第24話 独りじゃない
春菜は宣言をしていた通りに徐々に店の経営を麻里奈と康太に任せるようになっていた。新規メニューにも一切口出しをしなくなり、康太は戸惑っていた。
「康太さん、いつにします?試食会」
「うん、まだ全くアイデアが無くて・・・」
「じゃあ、一緒に考えましょうか」
「はい、そうしていただければ助かります」
「では、お店が終わったら作戦会議といきましょうか」
麻里奈の笑顔に康太はやる気を取り戻していた。
お客様が帰った店内のテーブルに座り麻里奈が来るのを待っていた。しげしげと店内を見渡してみる。お客様の気持ちになることでアイデアが湧いてくるのを待つのだが、そもそもお客様との接触が皆無なため、一向に何も浮かばない康太だった。
「お待たせしました。えーとクリスマスに向けての新メニューですね」
「はい、毎年、春菜さんと定番の他に眼玉メニューを出していますから、今日はそれを・・・」
「何か食材は候補がありますか?」
「カキはどうでしょうか」
「柿、果物の?」
「いいえ、オイスターの方です」
「ああ牡蠣ね。珍しいかも。私は好きだわ。ただ、仕入れ先と値段の問題ね」
「はい・・・」
それから1時間ばかし話し合った結果、二人は分担を決めた。康太は仕入れ先の選定と交渉役だった。最も苦手な仕事である。
業者に電話をかけようとするのだが、気持ちが定まらず動きを止める康太だった。今までいかに春菜さんが全てを取り仕切り、何から何まで動いていたかを、改めて思い知るのだった。深呼吸をして電話をかける。相手はすぐに出た。こちらの名前を名乗るといつも店に顔を出していた担当者が出た。
「お久しぶりですね。最近お店に顔を出していなくて、大変申し訳ございません。今日は何をお探しですか?」
相手の感じの良い態度に康太はホッと胸をなでおろす。康太は要件を伝えた。
「畏まりました。では明日、見本をお持ちします」
余りにもあっけなく事が済み、それほど難しいことでも何でもないのに怯んでしまう自分にまたしても嫌気がさしてくるのだった。
「康太さん、この牡蠣入りパンケーキとっても美味しい。しかも意外と仕入れ値も安くてこれなら新メニューに加えられますね」
「ありがとう。明日、春菜さんにも食べてもらうことができます」
「慣れない仕事で大変だったでしょうけれど、康太さんはやっぱり、ああいった交渉事が得意じゃないですか」
「いいえ、冷や汗をかきましたし、心臓もバクバクでしたよ」
「それほどのことですか?」
「私にとっては・・・」
「康太さんって何でも悲観的に捉えますよね」
「そうなのです。麻里奈さんは楽観的で羨ましい」
「私だって最初から楽観的ではないですよ」
「満里奈さんもお母さんのことでは大変だったから・・・」
「でも、そのお陰でこうして仲間もできて楽しくしてられるのだから、今は良かったって思っています。だって過去は過去ですから」
「過去は過去・・・。あの実は今までお話ししてこなかったことがあります」
「何ですか?」
「自分は昔、脱法ドラッグで逮捕されました」
「嘘、信じられない」
「軽蔑しますよね」
「それはないですよ」
麻里奈にきっぱり言われて康太の方が驚いてしまった。
「康太さんは康太さんじゃないですか。過去の康太さんと今の康太さんは違うのだし。私は今、目の前にいる康太さんが全てですから」
「ありがとうございます」
「過去に囚われて今が蔑ろになってしまうのだったら、意味がないじゃないですか」
「そうなのですが・・・」
「失敗したって何とかなりますしね」
「失敗しても・・・」
新メニュー発表の初日、仕入れの品が届かないというアクシデントが起こった。
「どうしよう・・・」
康太はオロオロするばかりだった。
「何が届かないのですか?」
「メインの牡蠣が・・・」
「康太さんは商店街の鮮魚店に行って牡蠣を購入してきてください」
「えっ、でも・・・」
「とにかく、お金なら何とかなりますから。それより楽しみにしてくださっているお客様の期待に応えないと。ですから、品定めはちゃんとしてくださいよ。康太さんの納得のいく品を買ってきてください」
「わかりました。行ってきます」
康太は走った。走っているのに、息が切れてもいるのに、冷静になっていく自分を感じていた。店に戻るといつものように料理を作ることができた。
「あら、それは大変だったわね」
春菜から咎める言葉は無く、むしろ労ってくれた。
「すみません。自分の確認が不十分だったせいです」
「よくあることよ。次はちゃんと確認すればいいのだから。私だって何度失敗していることやら」
「そうなのですか?」
「そうよ、ねえ、麻里奈ちゃん」
「春菜さんの場合は、直前で発覚するので、何とかなってしまうのですよね」
「そうそう、間違えたら誠意を持って謝ること。相手のミスに寛容になること。そうしているとお互い様だから、相手がフォローしてくれることもあるし」
「相手のことを責めたりしたらいけないのですね」
「そうよ。今回のことだって、もしかしたら相手のミスなのかもしれないのでしょう。それでも責めたりしないでこちらにもミスがあったと認めれば、関係だって壊れないしね。勿論、いい加減な業者だと分かった時点で、こちらから関係を断つのみだけれど」
ハッと目を覚ますと、バーテンダーの真治から受け取った冷たい水を飲み干した。
「失敗しても何とかなる・・・」
「はい、失敗しても誰かが助けてもくれますしね」
「本当にそうですね。いつも悪い方にばかり考えてしまっていました。もっと楽観的にならないと・・・」
「失敗することを恐れて何もしないでいるのって嫌じゃないですか。失敗しても何とかなるって思わないと、何もできないですからね」
「自信があるっておもしろいですね」
「どういう意味ですか?」
「相手を信用することで自信は生まれてくるのだなって」
「自信の信と信用の信は同じですね。信という字の意味は確か、嘘のないこと、まこと、でしたね」
「そう、だから面白いなって」
「信じられるお仲間がいるのって、何よりの財産ですからね」
「自分には既にその財産を持っていたのに、気付こうともしなかった」
「今、気が付いたのだから、それで良いのではないですか?」
「今を大事にしないといけませんね。今周りにいる人たちを大切にしないと」
康太は外に出た。春菜も麻里奈もそこにはいなかったのだが、側にいるような錯覚を覚えた。もう独りじゃないことをしみじみと噛みしめながら前を向いて堂々と自信を持って歩き出すのだった。
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