17
――どうも、皆様。
地球ではクリスマスと言われる日になったものの、此処ではキリストなんかいないのだからそんな日もない。だから何も祝う必要はない……という訳ではなく、神々が
まあ当然だ。何しろ此処は乙女ゲームの世界で、ヒロイン達が恋をする為のイベントがいる。分かりやすく十二月が卒業式であり、物語の進行も加速していくのだ。このイベントで好感度の確定、そして断罪イベントへと繋がっていく。
――悪役令嬢『スカーレット=ローズ』は、ダンスのパートナーに選ばれない、どのルートでも。そして逆恨みから殺害紛いのエグいいじめまでするのだが、断罪の場でついに公になった。
……入学まで、あと、一年。私がどのような立ち回りをするかによって、簡単に生死が別れる。果たして前世のスカーレット=ローズはこんなにも大人びた顔立ちだっただろうか、どちらにせよスチルで見た姿そっくりなのだ。
失敗して、処刑になったらどうしようとか。考えたら当然ながら怖いのだけど、それよりも今の自分の心が悲鳴を上げている。我慢などとうに超えた苦しみ。人よりも遅く社交界に出て行き、病弱さを誤魔化す為に完璧を演じていた。家に帰れば血反吐を吐いて寝込み、メレディスしかこの身の心配をしてくれず、お父様などその虚弱さに怒って市井に落とした。
……ああ、早く学園に入学して、ヒロインが現れてくれないだろうか。病弱故に寮を借りられたのは良かったが、彼女が現れなかった気が狂いそうだ。なんなら記憶を消しながら生きていくことになりそうなのだ。
「――今すぐ婚約破棄してくださればいいのに」
何も私が、悪役令嬢にならなくてもいいと思う。でも、そうでなければ王妃として、生理的に拒否するレベルの苦手な人の元で怯え暮らさなければならない。今日だってこれから殿下とお茶会……逃げては駄目なのですか?
「――シンクレアの東の太陽にご挨拶申し上げます。ルウェリン公爵ハーヴェイが長女、スカーレット=ローズでございます」
「面を上げろ。今日はそう大したものではない、気を抜くといい」
「ありがとう存じます。お言葉に甘させていただきますわ」
ゆったりした動作で腰を下ろす。
相も変わらず、王宮の紅茶は香りが物凄く素敵なのだ。ルウェリン公爵家では、一番そういう物を率先して消費する筈のお母様が好まないので滅多に紅茶など飲めない。公妾の娘のあの人はデュヴァリエ帝国の(一応は)皇女なのだから、紅茶より珈琲を飲む文化があった。
……とは言えど、メレディスには珈琲はまだ早い、苦くて仕方ないだろうから。かくいう私も、大の紅茶好きだ。折角ならば、こんな機会でも好きな物を楽しむのが良い筈。……別に令嬢としては当然の嗜みであるから。
「王宮の紅茶は素晴らしいですね。我が公爵家にも取り寄せたいほどですわ」
「……そうか」
機嫌を損ねただろうかと、ほんの少しだけ焦りが混じった。まあ、いつものことだと思い直したが、適当な相槌ばかりでは此方の肝が冷える。
普段から茶会の時はこう無言になるのだ。儀礼的な挨拶をして、ただじっと座りながら茶を楽しむだけ。昔は会話の続かなさに怯えて話を振っていたが、あえて黙ることを目的としているのだろうか、と変な考察までしてしまった。
唯一弾む時は、政治の話だろうか。情勢を見る限りあの国の南方への植民地侵略は滞るはずだとか、移民の領土買い占めが多発している地域に注意しろだとか、そんなことだ。前世の記憶によれば、結構な阿呆ぼんだった気がするが、私が適当に政治関連の話をしていたから教育できたのに違いない。
あまりにも黙りこくって互いの存在を意識しないので、見兼ねた従者が殿下にこそりと耳打ちした。勇気を振り絞ったのだろう彼を賞賛したくなるほど、本日の殿下は考えごとをされている。
「今日は、聖日だな」
「ええ。左様でございますね」
「……世の中では恋人同士で贈り物を送るらしいのだが……」
――どうやら、先程の耳打ちも意味があったらしい。殿下がプレゼントだと仰られた物が渡された。丁寧に包装されていて、受けの良さそうな……いや、私好みのサファイアブルーのリボンで慎まやかに結んであった。
「開けても、よろしいでしょうか?」
「ああ。是非感想を聞かせてくれ」
恐る恐るリボンを解く。何しろ、殿下直々に渡して頂いた品物なのだ。傷つけたりでもしたら飛ぶ、私の首が。冗談ではなく有り得るから怖い。……まあ、ここで嫌がりでもしたら、余計に不興を買うだろうから、さっさと開けておいた。
どうせ、令嬢向けのドレスやらが適当に選ばれるのかと思っていたが、全く違った。寧ろ、私の好みを完全に把握している。派手な物は一見見栄えが良さげだが、贈り物としては非常に嫌がられるのだ。その点において、高価な物は言語道断……と主張したいのだけど、その辺の小石を送るのもどうかと思う。という訳で、これまではやんわりと拒否してきていた。
なのに突然、贈り物? 何の間違いかと呆けてしまいそうになるが、ひとまずじっくりと
……は? ええ? 何故、今、こんな物を……。どうせ使うとしてもまず四年は先のことだし、そもそも婚約破棄されるから不要だ。頭の中で疑問符が埋め尽くされた私を見兼ねてか。殿下がそっと呟いた。
「……これは、
「ええと……殿下、これはわたくしに、なのですか?」
「勿論だ」
即答されると、どうしてか気恥ずかしくなって焦ってしまう。ああ、普段なら絶対に、分かりやすく態度に表さないというのに。
私も殿下も固有名詞を口にせず、ただこれやらそれやら言っている物が淡く光った。小さめで控えめながらも、内部の傷がなく高品質なサファイア。緩やかなウェーブを描くリング。貴婦人方の好みの飾り立てられた高価な宝石とは別物で、一粒のみでも高貴な雰囲気を纏う程の価値がある。
……私が動揺しても仕方ない、指輪である。この世界にも婚約指輪などの文化はあるのだから、まさかと思い、かなり焦った。
「……殿下、申し訳なく存じますが、わたくしはお返しできるものを持っておりません。後日、送らせて頂く無礼をお許し――」
「その必要は無い。それを持っていてくれるだけで充分だ」
「……よろしいのでしょうか?」
目を剥くぐらい高価な物を送られて、それに釣り合う物を返すのは少々大変ではある。けれど、いくら苦手な相手とはいえ、流石に何もしないのは人としてどうだろうか。本人の意思だとしても、再度確認する。
「……そうだな。卒業後まで、身に付けていれば本当に良い」
「承知致しました。殿下自身のお望みであれば、仰せのままに」
その後、仰々しく礼をすると此方が驚くほど、声を上げて笑われていた。まあ、得体の知れない笑いなど私にとっては恐怖でしかないのだけど。……ああ、そうだった。可哀想な殿下の従者も、数日は胃痛に悩まされるのだろう。いつ使うのかも分からない私用の胃薬を今度あげるべきだろうか。
そして結局、何も返さないのは気が引けて、何かを送ったのだけど覚えていない。……というより、メレディスを愛でるのに忙しくて欠片も覚える気はなかった。
――だから。指輪を貰ったことなど、つい先程まで忘れていたというのに……!
「片付け始めなければ、良かったのかもしれないですけど……。いえ、羊皮紙の間に挟まっていたのですから、学園にも持って行っていたと見るべきなのでしょうか」
ぶつぶつ独り言を言いながら、それの処遇を考えあぐねた。修道女になって、一週間。待てども帰ってこない面子を心配していたら、また寄り道をすると報告されたらしい。そんな訳で、この修道院内には現在三人しかいないのだ。礼拝なども終わらせ、今日は片付けでも……と思っていたら、嫌な掘り出し物を見つけてしまったのである。
「売ったら……足がつきますし。どなたかにあげるとしても、高価過ぎて避けられますわ」
いっそのこと、捨てればいいのかもしれないが。何故か分からないのだが、気持ち的にはそういう訳にもいかず。
「……確か、ネックレス用のチェーンがあったと思いますけど、どこかしら?」
……そう、だから、断じてこれは、深い意味もやましいこともない。勿体ないけれど、どうしたらいいか分からないから。泥棒に盗まれても困るから、肌身離さず持つだけ。
「うん。だからこれは、決して何も……!」
頬に手を当てると、のぼせたように熱く。それに気づいて慌てて離しても、ひんやりした手との温度差のせいでヒリヒリして痛かった。
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