第33話 康太の告白

 麻里奈はバー『タイムトラベル』へ行けば、心のモヤモヤが張れるのではないかと期待をしていたのだが、そう上手くはいかなかった。相変わらずさえない顔で仕事をしていると康太が顔を覗き込んできた。

「どうしました?元気がないようですが、まだ、アイドルの結婚のショックから立ち直れませんか?」

「いいえ・・・」

 麻里奈は心の中で『あなたのせいだからね』と呟いた。

「あの、ちょっとお話があります。今夜飲みに行きませんか?」

「えっ、二人で、ですか?」

 康太の突然の誘いに麻里奈は一瞬戸惑った。

「嫌ですか?」

「そんなことないです」

 麻里奈の胸からは今まで聞いたことが無いような鼓動が音を立てている。康太にそれが聞かれるのではないかと気が気ではなかった。


 康太と麻里奈はどこに行こうかと迷った末、結局バー『タイムトラベル』に入った。

「最初の一杯はビールを飲んでいただくのがこの店のルールになっています」

 ママのミツヨからクラフトビールを出されたのだが、麻里奈にはそれを味わう余裕がなかった。康太は美味しそうにクラフトビールを一気に飲み干す。

「実は自分、一緒に暮らしている人がいます」

「えー・・・」

 麻里奈の恋心は唐突に砕け散ってしまった。

「すみません。驚かせてしまって」

「いいえ、そんなことありません」

 麻里奈は動揺を隠そうと必死だった。

「あらあら、かなり動揺しているわね」

 ミツヨが意地悪そうに麻里奈の顔を見て言った。

「そんなことあるわけないじゃないですか」

「麻里奈さんがどうして動揺するのですか?」

 康太の冷静な言葉に麻里奈の鼓動も一瞬で静かになる。麻里奈は手足が冷えてくるのを感じていた。

「どんな方ですか?いつから?結婚する予定は?」

 麻里奈の矢継ぎ早の質問に康太は苦笑いをする。

「つかえない芸能記者みたいな質問して、ダサいわよ」

 ミツヨに窘められ、麻里奈は恥ずかしそうに笑った。

「相手は男性です。半年くらい前から一緒に暮らしています」

「男性?」

 麻里奈の胸が今度は違った意味で大きく動いた。

「はい、そうです」

 麻里奈は混乱していた。考えてもいないことだったし、ミツヨと真治以外では、身近でそういった話を聞いたこともなかった。

「よく言ったわね」

 ミツヨが優しい目で康太に言った。康太は頷いただけだった。静かな時間だけが流れていく。

「びっくりしますよね」

「えっ、いいえ・・・」

「異性同士のカップルなら堂々と世間に公表できるし、誰も何も言ってはこないのにね」

 ミツヨの言葉に麻里奈はハッとさせられる。好きになった相手が異性だろうと同性だろうと何の違いがあるのだろうか。ただ、自分とは嗜好が違うだけのことであって何も不思議がることではないのだと思えてきた。それよりも康太に好きな人がいる事実の方が、今は自分にとってはショックなことであるはずなのだ。

「好きな人がいたのですね」

「ええ・・・」

 康太の方が今度は驚いた顔をしていた。

「ふふふ」

 ミツヨが意味ありげに笑う。

「あんた失恋しちゃったわね」

「ちょっと待ってくださいよ。そうではないですからね。そんなことより相手の方について教えてくださいよ」

 麻里奈は必死に取り繕った。

「普通のサラリーマンです」

「へええ、どこで知り合ったのですか?」

「自分が一人旅をしている時に、向こうは出張で来ていて知り合いました」

「旅先で出会ったわけですね」

「はい」

「お相手はサラリーマンなのね」

 ミツヨの顔が少しだけ曇った。

「はい」

 康太の表情も暗くなる。

 麻里奈だけが取り残された雰囲気になった。

「あの、どうして私に話しをしてくれたのですか?」

「春菜さんには少し前に話しをしました。とても理解を示してくれて、なので思い切って一緒に働いている麻里奈さんにもちゃんと言わないといけないと思ったものですから」

「そうなのね。ちゃんと話をしてくれて嬉しかったです。私もまだちょっと混乱しているけれども応援します」

「ありがとうございます」

 しばらくして麻里奈は康太より先にバーを出た。失恋したという事実がやはり心に傷を作っている。早く独りになりたかった。


 麻里奈が帰ったバーには少しだけ重たい空気が流れ始めていた。

「大変だったわね。いいえ、これからが大変なのかもしれないわね」

 ミツヨはしみじみと言った。

「はい、これからが大変です。実は病気が発覚しまして・・・」

「あなたに?」

「いいえ、相手が大腸癌になってしまいまして・・・」

「あら、それは大変ね」

「あっでも、手術をすれば治るそうですから」

「それでもやっぱり心配よね」

「はい、手術となると家族の承諾が必要になり、その手続きで色々ありまして・・・」

「そうね、お相手の方は周囲にカミングアウトしていないのではないの?」

「はい、できないことで悩んでいました。でも今回の病気もあって、会社に伝えるとは言っています」

「ご家族には?」

「伝えるつもりでいるようですが、時間はかかっています」

「そりゃそうよね。どうして男性が男性を好きになったくらいで、そんなに悩まなければならないのかしら。はい、そうですか、ではすまない社会ってなんなのかしらね」

 ミツヨは本気で怒っていた。

「私が女性を好きになれれば、もっと楽に生きられたのかもしれませんね」

「それは私も同じだけれど、腑に落ちなくてね。ごめんなさい。何だか私の方がウジウジしているわね」

「こうやって聞いてくれて、一緒に怒ってくれる人がいるのは、とっても有難いことです。最近ちょっと自分を見失いかけていましたから」

「そうなの?」

「はい、パートナーが病気になって右往左往してしまい、全てを捨てて一人になりたいとさえ思ったこともありましたし」

「だったらこれ飲んで、過去の自分に会って本来の自分を取り戻して来たら?」

 差し出されたウイスキーを康太はゆっくり味わった。

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