第34話 魔法文明 改稿
ガレオン子爵邸 二階
蛇口を捻ればお湯が出る。
そんな魔法のような現象が、当たり前だった俺の知る世界。
そして、この世界には文字通り魔法がある。
ゲストルームの謎の扉の先には、蛇口を捻るとお湯が出るシャワー室があったのだ。
さすが、貴族様のお屋敷。
思えば奴隷商人の屋敷では、井戸から汲んできた水を魔道具の釜の中に入れ、風呂代わりに浴びていた。
エリー様に買われ中心街に住んだ時は、街中に公衆浴場があったが、男女別風呂という関門。
一見、少女にしか見えない俺が行けるはずもなく、井戸の冷たい水で身体を拭く毎日。
…蛇口を捻る。
——シャアアアーッ
暖かく降り注ぐ湯の雨が、汚れた身体を洗い流す。
頭から被り、泡立つ石鹸で身体を洗うと、備え付けられていたタオルを使って水気を拭き取る。
「…ふぅ」
魔法文明と製作者に感謝をしつつ、久しぶりにサッパリしたのであった。
それから、部屋に戻りしばらくベッドでゴロゴロしていたのだが、窓の外はすっかり暗く、夜になったのだと気付く。
辺りは既に夜の闇に包まれており、時折吹く風に草木が小さく揺れる音が聞こえてくる。
——コンコン
「どうぞ」
扉がノックされ返事をすると、騎士隊長が姿を現した。
「マリオン様から伝言です。明日、賢者の書の手配が取れた事と、本日の夕食はマリオン様がお疲れの為、個別に部屋にお持ちします」
直立不動で、用件だけ言うと一礼した後、男は扉を閉めた。
「……?」
あまりに礼儀正しい姿に違和感を覚える。
主人の奴隷と騎士、立場は騎士の方が上ではないかと、疑問を抱く。
同時に、賢者の書を明日見れるのかと、胸が踊るのであった。
「…腹減ったなぁ」
ソファに腰を沈め、そんな事を考えていると空腹感が襲ってくる。
不思議なもので意識すればする程に、腹が減ってくるのだ。
——コンコン
するとまた、扉をノックする音が鳴った。
「どうぞ」
返事の後、扉が開いた先を見ると、先程とは違い、軽鎧を着た女性が立っていた。
金色の髪は短く揃えられており、肌は白い。
だが、その眼光は鋭く、整った顔は無表情とも取れるほど表情がない為、冷たい印象を受けた。
「…夕食をお持ちしました」
そう言ってお辞儀をした彼女の後ろには、料理を乗せたカートを押すメイドと、コックと思われる男の姿が確認できた。
「料理人がいたのですね?」
「私共はこの近くに店を構える者でございます。ただ貴族様からご依頼がありましたら、出向かせて頂いておりまして…」
…なるほど。
料理人やメイドを常駐させない貴族の為のサービスか。
テーブルに料理を配膳するメイドを目で追いながら頷く俺に、彼は口を開く。
「お気に召しましたら、是非当店へお越し下さい」
…なるほど。
彼らはプロなのだろう。
その所作は洗練されている。
そして、俺の身体に刻まれた紋様を見ても、眉一つ動かさない。
…いや、事前に伝えられているのか?
笑わせてくれる。
奴隷が通える店なのかよ?
「ありがとうございます」
だが、俺は笑顔を作る。
こんなクソみたいな世界で生きていく為に必要だからだ。
「前菜は、春野菜のレモン仕立てでございます。次にスープは…」
前菜からデザートに至るまでのフルコースの説明を一通り受けた後、俺は目の前の料理に目を向ける。
肉に添えられたレモンの香りが、鼻腔をくすぐった。
メインディッシュである鳥の香草焼きは、その匂いからして食欲をそそられるのだが、表情には出さない。
テーブルマナーが何の為にあるか、わからなかった。
だが、今なら少しわかる。
己の気高さを示すのだ。
この世界で初めて見る豪華な食事だろうとも、俺はそれが当たり前だった世界を知っているのだ。
決して、卑しく振る舞ってはいけない。
「パンとライス、どちらに致しますか?」
「…ライスを」
そして、食前酒が注がれる。
俺の手は動かない。
「では、ごゆっくりお楽しみ下さい」
コックとメイドはそう言い残して部屋を出て行く。
その後に続くように、
「何かあれば、呼んで下さい」
「…あの」
女騎士が立ち去ろうとしたので、思わず声をかけてしまった。
…どうしても確認しておきたい気持ち悪さがあるのだ。
「お聞きしても、宜しいでしょうか?」
「はい」
「私は奴隷ですが、どうしてこのように接していただけるのでしょうか?」
疑問に思っていた事を、問いかける。
女騎士は、少し困った顔をしながら、
「アリス様は、マリオン様の所有物です。我が主人が大切にしている物を、どうしてぞんざいに扱う事ができましょうか?」
そう言い残し、「失礼します」と、扉の外に去って行った。
つまり、主人が気に入っている調度品だから、大切に扱うのは当然だという訳だ。
「…はぁ」
右手を掲げる。
手の甲には、奴隷紋が青く刻まれている。
…スプーンでスープをすする。
…フォークでライスを一口。
…ナイフで肉を切り分け、フォークで口に運ぶ。
そんな動作を繰り返しているだけで、なんとも言えない気持ちになる。
この世界で初めて食べる一流の料理。
奴隷商人の屋敷で食べた芋の味を思い出していた。
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