第27話 偽りなき心 アラスカ

 レインボーブリッジに観覧車、高層ビル群から放たれる光に心が奪われそうになる。さっきまで薄暗い地下の稽古場にいた自分が別人のようだった。タワーマンションから見える夜景に、ただただ圧倒されるばかりの忠司である。

「まあ、見慣れるとテレビを見ているのと変わらないけれど」

 驚いている忠司とは正反対に冷静沈着な竜馬が後ろから声をかけてきた。

「凄いね、ここ。マンションの玄関もゴージャスすぎてビックリしたけれど、部屋も何だか凄すぎて落ち着かないわ」

「そのうち慣れるよ」

「本当にいいのかよ。俺なんかがいてさ」

「若手俳優を連れてくる約束だから。いてくれないと困る」

「どういうことだよ」

「そのうちわかるよ」

 竜馬は高そうなスーツを着ていた。忠司は量販店のジャケットにジーパン姿だった。

「ごめんなさい。お待たせしたかしら」

 白いブラウスに黒に金の大きなボタンが付いたワイドパンツ姿の米倉涼子風の美人が突然部屋に入ってきた。

「いいえ、この景色を堪能させていただいておりました」

 竜馬が柄にもないことを言う。

「こいつが俳優の忠司です」

「えっ、俳優を目指しています」

 まだ、俳優と名乗る勇気は忠司にはなかった。

「あら、自信がないところが可愛いわね」

 褒められたわけではないことだけは、忠司にも理解できた。だが、嫌われたわけでもなさそうだった。

「こんばんは」

 今度は光沢のあるグリーン一色のワンピースを着た髪の長い女性が入ってきて、忠司をジロジロと見つめた。ワイドパンツの女性とワンピースの女性は、コソコソと話し合っている。忠司も竜馬を部屋の隅に連れていく。

「どういうことだよ」

「合コンだよ」

「合コン?このメンバーで?」

「そう、まあ、楽しく食べて飲んだり歌ったりするだけだよ」

「それだけでいいのか?」

「そう、まあ、気に入って貰えればお小遣いが貰える」

「何だよ、それ。俺、帰るわ」

「頼むよ。今だけ、飯だけ一緒に食ってくれればいいから」

 訳が分からないまま、忠司は出された食事を少しだけ食べ、注がれたシャンパンを一口だけ飲んだ。すぐに竜馬が呼んだ友だちがやって来て、忠司は解放されたのだった。


 マンションを出て、竜馬と共通の友だちに電話を掛けた。

「今さ、竜馬と凄いマンションに行ったのだけれど・・・」

「ああ、お前も誘われたのか。竜馬の今の金蔓だよ」

「金蔓?」

「そう、俺も誘われたことがあるけれど、もう二度と行かないよ」

「そうか。俺ももう嫌だな」

「そうだろう。お金持ちのおばさん相手でお金を貰ってもなあ。でも、結構なお金になるらしいから」

 電話を切ると、忠司は帰りがけに受け取ってしまった封筒をポケットから取り出す。中身を確認すると5万円も入っていた。慌てて竜馬に電話を入れる。

「金なんて受け取れないよ」

「いいのだよ。貰っておけよ。この人たちはお金を払いたいのだから」

「でも、俺、何にもしていないよ」

「いてくれただけで、いいの」

「でも・・・」

「俺たちこれからがいいところだから、切るよ。じゃあ、またね」

 一方的に電話は切られた。釈然としない忠司は家に帰る気にもならず、バー『タイムトラベル』に向かった。


 前に来た時にはいなかった、バーテンダーが人懐っこい笑顔で迎えてくれた。

「はい、クラフトビールをどうぞ」

「ありがとうございます」

 冷えたクラフトビールに、心が落ち着いてくる。忠司は今日の出来事を話していた。

「私とは別世界の話ですね」

 話を聞いた真治に言われて、忠司も同意する。

「このお金、受け取ってしまっていいのでしょうか」

「そうですね。相手がどういう人かわからないと、ちょっと不安ですね」

「はい、友だちの話だと投資で儲けている人たちだとか・・・」

「仮想通貨やらトルコリアやらで、大儲けをした人の話は聞きますからね」

「でも、それだけではないのかもしれないし・・・」

「そうですね。詐欺などの犯罪で得たお金かもしれないですからね」

「そうですよね・・・」

 忠司は迷っていた。以前の自分なら絶対に迷うことなくお金を受け取らないし、受け取ったお金を返すことができた。だが、今の忠司にはこのお金は喉から手が出るほど欲しかった。

「今月の収入が本当に少なくて、友だちのことを責められない自分がいます」

「大変なのですね」

「俳優の仕事を頑張りたくて、バイトを減らしたのですが、頑張ってもお金が貰えるわけでもなくて・・・」

「俳優さんの仕事は求められないと駄目ですからね」

「はい、お金を得るのって簡単ではないはずなのに・・・」

「それなのに、ラクしてお金を貰える手段を知ってしまったと」

「はい、何だか世の中不公平ですよね」

「頑張る意味が分からなくなったということですか?」

「そうなのかもしれません。何だかどう頑張ればいいのかが、わからなくなりました」


 忠司は先日、実家に帰った時の父と兄との会話を思い出していた。

「お前、いくら稼いでいるのだ?」

 久しぶりに帰った弟に兄は問いただしてきた。

「えー、そんなには・・・」

「稼げていないのであれば、俺の仕事を手伝うか?」

「そうだな。新しくリフォーム工事の展示場をオープンさせるから、そっちを任せてもいいかもな」

 兄の言葉に父も賛同してくる。

「兄弟が力を合わせてくれるのであれば、ママも安心だわ」

 家族全員の望みが伝わってきて、忠司は居場所を失っていた。

「まあ、よく考えておきなさい。だが、もうそろそろ芽が出なければ、役者の仕事は諦めた方がいい」


「もうすぐ28歳になるので、限界を感じています」

「そうですか?まだまだだと僕は思いますよ」

「売れない役者を続けている人は沢山いますが、家族の反対もそうですが、自分の家族すら養えなくては、どうしたらいいのかわかりません」

「だったらこれ飲んで、未来の自分を確かめてみては?アラスカと言います」

 カクテルグラスをグッと飲む。ドライジンの辛口な爽やかさが心に広がるのを感じていた。

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