第17話 やりたいことが天職
彼女との二人暮らしの部屋はガランとしていた。玲美の荷物は全て持ち出されている。忠司は昨夜の玲美との会話を思い出していた。
「結婚してくれないのなら、私たちもう別れましょう」
「ちょっと待ってくれよ。いきなり何だよ」
「いきなりではないでしょう。ずっと言っているじゃない。私はもう30代になってしまったの、もう待てません」
3歳年上の玲美と知り合ったのは、まだ忠司が高校生の時だった。同じ劇団の看板役者として舞台に出てもいるのだが、脚本家としても活動していた。同棲を始めて5年になる。玲美が結婚を意識していたことは知っていた。だが、彼女自身の仕事は順調で忙しく、本気で結婚する気があるとは思えない忠司だった。
「お金のことが心配なの?私も仕事は続けるのだし何とかなるわよ」
玲美が真剣になればなるほど、忠司は腰が引けてくるのだった。
「そうかもしれないけれど、もっと俺自身がちゃんとしたいから」
「ちゃんとしたいってどういうこと?」
「俺が家族を守れるように稼がないと・・・」
「わかったわ。あなたは私と一緒に生きていく気がないってことよね。私の稼ぎはいらないってことね。というか、私の稼ぎで暮らしたくはないってことね」
忠司は反論できないでいた。
「それが斗真のやりたいことだったのか」
忠司は斗真が実家の病院を継ぐことを報告され、親友が活き活きと自身の夢について語る様子を嬉しく思っていた。
「お前がさ、やりたいことが天職だって昔から言っていただろう。その意味が今になってやっとわかったよ」
「そうか。でもさ、現実は結構厳しくて・・・」
居酒屋ではキチンとしたスーツ姿のグループがやけに盛り上がっている。順調な人生を歩んでいる同世代を見るのも今の忠司には辛かった。
「あれ?どうしたのよ。何だかいつもと逆だな。お前が落ち込んでいるのなんて初めてじゃないか」
「そうかもね。最初の頃は結構テレビの仕事があったのよ。だけれども27歳にもなると学生服って役も似合わなくなってくるしさ・・・」
「そうか、大変だな」
「もうそろそろ限界なのかな」
「忠司らしくないぞ。元気を出せよ」
「彼女とも別れてさ」
「玲美さんと?」
「そう、何だかもう全てがどうでもよくなるよ」
斗真は必死に忠司を元気づけようとしているのだが、順風満帆で苦労知らずのお坊ちゃまから何を言われても、心に届かないのであった。
明日は早いという斗真と別れ、忠司は一人トボトボと歩いた。すると目の前にバーの看板が見えてくる。『タイムトラベル』という言葉に誘われ、重い扉を開けていた。
「最初の一杯はビールを飲んでいただくのがこの店のルールになっています」
大柄のママに圧倒される忠司だったが、不思議と落ち着いてくるのだった。
「お願いします」
クラフトビールは爽やかで飲みやすかった。
「役者なんて続けても意味ないですよね」
忠司はママのミツヨに今の悩みをぶちまけていた。
「オーデションに行っても不合格続きですよ」
「役者って仕事は大変そうね」
「ちょっと自信を無くしています」
「自信ね。そんなもの必要ないわよ」
「そうですか?」
「役者なんて売れるか売れないかでしょ」
ママのミツヨから悪戯っ子のような目で断言され、益々気持ちが沈むのであった。
「そうですが、それだけでは・・・」
「売れないとお金にもならなければ、仕事としても成り立たないじゃない」
「そうなのですが、何だかそれだと・・・」
「役者としては一流ではない、っていうことかしら?」
「そうですね」
「でもね、そもそも一流って何なのかしら?」
「そりゃあ、いい芝居をする人、とか、感動させる芝居ができる人」
忠司は誇らしげに言い放った。
「それができても売れていないと多くの人は感動させられないし、何より長くは続けられないのではないの?」
「そうですが・・・」
「まあ、売れている人の中にも感動させる芝居ができない人もいるしね」
「えっ、・・・?」
「人気だけのアイドルとか、ハンサムなだけの役者がテレビに出ているのは事実だからね」
「そこまでは・・・」
劇団での活動を中心とし、主役に抜擢されたこともあったのだが、高校生の頃から所属していた劇団が解散することになり、忠司は途方に暮れるばかりだった。大手事務所に入ることなく、小さな劇団がスタートだった忠司にはテレビの世界は縁遠かった。それでもエキストラのような仕事を重ねるうちに、22歳の頃にはクレジットに名前は載らないが重要だと思える役柄をゲットできたのだが、その後はそんな話はもう舞い込んでもこない。そこでオーデションを受けるのだが、合格している役者は大手事務所所属のアイドルか、モデル出身の人間ばかりだった。
「だったら辞めちゃえば」
ミツヨに冷たく突き放され、それでも踏ん切りのつかない忠司である。
「でも、まだ諦めたくはなくて」
「じゃあ、頑張るしかないわよね」
「はい、でも、彼女にも振られてしまって、何だかやる気が出なくて・・・」
「結婚でも迫られたの?」
「ええ、どうしてわかるのですか?」
「そりゃあ、その年頃ならありがちな理由じゃないの。彼女って年上でしょう」
「えっはい、でも、彼女は仕事中心の生活をしていて、結婚願望があるなんて思ってもいなくて・・・」
「あなたはどう思っていたのよ。結婚する気はあったの?」
「まずは自分が一流の役者になって食わせてあげられるまでは、結婚は早いって思っていました」
「どうして食わせてあげるまでは駄目なのよ」
「えっ、だって男なら・・・」
「なるほど、それ言ったから彼女に振られたわけね」
「どういうことですか?」
「だったらこれ飲んで、芝居と彼女に出会った頃に戻ってくれば」
忠司は出されたウイスキーのグラスを思いっきり呷った。
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