15


「あら、おはよう。ヴィクトリアさん。体調はどうかしら?」

「おはようございます。お陰様ですっかり元気ですの……元から体力があまりないからとはいえ、手伝うこともできず申し訳ございません」

「気にしないでね。本っ当に、助かっているから」


 皆、揃って針を触らないのよと、修道女長はさらりと付け足された。でも、その言葉で随分落ち着けるのだから、この人は大した方だと思う。

 ……まあ、実は……体調が優れないのは、体力の所為だけじゃないのだけど。


 ここへ来てから丸二日は経ったというのに、相変わらず夢見が悪い。今日なんて、危うく精神が病みそうになるぐらい追い詰められかけた。寧ろ、体調は悪化するばかりだったりする。

 夢ではいつもの少女が現れて、『入れ替わってよ』という。もう視界ははっきりしていたから、その表情がニタニタと笑っていたのにも気付いた。

 逃げ出そうとする私に、『どうせ、可愛い弟を助けられないんでしょ。それで死ぬ程後悔するって……本当に、馬鹿ね』と。私の心からの思いを、何故か分かっていることが怖かった。違う違う、そんな訳ないと言うと、『大丈夫、私の方が愛してあげられるよ?』と心を的確に抉られた。


 何よりも、私が記憶をと気付かれていたことが恐ろしいと心底思う。メレディスとの思い出も、本意ではなくても失っていたことが何よりの証拠。

 ……でも、そうでもしないと私の心は耐えていられなかった。仮面を被っても、見たことは消せなくてどうしようもない。小さな頃から刷り込んできたあの人・・・の教育の賜物、思い出すだけで吐きたくなるような下劣極まりない言動。

 いっそ死ねた方がましというぐらいだ。あの人・・・は私に何を思っているのか知らないけれど、苦しめようとしていることだけが分かる。



 ――辛い。


 そうやって回想するだけで溢れ出た言葉に、あの少女は唇を吊り上げて笑った。

『苦しいなら、代わってあげる』




「――今日から皆帰る支度をするって、ついさっき手紙が来たのよ」

「……そうなのですね」


 思い出さなくても、私の顔は引き攣っていたと思う。十六年間の我慢の成果の弊害が、こんな所で現れるとは思ってもみなかった。笑いたくなっても引き攣り、愛想笑いだと思われそうで怖い。


「猪狩りとは言ったけれど……多分、ウラジオストク極東のベロゴルスクに行ったのよ。鹿肉やら薬草やらを持って帰ってくると思うから、組合ギルドに売ってきてくれるかしら?」

「……ぎるど?」


 思わずぽかんとしてしまった。ギルド? ファンタジーの代名詞のような、あのギルドだろうか。いや、もしかしたら前世の私が知っていたようなものではなく、全くの別物かもしれないのだけど。でも兎に角、シンクレア王国では一切聞かなかった単語だ。異国の本をこっそり読んだ時、確か治安の悪いスラムなどで仕事を見つける為に発足されたと書いてあったけれど。


「もしかして、シンクレアではなかったのかしら。なら、説明するわ。どのぐらい知ってる?」

「ええと……スラムなどに多くあり、仕事を見つける為だと聞いていましたわ」

「それは冒険者ギルドね。でも、大体そんな感じなの。代表的なものだけ解説しましょうか」



 一つ目、商業ギルド。主にお金を預けたり、商会の関係する取引の保証をしたりする。値段の詐欺や信頼関係を著しく損なう行為が行われないよう、見張っているらしい。確実に安全な取引ができるので、商会では重宝される筈だ。まあ、主に預金しかしないだろうが。


 二つ目、薬草ギルド。作物の育ちにくいスラーヴァ王国では、代わりに珍しい薬草が多く生えるのだ。寒い国柄だからか、寒さに耐えた薬草が進化を遂げていった。……私が見つけてこっそり隠し持つレベルの貴重品ばかり生えている。その上、他国との重要な貿易品でもあるのでギルドが買い取り、それを王国や商会からの輸出品として送る。礼金が貰えるのでウィン・ウィンの関係だという。


 三つ目、冒険者ギルド。これは力に自信がある者ばかり登録しているので、実はそんなに浸透していない。商会からの需要は高いから、仕事のない者は最終的に此処に辿り着くのが常だ。案外簡単な仕事も多く張り出されている為、小さな子供が時たまおつかいにくるらしい。獣の買い取りはここで行われ、商会が依頼を出す。


 ……ここまで説明されて分かったのは、商会の権威がかなり高いことだ。貴族が出しゃばってこない。シンクレアは各領地で貴族が幅を利かせ、圧政だろうが何だろうが、必ず利益はあげていた。……あくまで利益だ、それが負に作用することも多くある。そんな適当な政治で国が安定するのかというと、勿論有り得ない。だが、悪徳領主は国王に粛清されるのが常で……?

 国王、という存在はシンクレアにとって大きなものだ。では、スラーヴァにおいては? ここに来てから王に関する話を全く聞かない。歴代の王も馴染みが薄いかと言うとそうでもなく、色狂いの王も戦狂いの王もちゃんといた。悪しき王であろうとも、その地に名を残している。


 ――今代の王は、何故、名を聞かないのか。国の残状を知って目を背けたのかどうかは分からずとも、明らかに何かがおかしい。


「……ご説明、ありがとう存じますわ。少し、質問があるのですが、よろしいでしょうか」

「ええ、気軽に聞いて頂戴な」

「では……何故、今代の国王陛下は噂を聞かないのでしょうか? 政治の才に長けていないとか、そういった話も一切聞きませんの」

「……それは」

「代わりに、どこぞの貴族が優秀というお話なら聞きますわ。先代が到底国を背負うに相応しくないと言われているのも」


 これらは良く聞いた話だ。今代は即位したばかりだと言うから、多少の話は聞くだろうと思っていたのに全くない。関係が良い訳ではないが、シンクレア王国のほぼ中枢に立っていた私ですら、王太子について何も知らなかった。酷い者など彼処・・の殿下が次のスラーヴァ王と勘違いし、おべっかを使っていたのだ。……それを見ていた私がねちねちと文句を言ってやったのは、まあご愛嬌だろう。


「……ですが、今生陛下はさして政治にご興味をお持ちでないご様子。ならば誰が――」

「――愚かな聖職者とやらと、腐り切った貴族共の傀儡に成り果てた王は許さない。悪しき取り巻き達よ、政治を牛耳るのはね」


 想像していたが、堪えきれない様な残状に吐き気を催す。


 ――今は捨てたはずの貴族の矜恃と、ちっぽけな正義感が、顔を覗かせた。

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