第20話 家庭と仕事

 結婚した有紀は、自分なりに工夫をして仕事と家事を両立できるよう頑張っていた。少々身体がきついこともあったが、何とか自分でも及第点を与えられる日々を過ごせていた。

 数か月が過ぎ、いつものように朝を迎えた。携帯のアラームが鳴り目を開けるのだが、身体が思うように動かなかった。昨日から喉が痛かったのだが、大したことはないと何も対処せずにいたことを後悔するも遅かった。ベッドサイドの引き出しにある体温計を取り出し測ると熱は38度と思いの外高かった。

 ごそごそしていると隣のベッドで寝ていた斗真が目を覚ました。

「どうした?」

「うん、何だか熱が出たみたい」

「えっ、大丈夫か?今日はゆっくり休んでいろよ」

 斗真は優しく診察をしたうえで、アイス枕やら薬を用意してくれた。

 一日目は文字通り終日泥の様に眠った。斗真は仕事の合間に様子を見に来てくれ、着替えをさせてもくれ、お粥を運んできてもくれた。一人暮らしでは叶えることのできないことばかりで、有紀は結婚した幸せを噛み締めていたのだった。

 三日目には熱も下がって身体も気持ちも楽になり、寝室から出ることができた。晴れ晴れとした気持ちでリビングのドアを開けた。するとそこには思いもよらない惨状が目に飛び込んでくる。有紀は再び熱が頭から上がるのを感じていた。

 脱ぎ散らかした服がソファに散乱している。靴下はどうしてそうなるのか片方ずつ丸まって床にあちこちばら撒かれている。キッチンのシンクにはお粥の鍋が水を張らなかったせいかカピカピの状態で放置され、コップや茶わんも酷い状態になっていた。

「何これ・・・」

 すぐにでも片付けたい気持ちとは裏腹に身体は全く動けなかった。見なかったことにして寝室に向かう。とにかく身体が回復してからだと、自分に言い聞かせた。


 斗真が帰宅をすると、有紀は問い詰めずにはいられなかった。

「どうして片付けないのよ」

「えっ、後でやろうとしていたけれど、疲れちゃってさ・・・」

「後でやろうとしても駄目なのよ」

「有紀の頑張りがわかりました」

 斗真の態度が能天気なせいで、有紀の怒りは爆発寸前であった。

「まだ寝ていろよ。明日は休みだから俺が片付けておく」

 斗真の言葉を信用したわけではないのだが、今夜は有紀の身体もまだ動く状態ではなかったので、シャワーを浴びて寝ることにした。

 翌朝7時に有紀は目を覚ました。休みの日の斗真は昼頃まで寝ている。昨日の言葉があっても朝早くから行動するとは思えない。有紀は片づけを開始した。

 脱ぎ散らかした服を集め、洗濯機に入れる。鍋や食器を洗っていると、斗真が起きてきた。

「有紀、もう大丈夫なのか」

「・・・・・・」

 有紀は黙って食器を洗い続けた。斗真は洗面台で歯を磨き終わると、洗濯機から洗濯物を取り出しベランダに向かった。有紀は心を落ち着けながら、斗真の動きを観察していた。

「ちょっと待ってよ。物干し竿を拭いてから干してよ」

「そうなの?どれで拭けばいいの?」

 斗真が手伝ってくれるのは有難いのだが、先が思いやられた。

「ねえ、そんなに拘らなくっていいのじゃいか」

「拘る?」

「そう、俺は汚い部屋だって問題ないと思うし、食事だって毎日コンビニ弁当だって構わないけど」

「それだと駄目なの」

「だから、どうして駄目なの?俺がいいって言っているのに」

「私が・・・」

「有紀は部屋はいつも片付いていてキレイな状態じゃないと、どうしても駄目なのか?」

「だって、それって手抜きじゃない」

「手抜きだっていいじゃないか」

「子どもができたらそうはいかない」

「まだ子どもはいないのだから、今は関係ないと思うけれど」

「そうだけれど・・・」

「もしかして、世間体とか気にしているのか?」

「世間体?」

「主婦はこうあらねばならないっていう世間の常識に囚われているのかなって」

「そうなのかな」

 有紀は斗真に指摘をされて考え込んでしまった。『拘り』という言葉が頭に残る。

「拘っていたのは私なのかも・・・」

「俺もさ、家事ができるように頑張る。でも、俺のやり方、というか、俺流のいい加減な家事でも認めて欲しい」

「そうね。別に完璧な家事なんてそもそも無いのだし、二人が心地好ければそれでいいのかも」

「俺の提案なのだけれど、拘っている方がお金を出さない?」

「どういうこと?」

「掃除や洗濯だって家事代行サービスとかあるでしょう。料理だってお金をかければ楽ができるから」

「ええ~、それだと私ばかりがお金を払うことになるじゃない」

「そっか、でも、美味しいものが食べたい時は俺が出すよ。それに家事だって俺のやり方でよければそれでいいのだし」

「そうね。何だかちょっと腑に落ちないけれど、お互い妥協点を探してみるのは悪くないのかも」


 ハッと目を覚ますと、バーテンダーの真治が冷たい水を差しだしてくれた。一気に飲み干すと心の鎖が解けていくのを感じる。

「拘っていたのは私の方なのかも」

「拘り、ですか?」

「そう、働く主婦とはこうあれねばならないって」

「仕事と家事の両立は大変ですけれど、家族で補い合えば何とかなります。我が家なんてひっちゃかめっちゃかな状態ですが、どうにか快適に暮らしていますから」

「ひっちゃかめっちゃかって、部屋に服とか散乱しています?」

「そう、靴下なんていつもどこかに放置されています」

「それって気が付いた人が片付けているのですか?」

「そうですね。洗濯は当番制なのでその時に部屋中からかき集めているかな」

「ゴミ出しは?」

「それも当番制です。気が付いたほうがやるとなると、結構偏ってしまうので、いつからか当番制になりました。子どもも高校生になってからはちゃんと番が回ってきます」

「子どもさんがいると拘ってなんていられないですよね」

「そうですね。僕のパートナーの口癖は、死ななければそれでいい、ですから、ちょっとやそっとの埃とは共存していますよ」


 有紀は外に出ると月を見上げた。斗真となら何でも話ができる。斗真となら一緒に暮らしていける。そう心から思えたのだった。

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