第32話 理想の彼氏

 ディズニーランドに一歩踏み入れると、自分でも思ってもみなかった興奮が押し寄せてきた。彼に腕を絡めて歩く一歩一歩が雲の上にいるようで、麻里奈の夢見心地は続いていた。ディズニーランドに行きたいと言ったのも麻里奈で、入るアトラクションもレストランも自分で決められることに最初は悦に入っていた。だが、夜のエレクトリカルパレードが終わってしまい辺りが暗くなってくると、一気に麻里奈の夢も覚め、彼の側から少しだけ離れてしまうのであった。


「なかなか理想の彼氏は見つかりません」

 麻里奈は春菜にこぼしていた。

「それでもちゃんと動き出したことは褒めてあげるわ」

「でも、何だかもう面倒くさくなってしまって・・・」

「最初の頃はとても嬉しそうだったけれどね」

「そうなのですが・・・」

 スマホのマッチングアプリで意気投合した人とデートを数回重ねたのであるが、いまひとつしっくりこないのであった。

「何が悪いのでしょうか?」

「そうね、どういった人が理想なの?」

「そうですね。私が火事に巻き込まれた時に、身を挺して助けに来てくれる人、ですかね」

「あっそう。それじゃあ駄目ね」

「どうしてですか?」

「自分で考えなさい」

 春菜に突き放され、麻里奈は途方に暮れるのであった。


「麻里奈さんちょっといいですか?」

「はい」

「来週の新メニューの件ですが・・・」

 最近仕事に身が入っていないことは薄々気が付いていた。康太が色々な意見を言ってくれるのであるが、そんなことはどうでも良いとさえ思ってしまう。

「何だか、心ここにあらずって感じですね」

「えっ・・・」

「仕事が嫌いになりましたか?」

「そんなことは・・・」

 ない、と断言できない麻里奈だった。


 春菜は相変わらず忙しそうに働いている。子育ての苦労を時には話してくれるが、それも含めて春菜の人生に彩りを与えている。過去の恋の話ですらとてもカッコいい。そんな姿が素敵で憧れでもあのだが、自分にはないものばかりを手にしている春菜を少しだけズルイと思ってしまうのであった。


 一旦目が覚めると、とても嫌な気分に襲われていた。

「どうしました?大丈夫ですか?」

 真治が心配そうに聞いてくる。

「尊敬している人を悪く思ってしまって・・・」

「それが深層心理というものかもしれませんね」

「深層心理?」

「はい、自分でも気が付いていない心の奥のことです」

「春菜さんをズルいって思ってしまっていて・・・」

「ズルい、ってズルい言葉ですよね」

「えっ?」

「だってそう言っておけば相手を悪くできるのですから。でも、相手は全然悪くはないのに」

「そうですね。相手に非が無いのに悪く言う時に使う言葉かも」

「子どもが使う言葉ですよね。お姉ちゃんのお菓子の方が多くてズルい、とか」

「私ってまだ子どもなのかも」

「いいじゃないですか、それでも」

「そうですか?」

「もっと自分に素直になったらどうですか?」

「素直に・・・」

 麻里奈はもう一度、ワイングラスを手にした。


「私は春菜さんのようにはなれません。春菜さんは何でも手にしていてズルい」

 麻里奈は春菜に言い放った。

「そうね、私は恵まれているかな」

 反論しない春菜に麻里奈は面食らう。

「春菜さんだって苦労はあったはずですよね」

「苦労?生きているのだから苦労は当たり前よね」


 最近の満里奈の不調と比例するようにカフェの売り上げが伸びず苦戦を強いられていた。恋愛をすることで自分の株を上げたい、もっと人生に潤いを持たせたい、そう考えていたことに気が付いた。仕事もプライベートも順調そうな春菜が羨ましかった。春菜に対抗して恋をしようと躍起になっていた自分が恥ずかしくなっていた。


 休みの日になると麻里奈はカフェ巡りを始めた。どんなお店が流行っているのか、どんな店員が好まれているのか、実地でリサーチをするようになった。地方にも足を延ばし人気店と呼ばれている店にお客として訪れるようになっていた。すると、仕事への向き合い方も変わってきて、康太へも意見を述べることが増えた。

「最近の麻里奈さん活き活きしていますね」

「そうかしら」

 康太に褒められたことが心底嬉しかった。康太への恋心を認めないわけにはいかない。もう自分に嘘をつき続けることはできない。麻里奈は自分の心と向き合う決心をしていた。


 ハッと目を覚ますと、真治が冷たい水を差しだしてくれた。

「ありがとうございます」

 麻里奈の声は沈んでいた。

「どうしました?大丈夫ですか?」

 真治が心配そうに聞いてくる。同じことの繰り返しだった。

「深層心理が見えてしまって、余計に苦しくなりました」

「次は、その深層心理を受け入れて処理する番ですね」

「受け入れるのがまずは難しいかも」

「言葉にしてみませんか?」

「はい、ええと、同僚を好きになっていました。あっ、でもその前に春菜さんに張り合って恋をしようと躍起になっていました」

「恋をすることで解決すると思っていたのですね」

「そうなのかも」

「恋ってしないといけないのですかね?」

「えっ、だって女として恋の一つもしていないと駄目なのでは・・・」

「そうですかね。恋なんてしてもしなくても関係ないと思いますよ。それより自分の可能性をとことん追求する方が大切なのではないかと」

「自分の可能性・・・」

 麻里奈は考え込んでしまった。

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