異世界は英雄じゃ救えない

猫又ノ猫助

第1話 義妹と相棒と過ごす騒がしい朝

『突如世界各地で門が開かれ、混迷と血みどろの争いを経て、両世界が和平を結んだのが今から5年前。


 瓦礫の山だった首都東京は、かつての高層ビルが乱立していた時代に舞い戻り、一部スラム化していた地域も是正に向けた取り組みが進んでいる。


 そんな以前の賑わいが戻りつつある日本――地球は、されど大きく変わった部分もある。


 その最たるモノは、魔術文明の流入だろう。

 40年前、中国に端を発した門の出現による異世界人との交流は、それまで空想でしかなかった魔術という概念を、現実の法則としてもたらした。


 結果、それぞれの国が様々な手段を講じて我先にと魔術を研究していったが……どの国も魔術師を生み出す事が出来なかった。


 それは何故か?


 答えは単純で、地球人には異世界人が先天的に所持している魔術を使うための神経を体内に保有していなかったためである。


 であるならば、地球人は魔術を学ぶことをあきらめるのか?


――否、我々はそんなに物分かりが良くない。


 早く走れなければ代わりに走れる物を、海に長時間潜れなければ潜るための機材を、空を飛べなければ飛ぶ技術を生み出してきた地球人である。


 必然我々は魔術を扱えるようになる機械――魔法器を作り上げた。


 現在では生活に広く浸透している魔法器であはあるが、その歴史が血にまみれている事を決して忘れてはならない――。』

――アレクサンダー・フットマン著


「……それでも人類は魔法器をもう手放せねぇだろ」


 俺は思わずそう口走りながら、持っていた本を屑籠に放り投げた。


『行儀が悪いですよマスター。というかその本は元々出版社から批評してほしいと言って送られてきたものですよね?』


 営業時間外の店内に、やや棘のある女の声が響き、思わず溜息を洩らした。


「はぁ……お前は相変わらず口うるさいな、そんなんじゃ嫁に行けないぞSeven」


 カウンター上に置いてある『魔法器専門店 マジックルーラー店長 赤羽 瞬』と書かれた名刺の上で、紫色の宝石が明滅する。


『私がどこかに行くわけ無いじゃないですか……なので、さっさと新しいネックレスの先端に付けなおして下さい』


「へぇへぇ……まさか魔法器を繋げてたチェーンが切れて便所に落ちるとは思わんよな」


『ええそうですね、もしチェーンだけでなく私も便器に落ちていたら……マスターの秘蔵写真が各方面に流出していたでしょうね。主に私の逆恨みで』


「間一髪だな、俺が!」


 思わず握っていた取り付け用のチェーンを安い銀製のものから、ショーケース内に有った売り物の魔法銀で出来た高級品に持ち直し、首から下げられる様に相棒を取り付けていると、カウンターの裏に在る2Fへ通じる階段から人が下りてくる音が聞こえた。


「兄さん、お醤油の予備って何処にある?」


 そう言って顔を出したのはセーラー服の上からエプロンを羽織り、今は腰まで伸びた真っ黒い髪を頭巾でまとめた義妹の優里だった。


「何処にある、相棒?」


 台所事情何てカップ麺の位置くらいしか把握していない俺は、速攻相棒に問いかけると、ため息を吐かれた。


『はぁ……マスターの家でしょうに。予備の醤油は、ガスコンロの上にある棚の右から3番目です』


「ありがとう、Sevenさん」


 そう言って制服の裾とエプロンを翻し、上機嫌そうにお玉を振りながら2階に上がっていく義妹に思わず苦笑を漏らす。


『どうしたんですか?シスコンマスター』


「誰がシスコンだ……いや、いくら何でもアイツに甘えすぎてるかなってな」


『は?今更ですか、マスター。炊事、掃除、洗濯、店番に至るまで暇さえ有れば押し付けているマスターは、ヒモ男でさえドン引きですよ』


 そう言って相棒に口汚く罵られるが、返す言葉も無い。そもそも優里は、日本の防衛を担っている国際防衛機構(IDO)日本支部の附属高校で学ぶ現役の訓練生なのだ、一部の訓練を特殊な事情から免除されているとは言え、学業と訓練の両立は容易でないだろう。


 それでも……他人に迷惑をかけていると分かっていても、俺は何かをやる気力が起きなかった。


 例えどれだけ努力を重ねても、世界は変わらないし、寧ろ回りが不幸に成るだけならどうしてやる気が起きようか?金銭を得るための最低限の努力と、仕事さえしていれば問題が無いのではないか?思わずそう考えてしまう……いや、義妹には心底悪いと思っているが。


 そんなことを考えていると、耳に着用していた携帯端末が振動したので軽く触れ、通話モードを起動する。


「はい、こちら魔法器専門店マジックルーラーです」


「よぉ瞬、元気してたか」


 営業用の声で自分なりに張り切って出てみたものの、耳に入ってきたのは、今も定期的に会っている、以前の仕事の上司の低音ボイスだった。


「なんだ、長官か」


「なんだとは失礼な奴だな。所で、優里ちゃんは今日もお前のところか?」


 そんな長官の声に、俺は思わずため息が出る。また相棒みたいに、優里に迷惑をかけるなとかそう言う類の話か?


「苦情なら受け付けてねぇぞー」


「は?なんだ急に。優里ちゃんも居るなら丁度いい。今日の昼の講義ついでが終わったら、夕方二人でセンタービルに出頭してくれ。ちょっとした仕事の依頼が有るんだ」


「ちょっとした……ねぇ」


 長官――国際防衛機構(IDO)日本支部新宿基地長官 後藤大輔大佐。


 5年前に収束した大戦中に数々の功績を残した、日本が誇る英雄の一人である人物からの、ちょっとした仕事の依頼……やべぇ、超やりたくない。


「すいませんが、今回はご縁がありませんでした。IDO日本支部の今後のご健勝をお祈りしています」


「はぁ、断るだろうとは思ってたが即断か……いいか?心して聞けよ?」


 長官はそう前置きすると、通話口にも聞こえるほど一度大きく深呼吸した後、言葉を発した。



「第13特殊実験小隊」



――ドクンと心臓が跳ねる音を聞いた。



――同時に全身から血の気が引いていき、夏だと言うのに震えが止まらなくなる。



――視界が波打つように揺れる中、なんとか震える唇で言葉を返す。



「……なんでいきなり、その名を?」


「瞬、色々言いたいこともあるだろうが、講義が終わった17:00頃に新宿基地センタービルに来い。今から8年前、お前が19の時まで居た古巣に関わる話だ」


 長官はそれだけ言うと、ブツリと通話を切った。


『マスター、無事ですか?マスターッ』


 通話が切れると同時に、声を張り上げる相棒。相棒とは長い付き合いになるが、こんなに取り乱した声は初めてで、逆にそれを聞いて俺は暴れ回っていた心臓が徐々に戻ってくるのを感じる。


「どうしたんですか!? Sevenさん」


 相棒が上げた声が聞こえたのだろう、珍しくドタドタと音を立てて降りて来た優里に思わず苦笑いする。


「驚かせて悪かった。ちょっとばっか聞きたくない名前を聞いたもんで、取り乱した」


「どうしたんですか?突然……」


 心配そうに寄ってくる優里に言おうか一瞬判断に迷ったが、コイツも関係ある事を思い出して口に出す。


「長官から13小隊の件で話が有るって来てな」


 そう言うと、優里は息を飲むと俺と相棒を交互に見た。


「なぜ……今更?」


「さぁな、ただ行かない訳にも……行かないだろ。大切な仲間だったんだから」


 俺が19の時まで過ごした、場所であり……相棒と出会う前、優里とも兄妹に成る前に過ごしていた俺のかつての帰るべき場所だった。


 当時の事を忘れたことなど、一日たりとも無い。


  馬鹿をした、下らないことをした、どうしようも無いことをした。


 笑って、泣いて、叫んで、怒って……そんな普通の人間らしい感情を、まだガキでしかなかった俺に教えてくれる人達がいた場所だった。


 同年代の学生の様にはいかなかったけれど、それでも俺は恵まれている……そう思わせてくれる人たちだった。


『マスター、だったとはもしかして……』


「あぁ」


 嗚咽も、絶望も、慚愧も、思い出も――すべては過去の話。


 大切な物は全て手から零れ落ちていった。


「みんな死んだよ、一人残らずな」

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