第25話 子どもが欲しい本当の理由

 玲美は忠司と再び暮らすようになった。結婚がしたいと言い出したのも、荷物を持って部屋を出たのも、本気ではなかった。ただ、そうしないと忠司が駄目になりそうで、見てはいられなかったのだった。玲美の作戦は成功したと言える。忠司は今まで以上に芝居にのめり込んでいる。それはとても嬉しいことだった。だが、今度は玲美の方が駄目になりかけている。その自覚があり心がザワザワしてくるのだった。


「玲美ちゃんが忠司君と別れなくて、本当に良かった」

「満里奈さんにもご心配をおかけいたしました」

 玲美は忠司がアルバイトをしているカフェの常連になっていた。オーナーの春菜も店長の満里奈とも親しくしている。忠司の仕事がない時でも、玲美は一人でよく店に来ていた。

「何だか元気がないけれど、どうしたの?」

「そう見えます?」

「ねえ、これから予定はあるの?」

「いいえ、何もありません。忠司も今夜は遅いって言っていましたし」

「だったら二人で飲みに行きましょう」


 麻里奈はバー『タイムトラベル』に玲美を連れてきた。薄暗い店内は落ち着いていて玲美はすぐに馴染むことができた。カウンターには大柄な元女性のママが待ち受けていた。少し怖い印象もあるのだが、今の麗奈にはその方が頼もしく感じられ、好感が持てた。

「素敵なお店ですね」

「そうでしょう。私も春菜さんに連れてきてもらったのだけれど」

「最初の一杯はビールを飲んでいただくのがこの店のルールになっています」

 出されたクラフトビールはこれがホップの青々しさかと感動を覚えるほどだった。


「私、今、無性に子どもが欲しくて・・・」

「子どもが?」

「はい、実は結婚しなくてもよいから、子どもだけでも産みたくて仕方がないのです」

「忠司君と結婚がしたいって騒いだ時も、本心は子どもが欲しいってことだったの?」

「いいえ、あの時は忠司が駄目になりそうで、私が別れるって言ったらちゃんとするだろうっていう作戦で、ああ言ったのですが、忠司とよりを戻してみると、今度は子どもが欲しくなってしまって・・・私って我儘ですね」

「ねえ、それって本当の理由があるのではないの?」

 ママが心配そうに玲美の顔を覗き込む。

「本当の理由?」

「そう、彼との関係ではなくて、そうね、お仕事とかで悩みは無いの?」

「最近ちょっとスランプで・・・」

「玲美ちゃんは若い頃から役者としても脚本家としても脚光を浴びていて、すでに成功を収めているじゃない」

「確かに10代から20代前半までは何をやってもチヤホヤされて認められていました。でも、20代の後半にもなると世間の目が厳しくなってきて・・・」

「そうね。若い頃って生意気な態度でも許されるし、それを才能だと大人たちが言うことがあるけれど、ある程度年齢を重ねていくと、それだけだと通用しなくなるからね」

「はい、おっしゃる通りです」

 ママの指摘に玲美は頷くばかりだった。

「生意気な態度?」

 麻里奈はママの言葉の意味を測りかねた。

「はい、小娘だった私の生意気な態度を、大人たちは面白がってくれました。特に私のいた劇団の人たちはそうだったのです。でも、自分で劇団を作ってみたらだんだん私の姿勢が受け入れられなくなってきてしまって」

「女性だけの劇団だったわよね」

「あら、女性だけの劇団なんて何だか大変そうね。立ち上げて何年になるの?」

「5年です」

「最初は上手くいっていたけれども、だんだん人間関係が複雑になったのではない?」

「えー、どうしてわかるのですか?」

 ママの的確さに驚愕するばかりだった。

「そんなのねえ、誰だってわかるわよ」

「そうですね。私も何となくわかる」

「麻里奈さんまで・・・。だから皆さん反対したのですね。今になってわかります」

 玲美は頭を抱えるのだった。

「それで何故、子どもが欲しいということになるの?」

 麻里奈の素朴な疑問に玲美は言葉が出ない。

「そりゃあ、自分に飽きたのね。自分の人生に自信が持てなくて、今の自分から逃げたいからよ。子どもが出来たら、自分から離れられるもの」

「えっ・・・」

 思わず顔を上げてママを見つめる。

「そうかもしれない・・・」

 玲美は消え入りそうな小さな声で呟いた。


 しばらくして、麻里奈は先に帰って行った。玲美はママとまだ話をしたくて、独り残った。

「仲間って何ですかね。最近、劇団員がごっそり辞めてしまって」

 麻里奈がいた時には言い出せなかった。

「私は女性になりたかった男性だから、どっちの気持ちもわかるでしょうって、よく言われるの。でもね、実はどっちの気持ちもよくわからないの」

「そうなのですか?」

「というか、女性だろうと、男性だろうと、人によるからね」

「そうですね」

「だから、あまり女性だけということに拘らなければ良いと思うのよ」

「女性だけの劇団っていうのが、良くなったのですかね」

「そうじゃなくて、女性の劇団を作ったのって、私は素敵だと思うわ。だけれど、女性だからって決めつけないで、人としてシンプルに接することが大事でしょう」

「シンプルに?」

「そう、もっとビジネスに徹すればいいのよ。駄目なものは駄目と言って、厳しい態度も時には必要でしょう」

「女性だということに拘り過ぎていたのは、私だったのですね」


「これを飲んで昔の情熱を取り戻してくればいいわ」

 ママが出してくれたウイスキーのロックを玲美はゆっくり口にした。

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