ログ:アオキ村の少女・紗也(2)

 櫓のある丘を通う坂道はつづら折りになっていて徒歩で行くには骨が折れる。木々が頭上に迫る山道を二人は慣れた足取りで下る。木漏れ日が差す中には緑色の風が吹き、草木の間からは夏の匂いが漂っている。

「風が気持ちいいね」

「この時季は山風の通り道だ。雨季になるまでいい風がよく吹いてくる」

 鉄平、と紗也は呼びかけて聞く。

「風ってどこから吹いてくるんだろう」

「山の向こうからだろ」

 考える様子もなく鉄平は答えた。

「山の向こうには何があるの」

「また山があるんじゃねえの?」

「じゃあその向こうには?」

 鉄平は渋い顔を浮かべた。

「知らん。生まれた時からずっとここに住んでんだ、外に何があるとか考えたこともない」

「ふぅん」

「……いきなりどうしたんだよ、藪から棒に変なことを」

「なんでもないよ。でも私は知りたいんだ、この山の向こうに何があるのかって」

 悪いイメージの話ではない。紗也は喋りながら心が明るくなるのを感じた。

 それが自分の望む唯一の夢。

 外で広がる世界にはどんな景色があるのだろう。櫓からの眺めよりさらに大きなものが待っているだろうか。考えるだけで楽しくなる、そんな夢だった。

 そう、夢だった。

「鉄平、見てあそこ。誰かいる」

 坂道からは途切れがちに村の全体がみえるところがある。紗也を我に返したのはその時だった。

 集落がはじまる森の端に、見慣れぬ装束をした人影が立っていた。

 二人いる。

 この村の住民ではない。すでに数人の村人たちが取り囲み、何かを問いただしているようだ。彼らの身振りから察するに、現地は不穏な空気らしい。

 理由はわかる。アオキ村を誰かが訪れるなんて過去に一度もなかったからだ。

「どうする、紗也」

 その光景を隣で目にした鉄平の声は落ち着いていた。紗也はただ頷いて力強く言った。

「行こう」

 アオキ村には入り口というものがない。村全体がぐるりと森に囲われて外部の干渉を一切遮断している。針葉樹が蒼々と茂る蒼き村。だからアオキ村。

 小さなコミュニティ内の住民たちは互いに支えあい助けあって暮らすことの大切さをよく知っている、温かい人柄である。

 紗也はアオキ村の人々を愛しているし、村人たちも互いを思いやっていた。それが世界に適合するための最も簡単で平和的な手段だからだ。

「誰だオメェサーは! どこのもんだ!」

「見かけねえ格好だべ、なして村の在り処がわかった!」

「はやいとこ、この村さ出てけ!」

 粗暴な声がする。紗也たちは民家の影に隠れ、村人たちが訪問者と対峙する様子を伺った。

 大勢が集まって例の二人を取り囲み、それぞれ脅すための武器を剣呑な面つきで構えている。

 その二人は全身を茶色のぼやけたケープマントで覆い、くたびれた身なりをしていた。

「いや、ですから俺達は怪しい者じゃ」

「怪しいかどうかはオラ達が決めることだ、その格好、見るからに普通の者じゃなか。この村に入れるわけにはいかん」

 周囲から同意の声があがる。話をしている男の顔はあらわになっているが、見ればずいぶん若い。髪の色もここらでは見かけない赤毛だ。額に保護眼鏡ゴーグルを当て、無造作に乱れた髪を抑えている。皮製の色褪せたケープは中に見える装束諸共ここらで知った作りではない。

「あいつは海の向こうから来た奴だな」

「分かるの、鉄平?」

 声を抑えながら鉄平は言う。

「紗良さんから昔聞いたんだよ、海の向こうには変わった髪の色した人間がいるんだって」

 赤い髪の青年は拒まれながら村人になおも語りかけている。ここに来るまで消耗しきっているのだろう、水と食糧を恵んでくれたらすぐに立ち去ると言っている。

 アオキ村を囲う森は針葉樹ばかりだ、食糧となる果実はおろか近頃は獣すら見るに久しい。よほどの運がないかぎり山の中で食べ物にありつくことは難しいだろう。

「鉄平」

「はいよ」

 紗也は空読の際にあらかじめ預けておいたものを鉄平から受け取った。民俗的な装飾がなされた首飾りである。それを身につけると紗也は呟いた。

「地を治めまします山神よ、我とその村を護りて導きたまえ」

 それで特になにか起こるわけではない。紗也がこの首飾りを身につける際唱えるよう決めている合言葉だ。鎖骨の下で飾りは大きく揺れる。紗也の小さな胸元にはやや不釣り合いのサイズだが、紗也がこの村で自分を自分たらしめるには欠かせない要素の一つだ。

 すっと気が引き締まってゆく。鉄平に目配せをし、頷きが返ってきたのを確認すると民家の影から自分を周囲にさらけ出した。

「紗也様の御成り」

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