第22話 過去からの脱却

 麻里奈には兄がいた。母親は兄に接する時はごく普通なのだが、麻里奈への接し方は傍から見ても異常だった。髪型も服装も麻里奈に自由は許されなかった。友人ですら母親に選別された。幼稚園の頃は母親が買ってくれたレースの可愛いブラウスもフリルのスカートも喜んで着ていた。だが、小学校も高学年になるにつれ、母親が選ぶ服を着ることに抵抗を覚えるようになっていた。

「この服、着たくない」

 小学校の5年生の時だった。麻里奈は初めて母親の買ってきた服を拒否した。

「どうしてよ、可愛いじゃない。麻里奈にはピンクがよく似合うからママ買ってきたのに」

「ピンク色は好きではないの」

「どうしてよ。女の子はピンクを着ないと駄目なのよ」

「何で?」

「女性らしい色じゃないの」

「女性らしいってどういうこと?」

「女の子は女の子らしくってことよ」

「だから、それってどういうことなの?」

「可愛いフリルのお洋服を着て、髪をリボンで結んで、それで・・・」

「もういい。わかったからこれ着る」

 母親に何を言っても通じないことを麻里奈は理解していた。自分に選ぶ権利はないことも気付いていた。

 自分の部屋に入り姿見の前に立つ。長い髪をツインテールにしてリボンを結んでいる。毎朝母がやってくれることだった。学校で友だちたちからは羨ましがられた。沢山の可愛いリボンを持っていて、着ている服のセンスが良いと褒められるのだが、麻里奈にはちっとも嬉しくないことだった。早く中学生になって制服のある学校に通いたいと毎日願っているのだった。


 中学一年生になった麻里奈は、これからはもっと自由に行動範囲を広げられると思っていた。

「ママ、今日お友達の家に行ってもいい?」

「お友達って誰なの?」

「静子ちゃん」

「静子ちゃんのご両親は確か飲食店やっているのよね」

「そうだと思う。よく知らないけれど」

「駄目よ。今日はピアノの練習をしないと。発表会まで1カ月ないのだから」

「あっそうか、わかった。今日はお家でピアノの練習をする」

 ピアノの発表会が終わったので、再び麻里奈は友だちと遊ぶ約束をした。今度こそ皆みたいに自由に活動できると思いたかった。

「今日はお友達と遊んでもいいでしょう」

「誰と?」

「静子ちゃん」

「駄目よ。今日はママとデパートに買い物に行きましょう」

 さすがの満里奈も気が付くことになった。母は静子ちゃんと遊ばせたくはないのだということに。

「どうして静子ちゃんの家は駄目なの?」

「あそこのお家はスナックといって、大人がお酒を飲むところなの。そういうお家の子とお付き合いをするのは、ママは反対よ」

 母親を説き伏せる術は、麻里奈にはまだなかった。


 高校生になると、麻里奈は家に帰らない日が増えた。学校が隣の市にある私立の女子高だったので、その近くにある叔母の家に泊まることが許されたからだった。

 父の妹である叔母はバツイチの独身で比較的広いマンションで独り暮らしをしていた。家で株投資をしているとかで、麻里奈の面倒をよく見てくれた。


「ねえ叔母さん、女の子らしくってどういうこと?」

「どうしたのよ、突然に」

「うん、ママの口癖だから」

「そうか、お義姉さんが言いそうなことね」

「でしょう。今でも私の私服は自分では選べないし」

「何それ、自分で買うから楽しいのに」

「ねえ、美容室に行ってもいい?お金貸してくれるかな」

「髪を切りたいの?それとも染めてパーマをかけるとか」

 叔母は愉快そうに言った。

「そんなのじゃないの。ショートカットにしたいだけ」

「満里奈はボーイッシュが好きなのね」

「そう、もうこんな髪型は嫌なの」

「わかったわ。お金出してあげる。ママに聞かれたら叔母さんがお金を出してくれたって言ってもいいから」

「それだと、叔母さんの家にもう来られなくなるかも」

「だったら、しばらく帰らなければいいじゃない」

「いいの?」

「私はいいわよ。旦那から貰った慰謝料で悠々自適な身分だし、暇を持て余しているからね」

「ありがとう」

 その日、麻里奈は髪を切った。


 髪を切ってから初めて母と対面したのは高校の三者面談の時だった。母の怒りは手に取るようにわかる。三者面談なのに麻里奈は部屋から出された。

 家に監禁すると喚く母を父がなんとか説得をして、何とか麻里奈は叔母の家での暮らしを続けることができた。


 麻里奈が24歳の時、2歳上の兄が結婚式を挙げた。親族の控室では祖父母と叔母を含む数名が集まり、祝福ムードに浸っていた。外面の良い母は、愛想よく皆と接し笑顔を振りまいていたのだが、麻里奈の顔を見るとしかめっ面をしてきた。

「この子は本当にうだつが上がらなくて、我が家の恥ですよ」

「そんなことないわよ。東京で立派に働いているのだから」

 叔母が麻里奈を擁護してくれた。

「そんなの立派でも何でもないわよ。本当に情けない」

 麻里奈は終始母とは目も合わさず、まともに会話すらしなかった。


 式が終わり叔母に誘われ喫茶店に入ると、麻里奈はやっと人心地が付いた。

「やっぱりママに会うと不愉快になる」

「あの言い方はちょっと酷かったわね。でも、お義姉さんも大変だったのよ」

「何が?」

「もうあなたも大人になったから言うけれど、あなたが生まれてすぐに、あなたのお父さんの浮気が発覚してね」

「そうなの、知らなかった」

「それからかな、女性らしさとか女としての拘りが強くなったのは」

「だからって・・・」

「浮気相手がとっても女性的な人でね。私の元夫の会社の人だったから、よく知っているのよ」

「ふうん」

「私は夫の浮気が原因で離婚してしまったけれど、子どもがいなかったからね。お義姉さんはあなたたちのために離婚は選ばなかった。その代わりに女性らしさに拘っているのかもしれないわね」

「だけれど・・・」

「可哀想な人なのかも」


 ハッと目を覚ますと、ママが冷たい水を差しだしてくれた。少しずつ喉に流し込むと心が落ち着いてくる。

「あの時は母のことを理解してあげる余裕がなかった・・・」

「人を理解するのって難しいからね」

「今でもまだ全てを許すことはできません。ただ、そうするしかできなかった不器用さは認めてあげないといけないのかもしれません」

「人をいじめてしまう人って、弱いから人に強くあたってしまうのかもしれないわね。もっと自分自身を強くして、自分らしく生きられれば、他人なんて構っている暇なんてないのに」

「はい、母は心の弱い人でした。私をコントロールすることで自分を守っていたのかも」

「これからは自分自身のことをもっと真剣に考えないとね」

「はい、母が亡くなり誰にも反発することができなくなりました。何だか自分が何者であるのかわからなくなってしまって・・・」

「これからじゃない。主体性と自尊心を忘れずにいれば何でもできるわよ」

「ありがとうございます。頑張ります」


 麻里奈は笑顔で店を出た。するとどこかで飲んでいたのか、春菜と康太が出てくる麻里奈を待ち受けていた。二人に囲まれ麻里奈は泣きながら歩く。五臓六腑が温まるのを感じながら。

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