89話 魔の森と聖女と魔大陸

草木が揺れる。

その音を聞きながら、私達は黙々と歩を進めていた。


先程まで聞こえていた虫の声は、いつしか静寂へと変わっていた。

代わりに風の音が耳につくようになる。


見渡す限り、どこまでも続く平原。

まるで緑の絨毯が敷かれているようだ。


遠くに見える山脈が目印となって、方角を確認する事ができる。

太陽が天頂を通り過ぎ、傾き始めた頃、ようやく建物が見えてきた。


「しばらくの意味を、問い質したい気分です」

「…俺もだ」

 

視線の先には、小さな砦が周囲を堀に囲まれて、鎮座している。

二階建ての石垣は、所々に修繕の跡が見えた。

お世辞にも、立派とは言えない建造物であった。

 

「これが冒険者ギルドですかね?」

「たぶんな」

 

外壁には小さな扉と、門番の姿が見える。


…ここから、始まるんだな。

 

遥か昔に大陸を開拓した冒険者達。

だが、国家として平定された大地に彼らの居場所はなく、やがて浮浪者一歩手前の根無し草が、その日を生きる為に日銭を稼ぐ場所となっていた。


そんな現実に、夢がないと嘆いた遠い昔。

諦めていた冒険が、きっとここから始まるのだ。

 

「とりあえず入ろうぜ」

 

感慨深く眺める私に、シャロンは声をかける。

彼女の言葉に従い、堀にかけられた橋を渡ると、建物の正面に向かった。

 

「お二人さん?冒険者になりに来たのかい?」

「ええ、そうですよ」


建物の前にいる兵士が声をかけてきたので、思わず笑顔で答えた。

彼はまじまじと私達を見比べた後に、笑みを浮かべる。


「じゃあ、中に入りなよ」

「ありがとうございます」

 

彼の言葉に礼を言うと、扉に手をかける。

軋む音を出しながら扉が開くと、その先には大きなロビーが広がっていた。

 

左右に伸びる通路は、薄暗く先が見えない。

ロビーは静まり返っていて、冒険者の姿はなかった。


「随分、簡単に入れるのですね?」

「魔大陸に行こうなんて馬鹿は、大歓迎なんじゃねえのか?」

 

シャロンは、愉快そうに笑っている。

カウンターへと向かう。

 

受付の女性が、私達の存在に気づくと顔をあげた。

黒髪を三つ編みにしている、地味な印象の女性だ。

 

「こちらは、冒険者ギルドですが?」

 

彼女はこちらを見ると、怪訝そうな表情を浮かべた。


先程の兵士が特殊で、これが当たり前の反応なんでしょうね。

シャロンは黙っていれば、見目麗しい令嬢に見えるし、私に関しては言いたくはないが…小さいのだ。


「ああ、魔大陸行きだろ?」

 

そんな受付嬢に、シャロンは当然のように声をかけた。

その一言を聞いた彼女は、まるで何回も繰り返したような諦めの表情を浮かべて、深いため息をついた。

 

「ステータスを開ける方は左の通路を、開けない方は右の通路をお進み下さい」

 

そして、機械的な抑揚のない声で説明を始める。


「なら、俺はこっちだな」

 

シャロンは左の通路を確認すると、私を見た。


左に進めば、ステータスを確認されるリスクがあるのでは…。

少し考え、出来れば見せたくないと結論を下す。


「私は右ですね」

「おい、行き先は一緒なんだろうな?」

 

珍しく真剣な表情で、シャロンは受付嬢に尋ねた。

私はといえば、早くこの先に進みたくて、通路をチラチラと横見する。


「ええ」

「なら、いいけどよ…」

「じゃあ、私は行きますよ?」

「あぁ…」

 

珍しく不安そうな彼女を尻目に、さっさと歩き始めた。


大昔に憧れた冒険者になれるのだ。

化け物がひしめく、魔大陸に行けるのだ。


右の通路は、薄暗い廊下が続いていた。

上機嫌でスキップを踏みながら、廊下を進んで行く。

その先には、外に通じた大きな扉が口を開けていた。

 

「…人の気配がしますね?」


外に出ると、そこには二人の男がいた。

壁に寄りかかり立っている長身の男と、地面に寝転がっている男だ。

 

「なんだ?迷子のガキか?」

 

長身の男が、私に気がつくと声をかけてきた。

どうやら、子供扱いされているようだ。

 

「冒険者になりに来たんだよ」

 

だが、今の私は機嫌が良かった。

こういう馬鹿な空気を感じたくて、旅に出たのだ。


「へぇ…」

 

ただ彼は私を馬鹿にする事なく、驚いた表情を浮かべた。

そして、興味を失ったのか視線を逸らす。


周囲を確認する。

二人の男以外には馬車が一台。

そして、こちらに通じる出口は、私が通ってきた一箇所だけだ。


…シャロン?

受付嬢は行き先は一緒だと言ったが、彼女の姿が見当たらない。


そんな時だった。

 

「時間だ!乗りな!」

 

馬車から降りてきた御者が、声を上げる。

 

「やっとかよ…」

「ふぁ〜あ…長かったぜ…」


2人の男は伸びをすると立ち上がり、馬車に乗り込んだ。

 

「あの…連れが来るはずなんですが」

 

御者におずおずと尋ねると、馬車に乗る2人の視線が私に集まった。

 

「連れ?逆の通路に進んだのか?」

 

御者は、不思議そうに首を傾げる。

 

「…ええ」

「なら、あっちで合流するんだな」

 

そう言って、馬車に乗れと指差した。

私は大人しく指示に従う事にする。


…シャロンとは、目的地が同じなのですよね?

そんな疑問が浮かんだが、口にしても答えが得られる訳もないと諦めるのだった。


やがて、私達を乗せた馬車はゆっくりと走り出した。

辺りの風景が、流れるように変わっていく。


「…東に向かってますね」

 

遠くなる砦を、ぼんやりと眺めながら呟いた。

御者を見ると、無言で前方を見つめている。


その視界の先には、山々が連なっているのが見えた。

だが、深い森の姿はない。


「…正教の話は、ほんとだったんだなぁ」


先程まで地面に寝転がっていた男が、前方を眺めながら、呟く。


「馬鹿言えよ、魔の森だなんて、ありもしない昔話だろ」


長身の男は、くだらないとばかりに鼻を鳴らす。

だが、その言葉に反応したのは私だった。

 

「正教と魔の森とは、なんです?」

「うん?この辺り出身じゃないのか?」

 

長身の男は、怪訝そうに私の顔を覗き込む。

 

「…北から来ました」

「へぇ、なら知らないんだな」

「はぁ…」

 

曖昧に返事を返す。

 

「大昔は、この辺り一帯が森で覆われていたっていう眉唾な話よ」

 

私の様子を見た彼は、ゆっくりと語り始めた。


「それを聖女様が魔物ごと焼き払って、道を切り拓いたって言うんだからよ、笑っちまうだろ?」

 

そう締めくくると、面白そうに笑った。

 

そんな彼を見つめながら、ある事を考えていた。

…いや、まさかね…。


「おっと、正教の信者だったか?」

 

長身の男は黙る私を見て、慌てて取り繕うかのように口を開く。


「いえ、違いますよ」

 

そう言って、魔の森が広がっていたらしい草原を眺める。


それを直接見た事はなかった。

だが、確かにそれは存在していた。


そして、エリー様でさえ、まともに進めなかった魔の森を焼き払ったフォルトナ正教の聖女。

砂の王を、単独討伐するその魔力。


——聖女様が魔大陸を見つけちまったせいで、今があるんだぜ?


「…まさかね」


脳裏に浮かんだその姿に、苦笑いを浮かべるのだった。

 

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