3 これは父ではありません


「お父様、わたくしですわ。失礼します」

「……スカーレット=ローズか?」

「はい。お呼びと聞きましたので」


 執務室をノックした先にいたのは、お父様――もとい、(豚体型の癖に)狸公爵と言われている男。あの天使のようなメレディスの父親が、こんなごみ溜めの様なクズ男だとは信じたくない。一応自分の父親でもあるのだけど、どうでもいい。


 この怒りを突き付けてぶん殴ってやるのも良い。が、今はのスカーレット=ローズなのだ。自制心フル稼働で両手をぐっと堪えた。

 後で掌に跡がついていないと良いのだが。幼い頃から徹底的に躾られていた為、ちょっとしたかすり傷でも怒られてしまう。ましてや掌についた爪の跡など、はしたないとか自制心を身につけろと散々怒鳴られた挙句、折檻されること間違いなしだ。


「……一体、どのようなご用件でしょう?」

「心当たりがある筈だがな」

「あらぁ……全くございませんわ。どうも出来が良いは言えない私には、到底理解できないことでしたようで」


 敢えて怒りを煽った。そうすれば、自国の修道院に押し込めて監視させるのも、嫌になることだろうから。目を合わせ、報告を聞くのにもイライラすること間違いなしだ。

 そもそも『完璧人形』とまで言われたこの私が、出来が悪いとはまず有り得ないことなのだが。自画自賛と言われようが、事実だから仕方が無い。


  まあ、どれだけ心の内で企んだとて、顔には決して出しはしない。メレディスの前だとしても、真顔を保っている。わざわざ演技をしてまでこの日を待っていたのだ。綿密に精確に失敗など無いようにと計画していたこと。たった一つの失敗で、十六年もの努力を水泡に帰すことなどあってはならない。



「――本日、王子殿下がお前に婚約破棄を命じたそうではないか」

「ええ、事実でございますわ。こちらに一方的な非があるものでは、ありませんでしたけれど」

「だとしても、お前は確かに婚約破棄されたのだな?」

「左様でございますわ。どうぞ、修道女として勘当してくださいませ」


 私の知らないことばかりだ。悪役令嬢のスカーレット=ローズは生きていなかったし、そもそも両親に愛されたいなどという可愛らしい願いは持っていなかった。


『親? 何馬鹿なことを言っているのかしら。二人ともただ利用できる存在なだけよ。富も地位も名声も無いなら、要らないわ』


 そう言って高笑いする、いかにも高飛車だという印象を与えるスカーレット=ローズ。艶かしい声、どこか幼さを感じさせる濃いサファイアブルーの瞳、気品と高貴さの象徴かのような銀髪。美しい容姿に合わせて、国母となるに相応しい才知があった筈だったのだ。どれだけ悪女として名を馳せようと、『悪役令嬢のスカーレット=ローズ』にはプライドと共に実力が備わっていた。


 ――それなのに。どうして嫉妬に狂って道を踏み外したのだろうか。彼女は婚約に対して可もなく不可もなく、といった感じだった。暫くして、恋をしてしまっただけのこと。

 頭では分かっていたことが、今になって疑問として壁になる。ただ賢いだけでも、美しいだけでも、こんな狡い世界では生きていけない。実例を前世の結末で知っている私は、もう、仮面を被り続けることしか自衛の手段が無かったのだ。









「――修道女となるのは、わたくしとしても恥となりますわ。貴族令嬢としてこれ以上の屈辱はなかなか無いのです」

「元よりその気でいる。お前を失ったのは痛いが、養子でも貰ってくればいいだろう」


 思わず冷めた目を向けたくなる。微笑すら浮かべない私の顔立ちや色彩は、両親どちらにも似なかった。それらを酷く嫌い、また虚弱体質であるという欠点を何よりも厭悪した両親は、私を放置し続けたのだ。

 今更、失うことに後悔などありはしないのだろう。勿論私も、むしろ望んでいるぐらいだ。


 優しいメレディスは、両親から疎まれている私を哀れんでくれている。でも、メレディスだって両親に沢山甘えたい筈だ。無駄に大人びた弟の達観した人生観は、褒めるべきか悩むべきか。どちらにせよ、いいことづくめではない。


「……メレディスは、一体どうするおつもりで?」

「メレディス? ――ああ、あの出来損ないか」


 ――腸が煮えくり返る。顔面ストレート、決めて差し上げようかな。これでも前世では……あれ?



 前世の私って、何をしていたのだろう。何にも思い出せない。年齢、見た目……何から何まで、覚えていない。

 一瞬、血の気が引いた。けれど、ぶんっと頭を振ったことにして――流石に現実でできない。あの男の目の前でなんて無理だ――、気分を落ち着かせる。


 大事なのはそんなことではなくて、目の前の事実を壊すことだけ。今悩むのより、後でたっぷりある時間を使って馬鹿みたいに悩んだ方がマシだ。その時間の確保の為にも、今は勘当されることが大事なのだ。



「いくら出来損ないだとしても、ルウェリン公爵家の血を引いた者。蔑ろにはできません」

「……だから、病弱だということにしているのだろう!?」


 怒り狂い、腹の肉を揺らしたお父様はとても醜かった。こんなのが、私とメレディスの父親。

 母親も大変碌でもない奴だが、こいつには勝るまい。そう思われて仕方無かった。


 ……捨てられても、悲しみが湧かない。私が薄情者というのもあるが、相手が相手だけに惜しむ必要が全く感じられないのだ。メレディスを愛して欲しいという願いが粉砕された時から、私はこいつらを憎んでいるのだから、


「まあ、そうでしたの。でも、わたくしがいなくなれば、負担が減るのですね?」

「そうだ。お前なんかより優秀な者を養子にもらってこれる」

「でしたら、お父様のお顔を立てる為に、わたくしを勘当してくださいませ」


 きちんと事実に向き合わなければ、乗り越えられない。どうでもいい悩み事をするなんて、らしくなかった。

 だからもう、目を逸らしたくない。自由に生きていきたいのは望みだけど、それで後悔するなんて嫌だった。

 今できることを全力で。後にやらなければいけないことも理解して。


「――貴族らしく生きたいので、わたくしは。修道女になった方がマシだと思いましたのよ」


 さあ。嘘で塗り固めた仮面ともお別れだ。『完璧人形の令嬢』などもういなくなる。私はただのヴィクトリアとなって、修道女として生きて。


 大切な者を、今度こそ・・・・守り抜きたい。

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