第19話 最高のめぐり逢い キール

 有紀は舞茸や椎茸などのキノコ類をオリーブオイルで炒めてパスタを作っていた。冷蔵庫からバターを取り出し入れようとした手が止まる。昨夜の斗真からの電話の声が再び頭の中で響き渡る。フライパンの音が変わり焦げそうになったので慌ててパスタの仕上げをした。

 普段の休日は家で何か簡単なものを作りワインと一緒に食べるのが、有紀の楽しみだった。高校卒業とともに一人暮らしを始めてから、有紀は家事をするのが好きになっていた。特に料理はストレス解消にもなり、誰かに振る舞うわけでもないのに腕をあげていた。

「実家の病院を継ぐ。有紀も一緒に働いてくれないか?」

「一緒に?」

「そう、結婚して欲しい」

「ちょっと待ってよ。電話で言うことかな?」

「あっ、そうだよね。ごめん。でも、しばらく会えないようだし・・・」

 高校の時の先輩である斗真と付き合うようになったのは、数か月前からだった。お互いに忙しく正式に付き合うようになってからも、会えるのは月に数回だけだった。

 斗真のことは高校生の時から好きだった。その気持ちを隠して友だちとして側にいた。看護師になるという夢を追いかけ、仕事に就いてからは自分のことで精一杯だったため、斗真への恋心はそれほど強いものではなくなっていた。つかず離れずの関係が心地よく、時々食事をするとか、電話で長話ができるだけで満足だった。だから付き合おうと言われた時は、嬉しい反面、正直戸惑った。何かが壊れるような気がしたからだった。それでも好きだという思いの方が勝り、付き合うようになったのだが、まさか、こんなに早い段階でプロポーズされるとは夢にも思ってはいなかった。


 パスタを食べ終わると、有紀は珍しく外に出た。どうしても家ではお酒を飲みたくない心境だった。だが、独りで飲み歩くことなどしたことのない有紀に行く当てはない。平日の午後7時過ぎの繁華街は決して有紀を歓迎している雰囲気ではなかった。

「じゃあ、後はよろしくね」

 大柄の女性がバーから出てきた。

「具合の悪い時は無理しちゃだめだよ。大人しく家で寝ていてよ」

「わかったわ」

 バーテンダーに見送られ、女性は帰路につくところだった。有紀と目が合う。

「入りなさいよ」

 無理矢理という感じではあるのだが、嫌な気はしなかった。

「はい」

 有紀は素直にそのバー『タイムトラベル』に入った。


「最初の一杯はビールを飲んでいただくのがこの店のルールになっています」

「はい」

 出されたクラフトビールは爽やかな味がした。有紀は今の思いをバーテンダーの真治に打ち明けていた。

「結婚したくないわけではないのですね?」

「はい、ただ考えたことがなかったから・・・」

「結婚に憧れを持つ女性は多いですが、私も結婚という制度には興味がなくて、それでもパートナーがいて子どもも育てていますが」

「籍は入れていないのですか?」

「はい、私の戸籍はまだ女性ですが相手は男性から女性に戸籍を変えています。それなので結婚はできないわけですが、アハハハ」

 明るく重い話題を振られ、有紀は少し面食らってしまった。

「まあ、とにかく、私もパートナーも幸せに上手くやっていますから」

「最高のめぐり逢いだったのですね」

「そうかもしれませんね。お互いに心地よい関係でいますからね」

「きっと、それが一番ですよね。実は今の関係が私には一番に思えてしまって」

「結婚しないままお付き合いを続けるということですか?」

「そうですね。結婚して一緒に生活を共にする自信がなくて」

「仕事と家事を両立する自信がないと」

「はい、今、一人暮らしをしていて自分のペースがあるので、それを壊されるのが嫌だという思いが強くて。私って自分のことしか考えていませんね」

「いいえ、それって大切なことだと思いますよ」

「そうですか」

「ええ、だって自分のことがわかっていないと、相手のことだってわかりませんからね。自分がどうしたいのか考えないで結婚するから離婚してしまうのではないですか?」

「自分がどうしたいのか・・・」

「このまま一人でいたいわけではないですよね。彼のことも好きなのでしょう?」

「はい、大好きです」


 有紀は斗真が初めて部屋に来た時のことを思い出していた。

「これ美味しいね。俺好きだわ」

 斗真は有紀があり合わせで作った料理を褒めてくれた。誰かのために作る料理がこんなにも幸せをもたらしてくれるとは思ってもいないことだった。だが、それが毎日続くとは思えない。現実的なことばかりが有紀の心を占拠していた。


「好きなだけでは現実生活は続かない・・・」

「結婚は現実ですからね。好きだけでは乗り越えられないこともありますからね」

「私は結婚しない方が幸せなのかも・・・」

「そうとは限らないのではないですか?」

「そうですかね。・・・」

 有紀は考え込んでしまった。


「だったら、これ飲んで、結婚生活を覗いてみてはいかがですか?」

 有紀は出されたキールを喉に流し込んだ。白ワインとカシスリキュールが口の中で絶妙のハーモニーを醸し出す。

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