132話 ドブ鼠

——名無しさんは、抜き身の刀のようです…


遠い昔の友人の言葉が脳裏を過る。


周囲には屈強な男達が、拘束されていた。

ほんの僅かな魔力を込めるだけで、彼らの人生はここで終わるだろう。


引き金を引いてやればいい。

何度もやってきた事だろ?


——その口調はやめろ…アリスじゃねぇみたいだ


そうだな。

まだこっち側でいたいんだよな。


——ああ、可愛いアリスちゃんはもうやめだ。残念だったな


——魔大陸に行けば、全力が出せるかもしれませんね


様々な記憶が濁流の如く押し寄せる。

その度に矛盾した気持ちが湧き上がるのだ。


——蟻を潰して、何が楽しいのだ?


——故郷にはバケモノが、退屈しない数だけいるのじゃ


…そうだな。


「…はは」


そんな乾いた笑い声と共に右手を下ろす。

そして、拘束を無理矢理解こうとしたのか鮮血が飛び散る桃色髪の少女へと視線を向ける。


「…さて」


そろそろ真面目に案内をしてもらいましょうか、と言いかけた時だった。


「…ふふっ、あははっ」


哄笑が響き渡る。

心底嬉しそうな表情だ。


「…おい」

「おいおい、何をやってるんだい?君達は」


その声に振り返ると、奥の建物から出てきたばかりの白髪の男が立っていた。


年齢は30歳程だろうか?

長身の男が薄汚れたコートを揺らしながら近づいてくる。


「フランク、なんだいその間抜けな姿はさ」

「…おかしら」


影に縛られた男達をからかいながら、こちらへと歩いてきた。

飲みかけの酒瓶を手に、煙草を咥えながらだ。


まるで酔っぱらいのような足取りで、白髪の男は俺の前に立った。


「あんたは見ない顔だけど…よぉシス。君にこんな趣味があったなんてな」

「ぶっ飛ばされたいの?この酔っぱらい」


まるで戯れ合うように彼女は答える。

どうやら少女の名前はシスというらしい。


「おぉ、怖い怖い」


そう言って、彼は笑う。


「で、そいつは?」

「ポチだよー」

「犬かよ…」


俺は溜息を吐くしかなかった。


「…へぇ」


白髪の男が、値踏みするような視線を送ってきた。


「注文なら、奥でしてくれたまえ」

「…ん?」


影に縛られた異様な光景が存在しないかのように、男は踵を返すと建物の中へと消えていく。


「…なあ」

「まだわからないの?お兄ちゃん、もしかして馬鹿?ここがドブ鼠よ」


辛辣な言葉と冷めた視線が飛んできた。


…なるほど。

言葉通り案内はしていたわけか。


白髪の男が消えた建物へと足を向ける。

その後ろで拘束された少女が変わらぬ声色で話しかけてくる。


「ねぇ、あたしはこのまま?」

「……」

「ちょっと何無視してるのよ!この拘束野郎!変態!」 


その声を無視して、身動きの取れないフランクと呼ばれた男に問いかける。


「北区十番街の酒場で合ってるか?」

「…あぁって知らずに来たのか?」

「案内人があれなんでね」


後ろで騒ぐ声に親指を向ける。


「ねぇ…ごめんてばぁ、ちょっと悪ふざけしただけじゃん」


もしばらく縛っておけば、大人しくなるだろうか。


「…騒がせたな」


そして、影の呪縛から全て解き放された男達を尻目に建物の奥へと進むのだった。

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