16
「……本当は、この修道院はルサールカと言うのよ」
宗教もラーダスチ教というのが本当だと付け足される。言葉を探して暫くすると、修道女長はぽつりぽつりと語り始めた。
――その昔、良いところのお嬢様だった修道女長とその兄である神父は、とある一件から追放されたのだという。元々ラーダスチ教の教徒であった為に、教会に身を寄せていた。しかし、先王に対する反乱に巻き込まれて焼け落ちてしまい、新しくこのルサールカ修道院を建てたのだそう。以後は慎まやかに暮らしながら、身寄りのない子供達を引き取っていた。大抵は貴族の妾が浮気をしてできた子供だったり、貴族の血を引きながらも奴隷市場に売られかけた子供だったりと、訳ありだったのである。自らの境遇と似ている子供達を哀れみ、慈しんでこの上なく大切にしていたという。
すっかりその生活に慣れきっていたある時、突然会ったこともない枢機卿が訪れ、格下げを言い渡された。理由は『神への信仰心が足りないから』である。それ以降は、ラーダスチ教の中で最下層、酷ければラーダスチ教徒としても扱われずに過ごしてきたのだという。
……疑問の消えない修道女長は、徹底的に調べあげた。その結果、慈善活動の影響を受けた民が不満を抱き、政府に反乱を起こすことを恐れた貴族の命令があったと分かったのだった。
「――分かる訳ないでしょう? 愛する者を奪われた気持ち、貴族如きがわかってたまるかしらね……」
「……それは、わたくしが貴族であったことを承知の上でございますか?」
「まさか。貴女はそんな人じゃないのだと知っていますよ」
「なら、御無礼を覚悟で申し上げますと……何故、わたくしをさっさと味方につけようとしなかったのでしょう」
当然、貴族であった頃ならば権力は絶大だったのだ。こう見えても領地の仕事を疎かにしがちな父に代わって、数多くの問題に取り組んでいる。国内外問わずに、スラムの解消や国民の生活改善に努めていた。福祉事業に取り組む組合のようなものも設立し、身分関係なく参加してもらっていた。……迂闊だった私も悪いのだが、鎖国下にあったスラーヴァとは積極的に向かい合うことはできなかったのである。
けれど、何件かそういった話は耳に入れてはいたし、依頼されればその地位を活用して解決する。なにがなんでも、絶対に。……国外でも『完璧人形』と異名が届いたのは、そういう背景があるからだったりもする。
……兎に角、間違いなく私の噂を聞いていた筈だし、検閲が入っても誤魔化せる知能は修道女長にはあるのだ。普段の行動から子供達を思う気持ちはよく伝わってくる。だからこそ余計に、何故とは思う。
「助けて欲しいと、それすら口にできぬ程の困窮ぶりでしたの? それとも、助けを求めたくなかっただけですの? 何方にせよ、わたくしは手を差し伸べることができましたわ。……此方から気づくことができなかったのは、申し訳ございません」
「…………リリー……?」
「……どうなさりましたか?」
呆然とした顔で、修道女長はそう呟いた。事実を知ったとか、そういう類の混乱ではない。
「――いえ、見知った顔に似ていた気がしただけです」
「……左様でしたのね」
「ええ。――それと、貴女の噂はかねがね聞いてはいたのだけれど、やはり裏に何かあるのではと勘繰っていて……」
「? ……ああ、盲点でした……!」
悔やんでしまったが、確かにそうだった。気軽にどうぞ、とは言ってもやはり疑うのは当然だろう。……本当に、そこら辺の対策をきちんとしておけばよかった。
……って、違う違う。相談もしにくい中、よくぞここまでのびのびと自由に子供を育てられたものだ。
「修道女長様は素晴らしいですわ。何かと苦労されましたでしょう」
「多分、私でなければやってこれなかったと思うのよ? 何事も楽しむ気概がなければ、悲鳴を上げてしまうもの」
くすりと笑う仕草を見て、これが本調子なのだろうかとぼんやりする頭で思う。気が抜けてしまうと思考回路も動きが鈍くなるのだが、もう少し頑張らなければならないのだ。
「……では、そんな修道女長様にご提案を」
「あらまあ、何かしら?」
「わたくしが進めていた活動、もっと進めてみませんこと?」
「……まあまあ! 素敵ねえ」
福祉事業で生活の改善は間違いなく進んできているのだが、これには利点がある。
特に重要なのは、前よりも随分衛生的になったことだ。過去に起きた爆発的な病の感染拡大の裏には、治安の悪いスラムの劣悪な環境がある。清潔さを求める余裕も感染対策をする知識も、増してや病の治癒という概念など、ない。風邪を引いただけと勘違いし、いつも通りの労働をすることで無意識に広めてしまうし、無理をすれば体調悪化も懸念されるのだ。
基礎知識(医者からもお墨付き)を広め、軽度の場合には療養を勧め、重度の患者は病院に連れて行かせて補助金を出して治療させた。私がそうしていなかったら、確実にこの数年以内に病が流行っている筈。……アルコール消毒とか伝授しておいて損はなかっただろう。
病で亡くなる民も減っているとのことで嬉しい。となると必然的に労働力が増加し、その後の経済復興も見込めるのだ。
……しかし、まだまだやり残したことも沢山あった。できれば政治の中枢で指示を出せるのが理想なのだが、仕方ないだろう。だが、その分民の生活をよく知ることができるのだから、結果オーライだ。しかも、スラーヴァは
「――ふふふ、楽しそうでよかったわぁ」
「ええ! 理想がありますもの」
「是非叶えてくれるとありがたいわ。……それと、改宗式は皆が帰ってきてからだから、楽しみにしていてね?」
いい子ばかりだと聞いているから、心の中がほかほかするような感じだ。
――笑うことはできないけれど、私はそれでもいいのかもしれない。だって………………?
何かが心の奥でつっかえて、疑問を感じた私は、修道女長が寂しそうに微笑んでいることに気づかなかった。
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