ログ:アオキ村の少女・紗也(3)
鉄平が後ろに続いてそう言った。声を聞いた村人たちは一斉に紗也のいる方へ振り向いた。
「紗也様だべ!」
「ほんとだ、紗也様がいらしたぞ!」
「紗也様の前だぞ、皆の衆控えい、控えい!」
誰かがそう言うと村人は
「顔を上げてください、皆さん」
慌てるでもなくゆっくりと人々を見渡す。誰もが自分を神妙な顔で見つめている。
それとは別に、正面の男達に目を送った。
「斬らないのですか?」
そしてそう投げかけた。
「えっ、斬る? 誰を?」
赤毛の青年は面食らった顔で尋ね返してきた。
「あなた達は食糧の調達のためここを訪れた。それを拒んだ村人は、今はこの通り隙だらけ。あなたが腰に提げているのは飾りではないのでしょう?」
青年は直剣を腰に帯びていた。柄の巻布は擦れきって鞘もかなり使い込まれている。それに身振りをしている時に見せた右の手の平、農作業を日毎夜毎いそしむ村民ですら比にならぬほど皮膚が硬化していた。一度抜けばこの男、おそらく相当の使い手と見える。
アオキ村に危害を加える意思の有無、それを確認しなければならなかった。
「いやだから何度も言ってるんですよ、俺達は安全な……」
「あなたは斬られたいの?」
青年の言葉を遮ったのはもう一人のケープマントの人間だった。頭巾で顔を覆ったまま一言も喋らず、ずっと青年の後ろで押し黙っていた。
女の声だ──紗也は意外に思った。透き通った音の中に根強い芯のようなものが通っている。その声は自分に向けられた問いだと、紗也は一瞬の間を空けて理解した。
「ちょっとエリサ、小さい子どもに何てことを!」
「命の値段に年齢は関係ない」
青年から呼ばれたエリサという女は、そう言い切った。鋭く刺すような言葉に、紗也の喉元は息を留める。「答えによってはこの場で斬る」と言われているのだ。おそらくこの女は、本気で言っている。どう答えるべきか、紗也には言葉の選択肢などなかった。ゆえに、次の言葉を口にするのは何の躊躇いもなかった。
「私はこの村で最も尊い命です」
「……なるほど」
女はフードに手をかけ、それを頭上から払った。
(あ……)
綺麗な人だ。そして、青い。
顔を覆っていた日除け布は外され、現れたのは髪の青い女性だった。……いや、女性と呼ぶにはまだ若すぎる。少女だ。齢は十五、六くらい?
青い髪なんてこの世界に存在するのか、紗也はその美しさに心を奪われた。青の深い瞳は自分をまっすぐ見つめている。こちらに向かって歩きだした少女は、すらりと腰から剣を抜いた。実に自然な動作だった。
危険を感じた村人達が紗也を守ろうとエリサに組みつくが、一人も彼女を捉える事が出来なかった。紗也の目にもエリサがどのように動いたのかよく見えなかった。そして気づけば、宝石のような瞳が紗也を見下ろしていた。内心、ギュっと胸が締まるものを感じた。その手には細身の直剣が握られている。表情の変わらない心の奥を見透かすような瞳を前に、紗也は一歩も動けない。
いや、動くわけにはいかないし、動かなくともよかった。
「うおぉっ」
鉄平だ。木剣を振りかざした鉄平が自分とエリサの前に割り込んだのだ。
「紗也様には指一本触れさせない、余所者め。皆、紗也様をお守りしろ!」
鉄平の合図で村人達が二人の侵入者を取り囲んだ。
「…………」
しかし青い少女は動揺する気配もない。自分の前に立つ鉄平は「紗也」と小声で呼びかけ
「安心しろ、俺がお前を守る」
大きな背中から漏らすように言った。鉄平は肩幅のしっかりした偉丈夫で、腕っぷしも確かだ。村の大人が二人掛かりで引く荷車も彼なら一人で動かすことができる。足腰の強さは誰も敵わない。そんな鉄平の存在があの少女の前には小さく見えた。
何故なのか。紗也には理由が分からない。ただ少女の前に鉄平が相対するだけで胸中に言いようのない不安が沸き起るのだ。
「来るっ」
エリサの剣が天を突く。村人は一斉に構え、一面に緊張の波動がほとばしった。
(鉄平……)
背中に向かって心の中で名前を叫ぶ。
エリサは直剣を蒼天に煌めかせると、勢いよく地面に突き刺した。
「私の武器をあなた達に預ける。これで信用してくれないか」
青い瞳が自分に向けられ、瞳の主は口にした。
ざわめき。しかし彼女は続ける。
「私はエリサ、ただの旅人。今から武器を差し出すのは、ゲイツ」
「待って、俺まで武器出さなきゃダメなの?」
「出さなきゃダメ」
赤毛の青年はため息をつき、腰の鞘ごと近くの村人に投げてよこした。
「私とゲイツは世界をまわる旅の者。この通り、あなた達に悪い事をする気はまったくない。一杯の井戸水でもいい、少しだけ休ませてもらえないだろうか」
少女の態度は毅然としていた。表情は少なく抑揚も薄い。だがその言いようには不思議と傲慢さを感じられなかった。
紗也は何も言わない。
エリサの剣は足元に直立したまま沈黙していた。
◇◇◇
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