第21話 マインドコントロール

 カフェでの試食会を麻里奈は楽しみにしていた。今日はシェフの康太が秋限定のパンケーキを作ることになっている。オーナーの春菜は厨房に入り、康太の盛り付けに注文をつけていた。

 麻里奈は本日の売上計算を終え、レジの前でぼんやりしていた。

「満里奈ちゃん、試作品食べましょう。あら、どうしたの?元気がないけれど」

 春菜に声をかけられ、ハッと顔を上げるも、いつもの笑顔はできなかった。

「お母様が亡くなられたばかりだからね。休みたい時は遠慮しないで言ってね」

「すみません。ありがとうございます。もう2週間になるのですが、落ち着いてからの方が色々と考えてしまって・・・」

「本当に無理をしないことよ」

「準備できましたよ」

 康太の声かけを合図に麻里奈と春奈は席に着いた。果物の沢山のったお皿を前に麻里奈の心も少しだけウキウキしてくるのだった。


 康太はこのカフェの創業当時からのメンバーだった。最初はアルバイトだったのだが、料理が好きで春菜の要望に応えているうちにプロの料理人になっていった。調理師免許も取得しシェフとして厨房を任せられるようになり、春菜のもう一人の片腕だった。

「康ちゃん、さすがね。南瓜の味が活かされていてとっても美味しいわ」

「ありがとうございます。オーナーの言う通りに作っただけですが・・・」

「康太さんにしかできないものね、春菜さんの要求通りに作るのは」

「何だか私が注文つけてばかりいるみたいじゃないのよ」

「ええ、違います?」

「店長も少しは元気になったようだな」

 康太の視線が麻里奈にはとても温かかった。

「はい、康太さんの作ったものを食べると、私は元気が出てきます」

「お袋さん、何歳だったの?」

「65歳でした」

「まだまだこれからだったのにね」

 春菜の言葉に麻里奈の目がきつく光る。康太はそれを見逃さなかった。

「脳梗塞ということは、突然だったのね」

「はい、もう少し早くに発見できていれば、助かったかもしれないらしくて・・・」

「そうか、大変だったな」

「近くで暮らしていた兄は自分を責めていました。前兆を見逃していたのかもしれないって、でも、私は天罰だって思えてしまって・・・」

「天罰?」

 春菜はさすがにビックリした声を出していた。

「母とは上手くいっていなかったから。東京で働いている私を母は認めてはくれませんでした。カフェで働くことも母は許してはくれなかった」


 試食会の後、麻里奈は春菜に誘われバー『タイムトラベル』に入った。カウンターには大柄の元男性と見られるドレス姿のママが立っていた。

「最初の一杯はビールを飲んでいただくのがこの店のルールになっています」

 出されたクラフトビールはほろ苦くも甘酸っぱい味がした。


「私の母は毒親でした」

 唐突な麻里奈の発言に春菜もママも少々面喰うが、大げさな反応はしなかった。そのことに救われて麻里奈は話を続ける。

「マインドコントロールと言うらしいのですが、母の言うことが絶対で私には意志というものがなかったのです」

「時々いるのよね、そんな親が。あなたも辛かったわね」

 あまり愛想のよくないママであったが、根はとっても優しいようだ。

「大阪で進学しなさいと言われたのを押し切って、東京に家出のような形で出てきました。母に逆らえない父が自分のヘソクリを出してくれて、独り暮らしを始めることができたのですが、大学への進学は諦めました。あっ、でも今ではそのことを後悔してはいません。こうして春菜さんとも出会って、カフェで店長にまでしていただいて、自分の人生は間違ってはいなかったと胸を張って言えます」

「カフェで働く麻里奈ちゃんは活き活きしているものね。あなたの働く姿を見て、私はカフェを開いたのだから」

「私のカフェへの情熱を理解してくださるのは春菜さんだけですよ」

「康ちゃんの方が、今では良き理解者のようだけれど」

「素敵な出会いに救われたのね」

 ママがしみじみと言った。

「はい。東京に来てカフェで働くようになった私は母からの呪縛から解放されようと必死でした。最初はカフェでの仕事は単なる仕事でしかなくて、あまり真面目に取り組んでいたとは言えません。ある日そのカフェの常連さんからの言葉で、私は変わることができたのです」

「どんな方だったの?」

「60代のとても素敵な紳士でした」

「あら、その素敵な紳士に私も会ってみたかったわ」

 ママは眼を輝かせていた。

「何て言われたの?」

「私の顔を見にカフェに来ているって言われました。それが今の楽しみだと。そして、カフェが自分の居場所になっているとも」

「私もそうだったのよ。麻里奈ちゃんが笑顔でコーヒーを出してくれると、何だか安心してね。私の居場所を作ってくれている感じがしたから」

「それって大事よね。ここにいて良いのだと思えるのって」

「そうなのです。実家に私の居場所がなかったから、私はカフェを自分の居場所にしよう、お客様が心地好い居場所を作ってあげようと頑張れました」

「あなたは本当に偉いわね。欲にまみれた大人たちに聞かせてあげたいわ」

「そんな、私だって欲ぐらいありますよ」

「でも、お金より大切にしていることがあるのってやっぱり素晴らしいことだわ」

「それは、春菜さんの影響ですね」

「あまりヨイショはしないで。私は先に帰るから、後はゆっくりママと話をしていったらいいわ」

 春菜は麻里奈にお金を渡して先にバーを出て行った。


「これを飲んで過去からの脱却をしてきなさいよ」

 ママが出してくれたウイスキーのロックを麻里奈は一気に飲み干した。

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