1. 森と草原は金色の霞を纏い
鶏が鳴く声で私は目を覚ます。
私はバスルームで、小窓から差し込む朝日と雨水のシャワーを浴びる。
澄んだ雨水は私の自慢の茶髪をしっとり濡らす。
私は軽く身支度をして、ドアを開ける。
ドアの向こうで私を待つのは春の風。
雲のない青空。
新しい一日のはじまり。
濡れた茶髪がなびく。少し肌寒い。
私は大きく息をすい、太陽に向かって手を高くかかげる。
長い冬は終わった。
朝露のシャワーを浴びた森と草原は金色の霞を
水浸しの甲板とデッキを足を滑らせないように気をつけて歩き、鶏小屋に入る。
「おはよう」
無愛想な鶏はちっとも反応してくれないけど、本当は春の訪れを喜んでいるのを、私は知っている。
卵をひとつだけ取っていく。
「いつも、ありがとう」
卵を両手で包んで、リビングの隣にある台所にいく。
卵をお椀に入れてそっと台に置き、私は古紙の束を持ってくる。
デジタル化が進んだ現代でも人間は紙が好きなようだ。
当然、古紙も多い。
新聞紙、お菓子の包装紙、チラシ、段ボール箱の一部だった紙まである。
お菓子の包装紙のうち、木馬に乗った男の子が描かれているのを抜き出して、コレクションとして大切に仕舞う。残りは燃料用にまわす。
かまどに古紙とおが屑を入れ、いつか海岸で拾った耐水マッチで火をつける。
ふいごを数回、力を込めて引くと、古紙の束は縮んで赤い炎に包まれる。
チラシや新聞紙に書かれた文字がゆがみ、色褪せ、消えていく。
ふと、土やプラスチックゴミを燃やしたらどうなのだろうかと考える。
元はプラスチックゴミの塊だった新大陸の土は黒い煙をたてながら、よく燃えるという。
プラスチックゴミは言うまでもなく良い燃料になる。
でも、そういうものを燃やしたときに出る黒い煙は環境に悪いというから試すのはよそうと思う。
火力が十分に強いことを確認して、間伐材や流木、廃棄された木材から適当なものを選んで炎にくべる。
ふいごを引き、酸素を吹きこむ。
炎が木材を包むこむ。
木材は音をたてて、よく燃える。台所に清々しい匂いが漂ってくる。
私は手を合わせる。
全て生物には魂が宿ると小さい頃、祖母に教えられた。私は木々の魂が空に帰っていくのをそっと眺める。
フライパンに油を引き、卵の中身を落とす。
油が弾ける音が心地いい。
このフライパンは二十年近く親戚にもらった物で、以来ずっと我が家で大切に使われ続けている。これを使うと、どんな料理を作っても楽しく感じられる気がする。
「あら、ミア。今日も作ってくれたの?」
「いつも助かるよ。やっぱり、うちのミアは偉い」
母と父が起きてリビングに入ってくる。いつもより大分遅い。昨日は相当忙しかったらしい。
「そんなことないよ。早く起きて暇だったから」
作った目玉焼きを五等分する。最初は難しかったけど、やっているうちに慣れた。
目玉焼き五人分を食卓に並べ、栄養食も五人分用意する。
栄養食は長い羊羹のような形をしていて、キャラメル程の大きさに切って食べる。
色によって入っている栄養も違うけど、大体二個と半分食べるだけで、一食分の栄養食を賄える
弟と祖母が起きたので、家族全員で食卓につく。
「神の恵みに感謝します。私たちの食料になってくれた動物、植物に感謝します。私たちの食料を作ってくれた方々に感謝します」
食前の儀式を終えると、朝食の時間だ。
今日のメニューは緑の栄養食とオレンジの栄養食、クリームの栄養食(これは他の半分の大きさ)、そして目玉焼きだ‼︎
まず、私はフォークとナイフで緑の栄養食を薄く切って口に入れる。
新緑の香りがする。
次の瞬間、私は草原に立ち、森に歩いていた。草木の香り、鳥のさえずり、目に映るもの、耳にするもの全てが新鮮に感じられる。
森に入り、中を進む、リスに出会い、くもの巣の脇を通り、木漏れ日と戯れる。
私は古い建物の前で立ち止まる。木造の二階建ての西洋風の建物で蔦に覆われている。
けれど、不思議と怖くはない。
私は扉を押し開ける。割れた窓や屋根、壁に空いた穴から淡い光が部屋に差し込み、埃がキラキラと光る。
中には、本棚があった。革の表紙がついた立派な紙の本だ。背表紙に書かれた題名を読む。
見たこともない文字のはずなのに、何故かひどく懐かしい感じがする。
奥の暗い部屋の中で、緑色の古い扉を見つける。
私はどきどきしながら
私はクリームの栄養食を半分に切り、緑の栄養食を少しのせて食べる。
目を閉じると、目の前には見たこともない光景が広がっていた。
見渡す限り続く畑に実っているのは、祖母の話に出てきた麦という植物なのだろう。
そばを流れる小川、黙って仕事を続ける水車小屋。
私は麦畑の
私は立ち止まる。目の前には苔むしたオレンジの扉がある。
麦畑の真ん中に立っている木製の古い扉。
オレンジの栄養食を食べる
柑橘系の香りが口いっぱいに広がる。
扉をくぐる。
今度は、本の中でしか見ることができなかった風景が広がっていた。
ここは、地中海だ!
私は石畳の道を歩き、遠い昔の時代に想いを馳せる。
私は眺めの良い丘を見つけ、行き交う船を眺める。
船乗りたちを見守る女神になった気分。
オレンジの香り、漁師たちの怒鳴り声。
皿を見ると、もう栄養食は残っていない。
つまり、いよいよ目玉焼きを食べるときがやってきたのだ。
私は白身を少しナイフで切り取り、黄身をたっぷりつけて食べる。
この感動を言葉で表すことはできない。一言だけいうとすれば、生命の暖かさを感じることができた気がする。
今日も一日頑張れるような気がする。
祖母に見送られ、私と弟はバスで学校へ、両親はホバークラフトで仕事に向かう。
両親が乗ったホバークラフトを見送ったあと、私は弟と一緒にバス停に行く。
草原には色とりどりの花が咲いていて、蜜蜂がブンブンと飛ぶ。
私たちは草原の丘になっているところを登る。
道はない。私は草原を仲良くならんで歩く二人の影を見る。
草原といくつもの丘を越えた先にビルの並ぶ中核都市があるが、今日は霞の向こうに姿を隠し、にじんだ灯台の光しか見えない。
地面はぬかるんでいるが、底の面積が広い長靴を履いているので、歩いても沈み込むことはない。
弟が地団駄を踏む。地面を踏むと、ジャブジャブと海水が溢れてくるのが面白いらしい。
「面白いね。でも、あんまり強く踏むと草がかわいそうだよ。」
丘のてっぺんにバス停と街灯が一つ、ポツンと立っている。私たちは傍にある小さな木製の、菜の花色のベンチに座る。
暫くすると霞の中から、轟音と共にホバーバスが現れる。
朱色のラインが入ったクリーム色の丸みを帯びたボディ。
いつもお世話になっているヨアケ交通の路線バスだ。
バスは勇ましく水煙をたて、私たちの前に滑り込んでくる。
帽子が飛びそうになって、私は慌てて左手で押さえつけた。
バスは私たちの前で止まり、タラップを下ろす。空気が抜ける音がすると、ゴム製のクッションのようになっている部分がしぼんで、タラップは地面につく。
私は弟の手を引いてタラップを上がる。
古いがきれいに整備されたバスの中は丁度いい具合に席が空いていて、私たちは二人がけの席に座る。
ホバーバスは軽やかに加速し、バス停と私たちの家は霞の向こうに消えて行く。
カモメがバスの後ろをついてくる。
日光がバスから吹き出す水煙に屈折し、虹ができる。
一瞬、世界の全てが好きになる。
時々、嫌なこともある。
けれど、私はこの世界が大好きだ。
太陽の光も、虹も、カモメの鳴き声も、花も。
バスの機関から伝わる細かく振動さえも、私たちを祝福しているように感じられる。
この世界の全てが、愛おしい。
この世界がとても、愛おしい。
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