2 弟が天使なんですが


 ――意気揚々と修道院に入りたいのは山々だが、まずは勘当されてこなければならない。両親はもとより私のことが嫌いなのだから、すんなり済むとは予想している。

 ただ一つの心残りは――



「あねうえさまー!!」

「……ただいま、メレディス」


 ――この子、メレディス・オスカー・ルウェリンだ。スカーレット=ローズ・ヴィクトリア・ルウェリンの実弟で、公爵家唯一の跡取り。もしこの子が居なかったら……私は、跡取り娘として男を漁らなければならないところだった。

 昔は何とも思っていなかった弟が、不意に愛らしく見えてきた時があった。『完璧人形』と呼ばれても、所詮女だと馬鹿にされた自分の貴重な癒し補給機。ふわふわとした柔らかな可愛い金髪、こちらを真っ直ぐ見つめるくりくりした可愛い猩々緋の瞳。私だろうが誰だろうが見惚れる愛らしさなのに、両親は見向きもしなかったのだ。信じられない。こんなに可愛くてほっぺたぷくぷくで頭も良くて可愛い子を、どうして認めないのだろう?


 前世の記憶があったからか、少し苦手な殿下と接した疲れをメレディスのふにふにほっぺで癒している。……ああ、安心する。帰ってきたのだという安心感が、柔らかな惰眠に誘い込んだ。が、ここで寝ようと何の解決にもならない。

 落ち込んでいた気分もあり、いつもより長く触っていると、メレディスに「もぉー! あねうね、やめて!」と怒られた。……ごめんね。



 ――ううん、それだけじゃない。これから私がいなくなって、不安を感じることに。唯一の跡取りとして制限がよりかかるだろうことに。

 可愛い可愛い弟で、たった一人の肉親・・を、どうして好きで悲しませたいと言うのか。余計に辛いのだから、もう泣き出してしまいたい。それでも、メレディスの前で弱みを見せるのは姉として頼りなく思われるのだ。


「……ねぇ、メレディス」

「なーにー?」

「もしお姉様が明日からいなくなったら、自立できる?」

「……じりつ? ……うん! できるよー!」

「分かった振りをするのは止めなさい。自立っていうのはね、自分の力で行動できることなのよ」


 このままだと冷遇され続けるのは間違いない。そうなる前に、この子がきちんとしているか確認しなければ……!





 ――と、思っているのだけれども。問題はそんなことではない。

 実はメレディスは解離性同一性障害……所謂、多重人格なのだ。やけに雄々しい有能な女の子の人格、大人しくて人間恐怖症の男の子の人格。二つの人格を持ちながらも社交界を上手く渡り歩く度胸のある賢い子である。姉として鼻が高い。本当に、本当に!

 嬉しくて自慢したくて堪らないのだが、生憎両親から冷遇されているからという理由だけ公の場に出ることも叶わない。表向きには病弱なのだと言われているらしい。


 家でぴょんぴょん跳ね回り、嬉しそうに屋敷を走り回る子のどこが病弱なのだろうか。寧ろ、どちらかと言うなら私の方が病弱である。虚弱体質のせいで三歳までまともに歩けない始末。初めて走ったのも、メレディスと追いかけっこをしていたからというぐらいだ。


 まあ、そんなことはどうでもいい。大事なのはメレディスの今後なのだから。



「――お嬢様、旦那様がお呼びです」

「……あらまあ、もう……?」

「火急の用の為、お急ぎくださいとのことです」

「分かったわ。……メレディス、お姉様は少しお父様とお話してくるわね」

「ん……やだ……」

「大丈夫よ。もの」


 駄々を捏ねるメレディスをあやしつける。



 ……ああ、嫌だ。権力に固執する醜く愚かな男が、自分と可愛いメレディスの実父であるなんて信じたくもない。それでも、私が望んだ未来の為には必要な過程だと自分を納得させる。

 本当に嫌なのは、そんな男の娘に生まれたことじゃなくて、弟を残して行ってしまうことだけだ。後悔するだけなのはもう嫌で、黙っているだけなのも嫌。




 いつかは分からないけれど、メレディスをあの魔窟から救い出したい。




 その思いは、心の中に重く沈むようだった。

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