ログ:雷音の機械兵(9)
紗也は額に触れた掌が冷や汗でぐっしょりと濡れているのに気付いた。
動揺している。
だが再び脳裏に声が響いた。
『何を焦っている。紗也は尊い存在なのだ』
声は脳裏に蜃気楼の様な波紋を呼び、残響して消えた。紗也の心は鎮まり、機械兵が与えた自己肯定感を反復した。
そうだ、私は……彼らにとって最も尊い命なのだ。
私に役目を果たさせるためなら……カレラハシンデトウゼンダ。
まさかと察した。
あの人達は私を生贄にするための追手なんだ。──紗也の恐怖はにわかに膨張した。
「私を殺さないで!」
紗也の叫びに呼応してジャギルスの爪が猛威を振るう。弾かれる山人達に追い討ちをしかけるもエリサが剣で食い止めた。
「紗也、聞いて! 私はあなたとの争いを望まない、攻撃を止めて!」
「嘘だ!」
剣と爪は相弾きなおも衝突。攻めのジャギルスと受けのエリサが剣戟を繰り広げる。エリサは傷だらけの体を燃やして剣を振るう。しぶとい。警護の士として有能ならば敵に回すとこれほどまでに厄介だとは。紗也は歯噛みしながら機械兵の背後でがなり立てる。
「人間達は互いを騙し恨み滅ぼし合う事しか考えていない。人間なんか信用できない!」
爪の斬撃を躱しながらエリサが声を放つ。
「それは一面性でしかない。人間は怒りと憎しみで大きな力を手に入れる。その源は、護るべき
「愛? 知った口を聞くな!」
ジャギルスの一撃を受け止めたエリサだったがいきなり胸を抑えて顔をしかめた。エリサの腹部に機械兵の蹴りが入る。怯んだエリサに追撃の裏打ちが送られた。
機械の声が脳裏に聞こえる。
『人間は内に潜む浅はかな欲望を、愛という美辞麗句で高尚な思想にすり替え崇めているに過ぎない。愛は憎しみの種だ。平和のために今ここで絶やさねば』
響いた声に共鳴するように紗也は喚き声を上げた。
「皆、敵だ。心を持つ者は皆、敵なんだ!」
吹っ飛ばされたエリサを抱きとめた山人達が慄いている。
「紗也様、一体どうしたんだべ、まるでお人が変わっちまったみてえだ」
「機械兵と一緒になっとるだ、紗也様は奴らに寝返っちまっただか!?」
山人達を鉄平が一喝する。
「バカ野郎! 紗也は奴に洗脳されてるだけだ!」──ちなみに鉄平の方が山人達より遥かに年下である。
「おい、バカ紗也!」
鉄平が紗也に近づく。両手を掲げてなにも持たないと示している。後退る紗也。
「ジャギルス!」
「させない」
鉄平に飛び掛かろうとするジャギルスをエリサが蹴り込む。機械の巨体が怯んだ。
「鉄平、任せたよ!」
エリサの声に鉄平は無言を応えとして一歩また一歩と紗也に歩み寄る。排熱音が響いて機械兵が動き出す。エリサがその脚を払い態勢を崩すと振り返って声を張る。
「何やってるの山人達、あなた達も手伝いなさい! 私あんまりモたないよ!」
「お、おうさぁ!」
筋肉の山が機械兵に覆いかぶさった。足掻く機械兵も純粋な質量の責めに遂に屈して、男達の中に埋もれた。紗也の呼び声も虚しく機械兵からの応答はない。
「あぁ、ジャギルス!」
「おい、バカ紗也!」
紗也は顔をしかめた。
すでに鉄平が目の前に来ている。下がろうとするが負傷している足元が効かない。ジャギルスがいなければ可能な行動は限られる。たちまち天井の瓦礫に足を取られ転倒した。
「クッ……」
「そこはいったぁーい、じゃないのか、バカ野郎」
「うるさいな、さっきからバカバカって! 私は鉄平、あなたを一番許さない」
「俺が憎いのか、紗也」
「憎いよ。私を騙して、私の命を奪おうとした張本人。人殺し!」
「だったら俺をどうするつもりなんだ」
「……消す。この広くて美しい世界から、あなたの存在を消してやる」
「アオキ村の人々を皆殺しにした、そいつみたいにか」
その言葉にジャギルスを見た。アオキ村は彼が滅ぼしたと言うのか。不思議なことに言葉が出なかった。どうした自分、アオキ村を恨もうとしてよ。
そう、だってアオキ村は私の自由を奪う場所。滅ぼされてせいせいするべき。
「…………そうだよ、私は機械兵と一緒に理想の世界を創っていくんだ」
人間の感情は欲望から出る。私利私欲に塗れた世界が行きつく先は、憎しみと悲しみの戦禍が虎口を開いて待っている。
欲など持たなければ良い。何人たりとも争わない誰もが完全一致した思想。諍いを生まない。何も生まない。機械だけが実現できる世界……それこそ美しき平和の理想に違いない。平和を脅かすのは、人間の欲望。だから機械は元凶を根絶やしにする。
「機械は世界から争いを無くすための戦争をしているんだよ、鉄平」
「はぁ……つくづく思うわ、この、バカ紗也!」
怒声を発した鉄平に後ずさる。だがだしぬけに腕が伸びてきた。手首を掴まれそのまま引き寄せられる。鉄平の顔が近い。
「いつからそんな大層なことを言えるようになったんだ、お前は。どうかしてるぞ」
「どうかしてるのは、そっちの、方だろがっ」
顔面目掛けて頭突きした。衝撃はバキッと音を上げ、鉄平の鼻からは鮮血が噴き出た。しかし鉄平はまったく仰け反らなかった。
「……この程度で俺を世界から消すつもりか」
にたりと笑う鉄平に紗也の怒りは激しさを増す。その手はまだ紗也の肩を掴んだままだ。
「お前の言説ごもっともだ。たしかに紗也が言うように俺達は不完全な存在かもしれない。けどな」
ぞわっと背筋を撫でる気配。鼻からだらだらと血を流しながらも鉄平は目を見開いてそして言う。
「
鉄平の手が恐ろしい速さで動いた。
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