第28話 役者とお金

 スーツを着てネクタイを締めると不思議と気持ちも引き締まってくる。家族がいて家計を支えないといけない身には、とても必要なアイテムであることに改めて気付かされる忠司だった。45歳で父親の会社では専務と呼ばれている。次期社長は兄だから、自分はずっと専務という役職になるのだろうと、漠然と考えていた。


「忠司さんはこれからの家づくりをどう考えていますか?」

 建築業界の集まりで知り合った、年下の工務店の社長からの質問に、忠司は困惑するばかりだった。

「まあ、これからは新築よりリフォームが中心だよね」

 当り障りのない無難な答えに、相手はあきらめ顔で忠司の前から去っていった。

 業界のセミナーに兄からの命令で出席したのはいいのだが、全く興味も関心も持てずにいた。未だに家なんて住めればいいとすら思っている。拘りもなければ、思い入れも無い忠司には、退屈なだけのセミナーだった。


 家に帰ると中学生になる息子が妻から叱られているところだった。

「勝手に履歴書なんて送って、どういうつもりなの?」

「どうした?」

「聞いてくださいよ。この子ったら芸能事務所に履歴書を送っていたのです」

 子どもは項垂れているばかりだった。

「興味があるのか?」

 忠司は子どもに優しく問いかけた。

「うん、テレビに出る人になりたい」

「そうか」

「そうか、じゃないわよ。あなたからも叱ってくださいよ」

 妻から叱ってくれと言われても、反対できない忠司だった。

「その事務所に応募したのには理由があるのだろう?」

「うん、レッスンも充実していて育ててくれる事務所だから」

「そうなのか」

「そういう問題ではないわよ。あなたはお父さんの会社を継ぐのだから」

「俺の会社じゃないけれどな」

「だって、お義兄さんのところは男の子がいないから、うちの子が後継ぎだって、お義父さんも言っているじゃない」

「だからって、まだ決めつけなくても」

「駄目よ、今からちゃんとそっちの勉強に励んで、立派な社長になるのだから」

 妻の決め付けに、忠司も息子もうんざりしていた。


「斗真は後継ぎのこと考えているの?」

 小料理屋のカウンター席で忠司は斗真と久しぶりに会っていた。

「いいや、俺は考えていない。子どもたちに任せるよ。これからは医者だって安泰な時代じゃないしね。やっぱり向き不向きってものがあるし、やりたいことじゃなきゃ、頑張れないだろう」

「そうだよな・・・」

「どうしたのさ。仕事が大変なのか?」

「いいや、兄さんに従っていれば何にも問題はないよ。俺に意見がないから上手くいっているしね」

「それで生活できているのだから、それでいいのかもしれないな」

「本当にそれでいいと思うのか?」

「いいや、それじゃ詰まらないと思うけれど」

「はっきり言うね。そうだよな。このまま年を重ねていくと・・・」

「まあ、立派な家を建てて、代々家が栄えて・・・」

「俺って家のために頑張っているのかな・・・」

「それもありなのじゃないか。でも、自分の人生だからな、家なんて建てるより好きなことを続けて、野垂れ死にするのも悪くはないかな」


 ハッと目が覚める。出された水をがぶ飲みしていた。どうにも目覚めが悪かった。

「・・・・・・」

 忠司は言葉が出なかった。

「もう一杯のまれますか?」

 真治の言葉に頷いた。忠司は白濁のカクテルグラスを口にした。


 地下の小さな劇場で一人芝居の稽古に励む忠司だった。チケットの売れ行きは芳しくなく、落ち込むこともあるのだが、舞台に立つとそれらの全てを忘れることができた。

「頑張っているな。差し入れ持ってきたぞ」

 劇団の先輩がこうして時々励ましに来てくれた。

「ありがとうございます」

「苦労を楽しんでいるか?」

「えっ、苦労を?」

「そう、苦労を楽しめないと生きている意味がないからね」

「はい、十分に楽しんでいます」

 忠司は笑いながら答えていた。稽古の合間にバイトを続けている。ゴージャスなタワーマンションとは縁遠くなり、キャビアもシャンパンの味も身体が受け付けず、モヤシ炒めとホッピーの味が、忠司の口には合うのだった。


 再び目を覚まし、コップの水を飲むと少しだけ清々している自分がいた。

「お金より大切なことってありますよね」

「そうですね。お金って無いと困ることになりますが、あり過ぎて大切なことを失ってしまう人もいますからね」

「豪華な家を持ったり、高級車に乗ったり、三ツ星レストランに行くことが目標の人生って、自分にとっては詰まらなく思えてしまって、それって負け惜しみですかね」

「負け惜しみではないと思います。ここのママはバブル期を知っている人で、昔は高級クラブを経営していたそうですが、ブランド品や高価なアクセサリーに囲まれていても、幸せを感じられなかったとか。こうしてお客様と人生を語りながら細々と店を経営している今の方が、幸せだって言っていますからね」

「このお金は返した方がよいですよね」

「返さなくてもいいと思いますよ。貰えるものは有難く受け取る方が幸せになれる気がします。役者の仕事って単価が決まっている訳ではないですよね」

「そうですね。人によって違うこともあれば、状況にもよるかな」

「価値を高めていくのも役者の仕事だなって、素人からすると思います」

「価値を高めていく?」

「今日誘ってくれたお友だちだって、自分の価値を高めるためにそうとう努力をしているはずですからね」

「ああ、高いスーツを着て、相手を褒めていい気持ちにさせていましたね」

「そこからのし上がる手段だってあるはずですよね」

「そうですね。否定ばかりはできませんね」

「自分にあったやり方で、人脈を広げることが何の仕事でも大切だと思います」


 忠司が外に出るタイミングで竜馬から電話が掛かってきた。

「無理に誘って悪かったな」

「いいや、俺の方こそ途中で帰ってしまってすまなかった」

「あの人たちテレビ局のお偉いさんたちと仲良くしているらしくて、今度紹介してくれることになったから」

「そうなのか。凄いね」

「お前が嫌ではなかったら、今度はちゃんとした店で話を聞かないか?」

「嫌じゃないよ。こちらこそ、お願いします」

 忠司は立ち止まって頭を下げていた。その頭を上げると夜空に星が輝いている。自分の目指す星を探して空を見上げ続けるのであった。

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