第18話 役者への道

 高校生になったばかりの忠司は自分の部屋のベッドの上で、天井を見つめていた。そこそこ有名な私立の進学校に入学したのだが、どうしても勉強に身が入らないのであった。4歳上の兄は建築会社を経営している父の後を継ぐと言って大学は建築学科を選んでいた。建築会社と言っても大手ハウスメーカーのフランチャイズチェーンの一つにすぎない、地域に密着した工務店である。忠司は家業に全く興味はなかったし、家族の誰からも期待すらされてはいなかった。

 LINEの通知音がして覗いてみると、中学時代の友だちからの誘いだった。その友だちの従弟が出る舞台のチケットがあるから一緒に行かないかという内容で、特に断る理由も無かったので行くことにした。


 小さな劇場で観た舞台は思いの外、忠司の魂を突き動かしたのであった。友だちの従弟という人を紹介され、忠司は気が付けば時間ができるとその劇団の集まりに顔を出すまでになっていた。

 練習の見学をさせてもらえるようになり、裏方の手伝いをすることもあった。徐々に劇団員とも仲良くなり、忠司はその世界にのめり込んでいった。

「忠司君、ちょっと手伝ってくれるかしら」

 年は3歳上で確か高校を卒業したばかりだという玲美は、この劇団では既にリーダー格だった。主催者の50代の男性はテレビで見たことがあるにはあるのだが、それほどメジャーではない人物で、お酒の席や仲間とワイワイすることの方が好きなようで、劇団の運営はやる気のある玲美に丸投げ状態だった。そして他の劇団員たちからも玲美は一目置かれていた。

「はい、今行きます」

 忠司は玲美に気に入られようと、常に側にいるようにしていた。

「忠司君は玲美ちゃんのことが好きなのね」

「そんなことないですよ」

 劇団員の女性から言われたこともあったのだが、忠司はそれを否定した。事実、忠司に恋愛感情はなく、純粋にこの劇団の一員になるためにそうしていただけであった。


 高校三年生になり忠司は進路の選択に迫られた。まずは第一に玲美に相談していた。

 劇団員がよく集まる喫茶店に玲美と二人で向かい合わせに座ると、異様な緊張感に忠司は襲われていた。

「どうしたのよ、何、緊張しているの?」

 玲美はお決まりのアイスコーヒーをストレートのまま飲みながら忠司の目を覗き込む。見つめられると余計に緊張感が増してくるのだった。

「いや、あの・・・」

「忠司君って、かわいい」

「えっ・・・」

「ごめんなさい。揶揄ってしまって。で、本当にどうしたの?もしかして進路のことかしら」

「はい、高校卒業したら、劇団に正式に入れて貰えないかと思いまして」

「まあ、この劇団は正式もなにもあってないようなものだから、忠司君が希望するならいつでも歓迎ではあるけれど・・・」

 玲美はその続きを言い渋っていた。忠司は黙ってアイスコーヒーを啜った。

「大学には行かないつもりなの?だって進学校でしょう?」

「はい、それでも進学するつもりはありません」

「忠司君、真剣にお芝居のこと考えているものね」

 玲美に認められたようで嬉しかった。

「稼げないわよ。この世界は、それでもいいの?」

「はい、覚悟はしています」

「年を取ってから後悔しても遅いわよ」

「はい、僕はできる、できないということよりも、やりたいか、やりたくないかということで決めたいと思ったから・・・」

「やりたいか、やりたくないか、ね。そうかもね。私もやりたいって思ったからこの世界に入ってしまった。さっき、後悔って言葉を使ったけれど、やりたいことをしなかった後悔の方が、やった後悔よりも大きいのかもしれないわね」

 それから劇団の皆からも歓迎され、忠司は卒業後の進路を決めたのだった。


 忠司が劇団に入るのと玲美が劇団から去るのとは、ほぼ同時期だった。

「どうして玲美さんは出ていくのですか?」

 忠司は必死で玲美に食い下がった。二人は喫茶店で話すことが次第に増えていた。そこで玲美から劇団を去ることを聞かされ、忠司は動揺するばかりだった。

「新しく劇団を作ることになったの」

「だったら僕もそっちに・・・」

「そこは女性だけの劇団なの。だから絶対に忠司君は入れないのよ」

「えっ、そんな・・・」

「私の昔からの夢なの。女性の劇団員って結構大変なのよ」

「大変?」

「ええ、男性劇団員の中にはどうしても女性としてしか見てくれない人も多いしね」

「ああ・・・」

「まだ、忠司君にはわからないかもしれないけれど、色々あるのよ。あっ、でもこれからも顔は出すし、全く縁が切れるわけではないから安心して」

「そうなのですか?だったら良かったです」


 それから数年経ち玲美と同棲生活が始まった。忠司は玲美と一緒にいることが当たり前になっていた。玲美が忙しい時には忠司が家事全般を引き受けてもいたし、何より玲美の心の安定が最優先事項になっていた。忠司にはそれが楽しくもあり、幸せでもあった。

「ごめんなさい。また全部忠司に任せてしまって。おかげで何とか舞台も千秋楽にこぎ着けたわ」

「頑張ったからね。俺も嬉しいよ」

 忠司は心から玲美の活躍を喜んでいた。そしてそれが忠司にも原動力となり積極的に仕事にも取り組めるのであった。


 ハッと目覚めて出された冷たい水を飲み干す。身体が冷やされていくのがよくわかった。

「やっぱり彼女とずっと一緒にいたい」

 忠司の目から涙が零れた。

「彼女はきっと結婚を迫ったのではないと思うわ」

「えっ?・・・」

「将来のことをちゃんと話し合いたかったのよ」

「そういえば、彼女が出ていく前からちょっとやる気をなくしていて・・・」

「あなたの本気度を見たかったのかもね」

「本気度?」

「そう、これからどう役者として頑張っていくか。そして、彼女に対しての本気度も」

「でも、売れないと・・・」

「それよ。どうして売れないといけないのよ。売れないから頑張れないの?それはおかしいでしょう。役者って好きだからやっている、それだけだと駄目なの?」

「好きだから・・・」

「そうよ、役者が好きだから続けます。彼女が好きだから一緒にいます。それでは駄目なの?」

「あっ、わかりました。帰ります」


 忠司は夜の街を走った。とにかく玲美の顔が見たかったから。

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