160話 空に祈りを

吐息が白く滲む。

樹海を切り開いた道は、いつしか山道へと姿を変貌させていた。


振り向けば広大な樹海の先に、神々の境界線が朧気に浮かんでいた。

まるで漆黒のカーテンのように世界を隔絶している。


「うわぁ、凄い高さ」


山道の崖から下を覗くシスが呆れ混じりの感嘆を漏らす。


「…空気が薄いですね」

「まだ登るのぉ?あたし疲れたぁ」


何度目かの駄々をこね始めるが、それを無視して歩き続ける。


「ちょっと待ちなさいよ!」


これは彼女の退屈しのぎ。

まともに相手をする方が馬鹿を見るのだ。


その証拠に口元は下品に釣り上がり、嗜虐的な笑みを浮かべている。

足取りは軽く、疲れを感じさせない。

そんなシスを一瞥すると、再び山道を歩き始めた。

 

やがて、傾斜がなだらかになってくると多くの人の気配と共に肉を焼く香りが鼻腔をくすぐり始める。

それにともない人々の喧騒は大きくなり、広々とした山頂に到着した。


「何してるんだろ?」

「さあ?なんですかね?」


賑わいを見せる簡素な広場がそこにはあった。

目に付くのは多くの人々と、多種多様な出店だ。


幸せそうに肉を頰張る者。

地べたに座り酒を酌み交わす者。


そんな様々な光景と雑踏を見ながらシスと露店を巡る。


「祭りでもあるのですか?」

「ん?あんたら流星群に祈りに来たんじゃないのか?」


露天商から串に刺さった肉の塊を買いながら、聞いてみる。

互いのギルドカードで金銭のやり取りができるのは便利だ。


「旅の途中ですよ」

「なら、良い時に来たな。今夜が祭りの本番さ」


行き交う人々は確かにどこか興奮気味に見える。

皆一様に歓喜と期待の表情を見え隠れさせていた。

肉を受け取り、空を見上げれば夕焼けに染まり始めている。


「せっかくだから、見てく?」

「シスは見た事があるのですか?」

「遠くからね」


肉を貪りながら頷くシスを連れ、広場の隅に腰をかけ空を見上げる。


「…肉は土に還り、魂は空を巡る」

「なんですか、それは?」

「知らないの?魔族の信仰よ?空を駆けた魂は土に還り、生まれ変わるって言われてるじゃん」

「…前にも言いましたよね。私の生まれはちょっと特殊なんですよ」


…輪廻転生か。

ただその概念は理解できた。


「…全然信じてないって顔だね」

「…シスは信じているんです?」

「……」


彼女は何も言わず、薄暗くなる空の瞬きに目を向ける。


「次はもっと普通の子に生まれてきたいのよ…普通に生きて…普通に死ぬ」


その横顔は普段とは違う影を湛えていた。


「私は…」


多くの分かれ道を選んだ先、ここに辿り着いたのだ。

生まれ変わったとして、記憶を持たなければそれは私ではないだろう。


「…わかりませんね」

「なによ?後悔も何もないって言うの?」

「…そんな事ありませんよ」


むしろ後悔の連続だろう。

あの時、違う道を選べばなんて思い出したらキリがない。


ただ、


「それを否定したら、今の私はいませんから…」

「…クソみたいなやつ」


そんな言葉とは裏腹に、彼女は何故か笑みを浮かべた。


「あ、流れた」


一際目立つ明るい星が、夜空に色を刻み駆け抜けて消えていく。

次の瞬間には赤と緑色に輝く尾が夜空を貫いた。


それに続くように次々と眩い光が駆け抜けていく。

まるでこの世界に光が満ちるような幻想的な風景だ。


シスは瞳を閉じると両手を合わせ、祈るように頭を垂れる。

周囲の人々も目を閉じ両手を合わせ、空に向かって頭を垂れていく。


…ただの燃えカスですよね。


虹色の軌跡が夜空に延々と続いているだけ。

そこに魂があるとは思えなかった。


そんな私を他所にシスは瞳を閉じたまま動かない。

いつもの悪態は影を潜め、本当に小さな祈りを捧げているように見えた。


魂があるわけない…とは言えないよな。


気づけば私も瞳を閉じ、遠い昔の友人達へと思いを馳せていたのだった。

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