第8話 交易都市クーヨン 改稿

奴隷商人の館 中庭


懐かしむように周りを見渡していると、一陣の風が吹く。

庭先に植えられた木々が揺れる様は、静かに時が過ぎている事を教えてくれた。


…ここに来て、一年と少しか。


一年も過ごせばそれなりに愛着も湧くというなら、それはまともな場所なのだろう。


囲まれた壁の中で、管理される生活。

ここは監獄とそう変わらない。


いや、奴隷としてはマシな扱いかもしれない。

少なくとも、ここにいれば飢える事はないのだ。

ただ監獄と違い、外に出た先が自由とは限らない。

新しい主人に、首輪を繋がれるのだ。


そんなつまらない事を考えていると、建物の中から一人の女性が出て来たのが見えた。

少し癖毛のついた長い黒髪を風になびかせながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。


——新しいご主人様だ


彼女は魔導師のような黒いローブを着て、気怠そうな目で俺を見ると、そのまま通り過ぎて行く。


一見すると不機嫌にも見えるが、これが通常運転なのだろう。

俺は新しいご主人様を観察するように、門へ向かって歩く後ろ姿について行く。


衛兵の姿が見えてくると、門が開かれた。

その先には、知らない世界が広がっている。


奴隷が踏み越えれない世界だったのだ。

その境界線を越えれば…。


金髪の少年の事を思い出していると、彼女は当たり前のように、門の外へと歩みを進めた。

俺も踏み出そうとするのだが、染み付いた習慣が足を止める。


その気配を感じたのか、エリーがこちらへと振り返る。

そして、不思議そうに首を傾げたかと思うと、納得したかのように呟いた。


「…範囲と効果を変えたから、何も起こらないわ…」


…範囲と効果?

そんな疑問が頭を巡り、俺の足は動かない。


エリーは面倒そうにため息を吐くと、こちらへ歩み寄る。

そして、立ち止まる俺の手を引いた。


体が強引に引っ張られる感覚に、思わず目を閉じる。


…だが、何も起こらない。


彼女は手を離すと、また歩き始めた。

俺はまた彼女の後ろ姿を追う。


「あの…範囲を変えたとは?」


その言い方だと、奴隷紋の効果自体は活きているようだ。

エリーに引き渡される時、奴隷商人とエリーが、魔法的な何かを紋様に施していた事と、関係するのだろう。


「…奴隷紋の効果を教えてあげる…」


小さく呟く、彼女の声を聞き漏らさないように、横へ並んだ。


「…範囲はこの都市の外周城壁の中…そこから外に出ると、奴隷紋の色が変わる…城壁の中なら、居場所が契約者にわかる…」


相変わらず無表情で説明する彼女の言葉は、端的だが理解しやすいものだった。


「色が変わるだけなのですか?命令に絶対服従のような効果はないのです?」


…そんな簡単な縛りしかないのだろうか?


「…色が変われば逃亡奴隷…居場所などない…絶対服従の契約魔法…面白そう…」


面白い発想をする子供を見るように、口元を緩めて俺を見た。


…なるほど。

一目で逃亡奴隷とわかるから、社会的に死ぬという事なのだろう。


そして、奴隷紋は制約というより、魔法の一種を奴隷紋として利用しているようだ。

…となると、範囲内はどうやって指定しているのだろうか?


まさか、軌道衛星を利用したGPSなどないと思うが、


「範囲を指定する仕組みは、どうなってるのです?」


頭の中の考察を元に疑問を口にすると、エリーは驚いた顔をして、城壁と屋敷を囲う壁を順番に指差した。


「…壁の四方に魔道具が埋め込まれ…領域を設定…あなたなら、わかる?」


少し楽しそうな表情を浮かべ、億劫で言葉足らずな喋り方が流暢になる。

それを聞き、俺は二つの事に気付いた。


——まず一つは、この奴隷紋の魔法原理


四方に魔道具を置き、奴隷紋というマーキングをつける事で、標的の位場所がわかるサーチ魔法。


そして、範囲外に出た時、奴隷紋の色を変えるカラー変更魔法。


おそらく奴隷紋は、この二種類の魔法の組み合わせだろう。

効果を変えたという事は、教育施設にいた時の奴隷紋には、範囲外に出ると行動不能になる電撃魔法のようなものが、仕込まれていたのかもしれない。


知力の高さからなのか、この身体の頭脳はとても優れている。


——そして、もう一つ


このエリーという女性は、面倒くさがりなだけで、普通に喋れるのを、わざと単語で省いているのだ…きっと。


「理解しました」

「…賢い子」


そんな会話をしながら、丘の上の屋敷を降っていくと、


「ここがクーヨン…交易都市クーヨンよ」


中世を思わせる街が、眼下に広がっていた。

高い防壁に囲まれた大通りには市場が広がり、様々な人々が行き交っているのがわかる。


交易都市の名の通り、馬車に乗った行商人が城壁外を進む姿もあった。


「とても賑やかですね」


その光景に目を輝かせながら見ている俺に、エリーが微笑む。


「あなたもすぐに慣れる…」


そう言って彼女はまた歩き始めた。

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