ログ:アオキ村の少女・紗也(1)
「むぅ」
観測の結果が気にくわない。
空見櫓から望むアオキ村は簡素の一言に尽きた。山間にある集落アオキ村は豆をばらまいたように田畑に民家が散在し、四方を山で囲まれながら青空の下に収まっている。
村娘の紗也が〈
「うぅむ……ふむふむ、むむ……」
年相応にあどけない声には力んだ色が浮かんでいる。もうずっと櫓の上にいる。集中力の限界は近いはずだが観測器から目を離そうとしない。長時間粘った甲斐あって、ようやく良い結果が見えそうなのだ。
小さな手を目一杯伸ばして食い入るように観測器を覗きこむ。薄い円形のレンズがついた筒の中で雲と空が揺らめいている。
「あとちょっと。もうちょい、もう、ちょいと……ん?」
そして無自覚にも櫓の柵から身を乗り出していた。
「うわわっ!?」
ようやく気付いたのはあやうく落下の一歩手前。慌てて体を押し戻すが少々力を入れすぎていた。勢い余って身を躍らせると盛大に尻もちをつく。
「痛ったぁ!」
衝撃で、思わず目に涙が浮かんだ。
「でも、セーフ……」
なんとかこらえきった。
櫓の高さは十メートルもある。もしあのまま落ちていたら今頃少女は可哀そうなことになっていただろう。……いやな想像をしてしまったが、実際助かったのだ。ひとまず胸をなでおろす。吹き出た汗をシャツで拭って再び立ち上がった時、総身にざわめくものを感じた。柵の手すりに身を乗り出す。紗也は瞼を閉じて感覚を研ぎ澄ました。
じっと待つ……。
しばらく目を閉じていたら森の上で風がふわりと吹き、紗也の頬を撫でていった。たしかな風の感触に、大きく目を見開く。紗也は吹き抜ける風を抱き込むかのように両手をめいっぱい広げた。雲の動き、木々の音、風の涼しさが一斉になって紗也の体を包む。
(──これだ!)
すかさず観測器を目元にかざし気を集中させると、紗也の胸で熱いものが踊った。
「……読めた!」
櫓の真下をのぞきこんで、声を張る。
「
「バッキャロウ! 変なもんとか食うか、バカ紗也!」
鉄平と呼ばれた少年の怒声に紗也はまたもひっくり返りかけた。坊主頭の彼の顔は真っ赤になって眉を「逆八の字」に寄せている。
「でも鉄平、十三歳の誕生日に機械兵の油飲んで死にかけたって……」
「あん時ゃ腹減りすぎて見境なくしてたんだよ! 黒歴史掘り起こすんじゃねぇ!」
櫓の上まで飛んでくる鉄平の怒鳴り声。手で塞いでも耳鳴りが残る。こちらを見上げる鉄平の顔は白いシャツのせいで余計に赤く見える。
(ベニカブそっくり……)
と紗也はひそかに野菜にたとえてみた。ごつごつした顔がちょうど村の作物みたいに角張っていて愛嬌があるのだ。鉄平がひとしきりガミガミし終えた頃を見計らい、紗也は空見櫓から降りた。
「えへへ、待たせてごめんね、鉄平」
指をもじつかせながら上目がちに言う。相手の背丈は紗也より頭二つ分ほど大きいため今度は紗也が見上げる形になる。
……笑ってごまかせたりしないだろうか?
「おそい!」
「ひぃっ、ごめんなさい!」
そういうのは効かない性格だったと、改めて思った。
「村のみんなが働き始める前に空読は終えとくもんだって言ってんだろ! もう昼前だぞ、もっと早くなんねえのか!?」
「あははぁ……頑張ってるんだけどまだ慣れないや。ごめんなさい、
鉄平は愛想もなくフンと口をへの字に曲げた。
「謝るならさっさと出来るようになれってんだ。空読はお前しかできねえんだから」
鉄平は数歩先に転がっている木剣を拾い上げ大儀そうに振り向いた。機嫌の悪そうな表情に紗也はびくっと肩をすくめる。鉄平はその反応を見てきまりが悪そうにため息をつき、
「転んだの、大丈夫だったか」
と言った。
「えっなんで知ってるの! まさか見てた?」
「バカ言え。櫓の上であんなデカい音鳴らしてたらそりゃ気づくだろ」
「それもそっか、あはは」
「……紗也、お前は自分をもっと大事にしろ。それはお前だけの体じゃないんだからな」
「うん、がんばる!」
紗也はぱっと笑顔になって答えた。鉄平のことは実の兄のように慕っている。自分より三歳年上の鉄平はなんでもすぐに怒る短気な性格に見えるけど、本当は紗也の身を一番に案じてくれる心優しい少年だ。身体はガッチリとして声も大きい鉄平は怖い時が多いけど、たまに見せる優しさには温かい心が込もっていると紗也はいつも感じていた。
「鉄平」
「なんだ?」
鉄平の目をじっと見つめてみた。たくましく精悍な顔とは裏腹に、その目は大きく丸い形をしている。
「……なに人の顔見てニヤついてんだよ」
「うぅん。なーんでもない」
「はぁ?」
「えっへへ、いつもありがと」
「あぁ? お、おう」
その手に提げた木の直剣は彼のまっすぐな心を表していた。
紗也が櫓で観測している間、彼はずっと下に立って自分の安全を守ってくれていたのだ。空見櫓は森の中にある。ゆえに空読の役割は危険が多い。鉄平は、紗也が初めて空読をおこなった時からいつも一緒について来てくれていた。
そんな鉄平を紗也は幼い頃から大好きだった。
「空読の結果は夕方から雨だったな。村のみんなに伝えに行こう、ほら、早く帰るぞ」
「うんっ」
大きな背中を追いかけるように紗也は小走りで帰途についた。
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