第17話 獣人の宴
人の習慣というのは、簡単に変わるものではない。
まして、百年以上の歳月となれば、それはもう習性と呼んでも差し支えないのではないだろうか?
おはよう諸君、今日も良い昼下がりだ。
なんて言い訳を隣人の壁に告げた所で、ベッドから起き上がる。
「…今日は良いかな」
何がとはあえて言わなくても、隣人は理解してくれるだろう。
そして、窓を開けると空を駆けた。
目指すは国民街だ。
夕食を食べずに寝落ちした為、胃袋が空腹を訴えているのだ。
認識誤認の魔法で城壁を越えると、決めていた懐かしき店の前に立つ。
獣人の宴と書かれた酒場だ。
王都エルムで、もっとも古い獣人の酒場であり、今や二階建の高級店となっている。
あいつが居なくなって、しばらく立ち寄らなかったら、いつの間にか庶民お断りの高級店になってましたね。
遠い昔を思い出し、苦笑いを浮かべる。
百年近く前に、久々に立ち寄ろうとしたら、中から出てきた貴族様に、汚い物を見る目で見られたのだ。
まあ、実際に小汚い格好でしたが。
そして、それ以降、立ち寄る事はなかった。
だが、今の私は違うのだ。
いや、確かに格好は使い古したローブで、小汚いかもしれない。
しかし、腰に下げた袋には、金貨3枚があるのだ。
昔にはなかった自信が、今はある。
そう確信して、重厚な扉を開けた。
飛び込んできた光景は、ホテルのエントランスホールのようだった。
赤い絨毯が敷かれ、2階へと続く階段が目に映る。
1階は食堂なのだろうか、階段の左側にテーブルが広がっていて、小綺麗な格好をした国民が大きな窓から差し込む光と共に、食事を楽しんでいた。
「随分、変わりましたね…」
私が知っているのは、カウンターとテーブルが数席の小さな酒場なのだ。
もう何も残っていないのかと寂しい気持ちを抑えて、中を進む。
「うん?」
そして、2階へと続く階段の下の空間に、懐かしい光景を見た。
それは、古美術のように一角を切り取られた、昔のカウンターだ。
壁に沿って建てられた棚は当時のままで、色々な種類の酒が置かれている。
そして、カウンターには獣人のバーテンダーが一人。
客はいない。
「ここで飲めますか?」
昔のままだなと懐かしくなり、カウンターの椅子を撫でる。
バーテンダーはこちらを見て、少し驚きながらも、
「ああ、ここはあんたみたいな小汚いやつの特別席さ」
そう言って、ニカっと笑った。
口は悪いが、これも懐かしい雰囲気だ。
「どの席に座る?」
私が座る席は、いつも決まっていた。
一番奥の壁際だ。
だから、そこに座ろうとするのだが、
「そこは貸切だぜ?ずっと昔からな」
「…そうですか」
私の指定席のはずだったのだが、それも遠い昔か。
「お客様のお名前を伺っても?」
私の沈黙に、なぜか男は丁寧な口調で聞いてきた。
なぜだろう?
何かを期待する自分がいた。
だから、私は…
「…名無しですよ」
私の言葉を男は噛み締めるように、大きくうなづいた。
王都の国民街で、名無しはありえないのだ。
そして、
「…先代からずっと…ずっと…受け継いできた言葉があります」
男の瞳に涙が浮かぶ。
「…おかえりなさい、名無しさん。ようこそ、ルルの酒場へ」
あのバカめ…。
私はいつもの席へと座る。
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