第59話 砂の王 前編 改稿

北の砂漠


鮮血が飛び散り血煙が上がる。

怒号や悲鳴が響き渡り、阿鼻叫喚となっている戦場はまさに混沌としていた。


「ッ!?」


馬車から空中へと投げ出された俺は、金色の砂に転がりながら落ちた。

真横には女騎士の姿。


遠くの砂丘には、苦々しい顔で周囲を見下ろすマリオン。


——ブオォォォォ!


戦場には撤退の合図の角笛の音が鳴り響く。

俺は砂まみれになった服を軽く叩くと、立ち上がった。


「ぐああぁぁ!」

「このバケモノがぁっ!」


叫び声に視線を向ければ、目前には巨大な魔物の姿が映る。

岩肌の様な鱗に城壁のように高く長い体軀。

真紅の瞳が俺達を見下ろしていた。

 

大きく開かれた口に並ぶ牙は鋭く尖っている。

例えるなら蛇だが、手足がないという事しか共通点はない。


そんなお伽噺の世界のバケモノが小さな虫を潰すように逃げ遅れた傭兵を敵兵を騎士を蹂躙する。


巨大な牙に挟まれた男の腕が見えたかと思うと、骨ごと噛み砕かれる音が響く。

四肢を引き千切られた死体が宙を舞う。


ここはまさに地獄だった。


……

………


数刻前


——突撃ぃ!!


砂漠に響き渡る騎士の声。


傭兵達が標的の要塞へ走り寄るのと同時に、後方の魔法部隊からは城壁の前に布陣する敵兵に向けて炎槍が次々と放たれる。

それは相手も同じ事で、魔法と弓矢が交錯した。


——ドゴォォォォン!


着弾した炎弾により、爆風と共に黒煙が吹き上がる。

こちらの方が質が良いようで爆炎が晴れる頃には、傭兵達が敵陣へと斬り込んでいた。


「距離を詰めて城壁の上を狙うわよ!」


マリオンは御者の席で魔法を放ちながら、騎士達へと指示を出している。

報告より敵兵が少ないのか、城門の前は既に敵味方が入り乱れる混戦になっていた。


黄金色の砂が血で赤黒く染まっていく。

このままいけば、要塞の中に斬り込むのも時間の問題だろう。


誰もがそう勝ちを確信していた時、


——ズズッ


地響きのような小さな振動を感じた。


「…地震?」


そう思った瞬間、目の前の砂が盛り上がる。

いや、盛り上がったのではなく地中から何かが現れたのだ。


——ズドォォン!!


「うわぁッ!?」


俺が乗る馬車が、真下から突き上げられた何かに吹き飛ばされる。


木で組み立てられた馬車は、その衝撃に耐えきれず粉々に粉砕されてしまった。

宙に投げ出された俺はそのまま重力に従い落ちていくが、何とか体勢を整えて着地する。


「くッ!?」


女騎士も俺と同様に、地面に着地して辺りを見回していた。

 

マリオンは魔法で軌道を変えたのか、少し離れた後方の砂丘に無事着地したようだ。

第三騎士団が彼女を目印に集結しようとしている。


辺り一面は舞い上がった砂埃に包まれ視界が悪いが、何かが暴れ回る轟音と悲鳴だけが響いていた。


「…動くな…背を低くしろ…」


女騎士は剣を構えると、小さな声で呟く。

やがて砂埃が収まると見えてきたのは、巨大生物であった。

細長い体は蛇の様に見えるが、岩石のような鱗がそれを否定している。


「なにこのバケモノは!?」


マリオンの声が遠くで響く。


彼女の視線の先には大きな口を開ける魔物の姿。

そこには先ほどまでの戦場の姿はない。


地面は陥没し、隆起した砂丘には無残にも肉片となった敵味方の死体。

そこはお伽噺の世界のような光景であった。


——グルルァァァァ!!!


鼓膜を震わせる魔物の叫び声が響く。


「マリオン様!?」


騎士達が指示を仰ぐように集まる。

彼女は砂丘から見渡すと、ある一点で動きが止まった。


「……」

「……」

 

俺とマリオンの視線が交差する。

駆け出せば届く距離だが、バケモノの胴体がまるで城壁のように行手を阻んでいた。


地中から前衛の傭兵団と中衛の司令部に不意打ちを受けた混合軍は、後衛の騎士団と分断され、大混乱に陥っている。


唇を噛み締め、泣きそうにも見える苦い顔をした彼女は、


「…撤退よ」


——ブオォォォォ!


戦場だった場所に、撤退を指示する角笛の音が響き渡った。

砂丘から第三騎士団の姿が消える。


マリオンは再びこちらを見ると、二度と振り返る事はなく撤退していくのだった。


「マリオン様はご無事のようだな」


後方に消える主人の姿を確認しながら、女騎士は構えていた剣を下ろした。


「そのようですね」


右手の紋様が真紅に染まる。


「逃げれると思うか?」


——グルルァァァァ!!!


巨躯に似合わず長い胴体をくねらせると、その巨体は信じられない速度で動き出した。

巨大な質量は高速で移動しながら周囲を薙ぎ払い、押し潰し、ご馳走を楽しむように逃げ遅れた者達を飲み込んでいる。


そんな悪夢の如き怪物の蹂躙を目にしても、女騎士に動揺する様子はない。

そして、俺は凄惨な場面を目にする度に、吐き気が収まっていくのを感じていた。


…これが慣れるという事なのだろうか。


「なかなか厳しいと思いますよ?」


傭兵達も爆裂魔法を撃ち込み、剣で斬りかかるが傷すらつけられていない。

すぐに潰されて血飛沫と肉片に変わるだけだ。


「おまえは気に入らない男だが、死ねばマリオン様が悲しむ」


そう言って、女騎士は俺の前に出た。

既に生き残りは少なく、周囲には俺と彼女だけとなっていた。


「…最善を尽くそう」


細い身体で剣を構えるが、とても太刀打ち出来るようには見えない。

それでも、その瞳には決意が宿っていた。

震える事なく真っ直ぐな視線は揺るがない。


「…怖くはないのですか?」


思わず尋ねてしまう。


「…怖いさ」


しかし、返ってきたのは予想外の答えだった。


「死ぬのは誰だって怖い」

「なら…」


…なぜ、彼女は立ち向かえるのだろう?


そんな事を考えている間にもバケモノはこちらに狙いを定める。


——グルルァァァァ!!!


獲物を見つけ喜ぶように咆哮をあげた。


「…だがな」


鋭い牙が並ぶ口がからは、血塗れの肉片が滴り落ちている。


「…私は騎士だ」


ただ小さく呟いた。


——寝て起きて、食べて犯す…まるで獣だな


彼女の言葉が甦る。


——もっと誇り高い剣士だと思っていた


その言葉が胸に突き刺さる。


…誇り高いか。


——おまえらみたいのとは違うんだよ


何かが俺の心を動かし始めた気がした。

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