ログ:雷音の機械兵(6)

 鉄平はもういない。紗也を肯定してくれる存在は誰もいない。紗也が生まれ育ったアオキ村は、もうどこにもない。考えるだけで紗也は孤独を感じた。

 寂しい。だから私は独りでも自分の役目を務めなくちゃ。

 機械兵はかしげた首を、反対方向に傾けた。

『アナタノ言ッテイル言葉ガ理解デキマセン。アナタハ死ヌタメニ生キテキタノデスカ』

「村の皆がそう言ったんだ。私がいる限り、アオキ村は平和なんだって」

 鉄平から自分の役目は村を守る巫女として立派に御倶離毘おくりびを受けることだと生まれた時から教わってきた。疑いもなく生きてきた。誰にも否定されなかった。私は死ぬことに意味のある存在だと。

 でも、どうして? 生きているのに守れなかった。

『僕ハアナタニ死ナレタラ困ル。マダ死ナナイデ欲シイ』

「どうして?」

『僕達ノ未来ノ為ニ、アナタハ生キテクダサイ』

「きゃっ」

 突然、機械兵が紗也の身体を抱え上げた。窓辺に向かって歩き出す。

 外の景色を見せてくれた。

『世界ハトテモ広イデス。世界ニ果テナドアリマセン』

 雨の中で濡れた景色は眩しく輝く。目映い建物達はどこまでも続き光の稲穂畑のように紗也の前を広がっている。

『新シク生キル意味ヲ与エマス』

 崩れた建物で埋め尽くされた人間達の生きた跡を思わず「綺麗」とこぼしてしまった。

『コノ世界ハ美シイデスヨ、紗也』

 彼は紗也を抱えたまま部屋の中を歩きだした。窓に映る機械兵と自分の姿は大きな獣と子供の連れ添いにも見える。冷たい腕に抱かれながらも彼の歩く揺れが何処か心地よい。

「初めて見たよ、山の外の景色」

『紗也ガ生マレタノハ山ノ中デハナク、コノ世界デス』

「私が生まれた世界?」

 機械兵は紗也の方を見ながら顔の両目を点滅させる。

『新シイ世界ニ目ヲ向ケマショウ、紗也。アナタハ、生キテイテモ良イノデス』

 その言葉が紗也の耳を響かせた。

「……本当に?」

 初めて聞いた言葉。

 ――自分は生きていても良い?

 外の世界に憧れながら死ぬことを求められてきた紗也にとって、まったく馴染みのない教えを、機械兵は言ったのだ。胸が早鐘を打ち出すと途端に、目から熱い物が込み上げてきた。目元を触ると、指先が濡れていた。雨は降り込んでいない。なのに自分の顔がどんどん濡れていく。

「どうしよう、止まらない。ねぇ、これは何? 私おかしくなっちゃったのかな」

『ソレハ涙デス。紗也、アナタハ知ラナイ事ガ沢山アル。僕達ト探シテイキマショウ』

 涙。

 これが涙。

 村人達が紗也の言葉で目から流していたもの……自分にも流れ出てくるなんて思ってもいなかった。涙を流していると、なんだか心が気持ちよくなってくる。機械兵の腕の中で、紗也は大粒の涙をこぼし、わんわん泣いた。機械兵、彼が見せてくれる世界がこんなにも美しいだなんて。紗也が過ごしてきた時間、失われていた時間がにわかに彩りを濃くしていくような、温かい感触を心のなかに抱かせている。初めての涙が止まる頃、紗也は言った。

「この世界は、美しいんだね。ジャギルス」

 機械兵ジャギルスは窓からの景色を眺めたまま、言った。

『紗也ニハ、モット世界ヲ美シクスル手助ケヲシテ欲シイ』

「何をするの?」

『僕ト生殖ヲシテクダサイ』

 聞きなれない言葉。紗也は問う。

「それは、何?」

『次ナル存在ヲ生ミ出スコトデス。世界ノ生命体ガ全テ、コウシテイルヨウニ』

 その瞬間、機械兵の口から一本の管が飛び出し先端が大きく口を開くと紗也の口元を覆った。

「むぐぅっ!?」

『不明ナデバイス・紗也トノ接続ヲ確認。共有サレタ情報ヲ同期シマス』

 さっきまでの流暢な話し方から一変して、機械兵はいきなり無機質な声に切り替わった。管で塞がれた口から何か変なものが流れ込んでくる。

(何、何、何!?)

『アクセスニ成功。同期サレタ情報ヲマザーニ転送シマス』

 機械兵から流れ込んでるのはよく分からない――感覚というべきか、謎の流動物が身体に注ぎ込まれる奇妙な感触。自分ではない何かが自分の中に入り込み、代わりに自分がどこかに出ていくような……視界の隅で部屋の中央にある機械の柱が激しく点滅して見える。不思議と抵抗する気が起こせない。

(あれ……私、なんで村に戻らなきゃいけないんだっけ)

 ――いや、戻らなきゃ。私が収まるべき場所に。

(収まるべき場所? どこだっけそれ)

 私は、私は……。

「紗也!」

 その時部屋の奥から叫び声が飛び込んだ。聞き覚えの深い声。まさか信じられない。

(鉄平!)

 丸刈り頭の少年が紗也の視界に駆け込んできた。全身はボロボロでベニカブのような顔を真っ赤にしながら彼はジャギルスまで突っ込んでその手の大鋸を振り上げる。

「紗也を放せ、この野郎!」

 鉄平の振った大鋸が機械兵の背中を捉えた。機械兵は体勢を崩し紗也を手放した。落下した紗也の前に回り込んだ鉄平は、紗也を抱き上げて機械兵から距離を置く。

 信じられない事が起こっている。何処とも知れないこの場所で鉄平が生きて私の前に現れた。

「鉄平……? 鉄平、鉄平! 生きてたの!」

「いや、こっちの台詞だよ!」

 どこを見ても怪我だらけで顔は泥や傷でめちゃくちゃでそれでも彼の声は確かに紗也の知る怒鳴り声だ。紗也の胸にはまたもや熱い物がほとばしる。

「鉄平、鉄平! もう会えないかと思ってた」

 紗也を抱える鉄平は自分の一挙一動に目を大きくしたがすぐに声を上げた。

「紗也、帰るぞ! 俺達のジプスへ」

「…………え?」

 その言葉を聞いた途端紗也に迫っていた胸の鼓動が急速に引いていくのを感じた。

「鉄平」

「なんだ、紗也?」

 泣きそうなほど顔を歪める少年に対して少女は言った。

「私、どこに帰ればいいの?」

 その時見せた彼の表情は紗也が今まで生きてきた中で最も貧弱な生き物みたいな風に見えた。

「私、ジプスには帰らないよ」

「紗、也……?」

「私、死にたくないもん」

 生まれた意味がない。アオキ村は紗也にきっとそう思わせるだろう。アオキ村のジプスは紗也が生きている事を否定する空気しか感じない。

 私は生きてちゃいけないの? 何故? 私には私の望みがある。

「私は、生きたい」

 それがたとえ生まれ育った環境に対する裏切りだとしても。

「何を言ってるんだ、紗也。俺はお前にそんなこと」

「鉄平、放して」

 鉄平の背後から機械兵が襲い掛かった。

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