第23話 触れ合いたい アフィニティ
康太は店長の満里奈とお客様との会話を厨房から聞いていた。
「パンケーキも良いのだけれど、この年齢だと食べきれないのよね」
毎週のように通ってきている白髪の美しい60代後半の女性が言った。
「量がもっと少なければ良いですか?」
「そうね・・・」
「すみません、林田様。うちはエッグベネディクトとパンケーキしかなくて」
「そういうお店だものね。少し前まではエッグベネディクトも美味しく完食できたのに、最近食が細くなってしまって・・・」
普段は人と会うのが苦手なため、お客様と会話する機会をあえて設けてはいないのだが、康太は思いきって店に出た。
「あの、すみません。温野菜とチーズ入りスクランブルエッグとベーコンのサラダプレートでしたらすぐにお作りできますが」
「あら、それはいいわね。お願いするわ」
麻里奈にも笑顔を向けられて、康太は張りきって厨房に戻った。
康太は大学を卒業してからしばらくは職が定まらなかった。30歳の時、このカフェの前のオーナーに拾われてこの世界に入った。オーナーが高齢で引退すると決まった時、今のオーナーである春菜に声をかけられ、しかもシェフとして働くようなり、康太はやっと自分の道が見えてきたと思えたのだった。
「さっきはありがとう。助かりました」
麻里奈が厨房にいる康太に声をかけてきた。
「いいえ、ちょっと前から考えていたのですが、リゾットなんて始めたらどうでしょうか」
「リゾットね。朝粥ってあるくらいだから、このカフェ風にしたら朝来ていただいているお客様にも良いかも。春菜さんに相談してみましょうよ。康太さん何か試作品を作ってくださいよ」
「わかりました。今夜ちょっと試してみます」
店を閉めてから、康太は一人でリゾット作りに励んでいた。
「康ちゃんリゾット作っているのだってね」
オーナーの春菜が厨房を覗きに来た。
「すみません、勝手に」
「いいのよ。私もそろそろお米料理があった方が良いのかなって思っていてね」
「そうですね。ただ、米の仕入れとか色々とありますからね」
「そうなのよ。でも、ここの常連さん達も高齢化が始まっているから」
「前の喫茶店の頃からのお客様も多いですしね」
「始めたころは皆さん、ここのスタイルを面白がってくれていたのだけれど」
「はい、パンケーキも喜んでくれていたのですが・・・」
「お米料理でもリゾットならフライパンでできるのかしら?」
「はい、なのでお米だけスーパーで買ってきて作っています」
春菜と麻里奈は野菜のクリーム煮がのった南瓜のリゾットを前に歓声をあげた。
「見た目も可愛いし、この季節にもピッタリよ」
春菜に褒められ康太は照れた。
「クリーム煮が意外とあっさりしていて、これなら林田様でも喜んで貰えますね」
「そうだわ、しばらく特別メニューとして出してみたらどうかしら。皆さんの感想をお伺いしてから決めましょうよ」
康太は自分のアイデアが認められても自信は持てないでいた。
「それにしても康ちゃんがお客様の前に出られたことが、私は嬉しいわ」
「康太さんはコミュ障ですものね」
「満里奈ちゃん、ハッキリ言い過ぎよ。康ちゃんはコミュニケーションが苦手なだけよ」
「いいえ、そうやってハッキリ言われた方がむしろスッキリします」
「子供の頃からコミュニケーションが苦手なのですか?」
「いいえ、就職してからでしょうか。学生の頃は結構積極的に友人関係も築けていました」
「そうなの。就職してから何かあったのですか?」
「営業の仕事が向いていなくて・・・」
「営業の仕事は大変だって聞くからね」
「康ちゃんは完璧主義でプライドが高く、その上ええかっこしいだったからね」
「嘘、今のイメージとは違いますね」
「今思うと他人の目を気にし過ぎた結果、お客様の要望に応えられなかったという感じです」
「それどういうことよ。他人の目が気になるのであれば、相手に会わせるのって簡単そうだけれど」
「営業の仕事って相手が主体なのよ。それも相手を持ち上げる必要があるでしょう。康ちゃんの場合は低姿勢になることができなかったのよね。それに、自分の意見があり過ぎて、相手の意見を聞くことができなかったの」
「今の康太さんは春菜さんの言いなりだから、全然信じられない」
「営業の仕事を辞めて、前の店で働くようになった時は、既に何も言えない康ちゃんになっていたわね」
「はい、あの喫茶店のオーナーに拾われた時は、最悪の時でしたから」
「じゃあ、今はコミュ障から回復状態にあるわけですね」
「そうよ。だから今回の件はとっても私は嬉しいの。もっともっと自信をつけて、アイデアを出して欲しいと思っているわ。私は徐々にこの店の経営から距離を置こうと思っているのだから、二人には積極的に経営に携わってもらわないと困るわよ」
春菜と麻里奈は先に帰り、康太は一人厨房の片づけを済ませた。外に出ると秋の風が心地好く頬をかすめる。もっと自信が持てればこの風を心から歓迎できるはずなのに、康太にはそれができないでいた。トボトボと歩いていると以前、春菜と一緒に麻里奈を待っていたバー『タイムトラベル』の前にいた。春菜に勧められていたこともあり、勇気を振り絞ってドアを開ける。小柄なバーテンダーがにこやかに出迎えてくれた。
「最初の一杯はビールを飲んでいただくのがこの店のルールになっています」
「お願いします」
出されたクラフトビールはほろ苦かった。
「自分、前科がありまして・・・」
康太は普段は絶対に口に出さない話をしていた。マスターは驚きもせず受け止めてくれた。
「脱法ドラッグを知らない間にやってしまいまして、警察のお世話になりました」
「脱法ドラッグは境界線が難しいから」
「はい、友人に誘われたパーティーに行ったのがいけないのですが、あの頃は仕事も上手くいっていなくてなかば自棄になっていました。まあ、結果的には会社もクビになり、私は逃げてしまったのです」
「逃げることも時には必要です。今こうして元気にしていられるのですから、あなたにとっては必要な出来事だったのではないですか?」
「そうですね。今のオーナーにも拾ってもらって、シェフとしてやりがいのある仕事に出会って・・・それなのに自信が持てない」
「アフィニティです。これを飲んで未来の自分を見てきてください」
カクテルグラスに口をつけると少しだけクセを感じたが一口飲むとスコッチウイスキーの好ましい香りが口いっぱいに広がった。
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