度計? 聞いたことないわね」


 ぐぬぬ。


「熱があるとか、お風呂が温かいとか、氷が冷たいとか、人の感覚によるものじゃなくて、絶対的な数値として温かさを計測する道具なんだけど」


「多分ないわね、そういう魔道具も世界中を探せばあるかもしれないけど。そもそも何に使うの?」


 ダメだな、科学的測定自体がほとんど行われてこなかったのかもしれない。


 勇者召喚によって、過去にも異世界から人が呼ばれているはずなのに、なんで科学的手法がここまで発達していないんだろうか。魔法が便利すぎるからか?


「いつでも計測可能な絶対基準を持っていれば、いろんな作業を同じ条件で行うことができるんだ」


「ふぅん?」


「例えば、ニシンのパイを一番おいしく焼ける温度を知っているすごいコックさんがいるとして」


「うんうん」


「そのコックさんは窯の中の薪についた火の色とか、窯から伝わってくる熱さで一番いい状態を判断している」


「そうでしょうね」


「じゃあ、そのコックさんがクリス様にその窯の状態を言葉だけで説明したとして、クリス様はそれを再現できると思う?」


 クリスが小首をかしげて目を瞬かせる。


「難しい、と思うわ」


 この子ほんと賢いな、俺が13歳の頃ってもっと明確にアホだったんだが?


「それはどうして?」


「そのコックの見ている火の赤と、わたしの見ている火の赤が同じかどうかわからない……から?」


 やべえな、クオリアに関する認知まで行けるじゃんテツガクじゃん天才かよ。


「そう! その通り。でも、俺の世界には温度計があったから、そのコックさんがいう窯の状態が200度であることを俺は知っている」


 いや知らないけどね? 実際は。


「とすれば、温度計が200度になるまで窯を炊くだけで俺でも同じ環境が作れるわけ」


「それが基準になるモノが必要になる理由、というわけね!」


「その通り!」


 どや顔で答える俺にアンナさんが言う。


「でも、それと魔法でお湯を出すことに何の関係があるんですか?」


「……ナイデスネ」


 脱線しすぎてしまった。


「やっぱりお湯を出す、なんて無理なんでしょうか?」


 アンナさんが眉を下げて、ちょっと困ったように言う。可愛い。


「そういえば、さっきアンナさん最初に水出した時と違うこと呟いてましたよね?」


「えっ? ええ、魔法はイメージを現実に当てはめるものなので」


 なるほど。イメージさえできればワンチャンあるってことか。


「じゃあ、そこのタライに溜まった水をに温めてみましょう」


「えっと、どうやってですか? 火属性の魔法を使っちゃいけないんですよね?」


「さっきも言ったように、水は小さい粒が大量に集まってできています。この大量の粒々をぶつけ合わせるイメージで。でも、できるだけ水面は揺れないように」


「できるでしょうか? そんなこと……」


 不安げだ。


「失敗してもですから。さぁ、水に手を付けて。目を閉じて」


 ちゃぷん、と水面が揺れる。


「いま、アンナさんの手の周りにはたくさんの水の粒が触れています。この、手に触れた粒を、触れていない粒に勢いよくぶつけてあげてください」


「う、ふぅ……えぇい!」


 バシャリ。水面が揺れ動いた。


「いいですね、今アンナさんの魔力は水属性の力を使用しないで水に干渉しています」


「わかります!」


 俺にはそもそも魔力が見えないから実際どうかはわかんないんだけど。


「今の感覚を忘れずに、もっと激しく、でも静かに水の粒に干渉するイメージで」


 アンナさんの黒髪がフワッと浮かび上がって、ぼんやりとした光が水を付けた右手に集まり始めたかと思うと、腕の周りに螺旋を描いて昇った後、同じ軌道で一気に水の中に流れ込んだ。

 同時に、タライからは湯気が上がり始めている……。成功だ!


「やった! やりました!」


「良かった! 今のが水の粒に触れる、ということです」


 何度でもいうが実際にどうか俺にはわからない。でも、魔法の結果がイメージによって左右されるなら、はず。


「今の感覚を活かしたまま水を出せば、きっとお湯になるはずですよ!」


 と、そのタイミングで扉がノックされた。そういえば、だれか来るって言ってたっけ。

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