第12話 いつまでも現役
春菜は経営者や投資家が独り勝ちする世の中が許せなかった。いつまでたっても女性の地位は向上しないし、働き方改革やら同一労働同一賃金だのとスローガンばかりが一人歩きしていて、真面目な人間から潰されてしまう現状に
そうは言っても自分は何もできないでいた。思いばかりが先行してしまい、行動が伴わないでいる。
無銭飲食の子どもがカフェに来ているという連絡があり、春菜は外出先から店へと急いだ。店長の満里奈が困った顔で春菜が来るのを待ち受けていた。
「あの子、覚えています?以前母親と来たことがあったかと」
厨房から麻里奈が指さす席を覗くと、小学校高学年の女の子と低学年の男の子が座っていた。
「覚えているわ。この近くに住んでいるはずよね」
「はい、地方から引っ越してきたと以前言っていたような・・・」
「とにかく私が事情を聴くわ」
春菜はその子たちの席に一緒に座った。
「ロコモコ丼は美味しかった?」
「はい、とっても美味しかったです」
女の子はしっかりした態度で言った。
「今日、お母さんはどうしたの?」
「あの・・・」
「いないの、ずっと前から」
唇を噛みしめ下を向いてしまった女の子とは対照的に、男の子が無邪気に言う。
「すみません。働かせてください」
顔を上げた女の子の目は真剣そのものだった。
話を聞いてみると、離婚をした母親と一年前にこの近くに越してきたという。その母親の姿が一週間以上見えないという。冷蔵庫の中の食べ物も机の上に置いてあったお金もなくなり、姉弟は困って街を彷徨っていたという。そんな時、弟がこの店に入りたいとごね出し、姉の方が根負けをして、半ば自棄になっていたという。
「この店を覚えていてくれたのね。来てくれてありがとう」
春菜の正直な気持ちだった。この店の常連で親しくしている議員の女性に電話をすると、すぐ駆けつけてくるという。その女性議員の計らいで、学校と連絡をとり担任の先生たちが店に集まった。
時間はかかったが何とか姉弟の母親が見つかり、夜遅くになって店に姉弟を迎えに来た。
「ご迷惑をお掛け致しました」
やつれた様子の母親は消え入りそうな声で言った。
「もっと早くに私を頼ってくれればよかったのに」
春菜は自分自身に腹が立っていた。もっと自分が何かできていればこの母親を追い詰めることもなかったのではないかと。
そんなこともあり、春菜は無償で子どもたちに料理を提供する『子ども食堂』の運営に乗り出した。
元々、新たなカフェの店舗展開を考えていたこともあり、そこで『子ども食堂』の機能を併せ持つことにした。子どもの親たちが働ける場にできるよう体制を整え、地元の人たちにも協力を募り、経営者としてのそれまでのノウハウをそこに活かし切ろうと張り切った。
理解されないことも多々あり、偽善者だと罵られたこともあった。本当に来て欲しい子どもたちが来ていない現実に直面し、心が折れそうになることも一度や二度ではない。それでも喜んでくれる子どもたちの笑顔に支えられていた。
『子ども食堂』の運営を続けることで、何より春菜自身が幸せを感じていた。そして、働いているスタッフの誰もが幸せになれる道を模索するようにもなっていた。それらの思いが強くなればなるほど、カフェ経営に身が入るのであった。。
「春菜さんって年々パワフルになっていますよね」
最近、更年期症状が出てきたとこぼす麻里奈が羨ましそうに言ってくる。春菜は60歳になっていた。
「そうね。あなたの年齢の頃よりは今の方が元気かも」
「子どもたちのお陰ですか?」
「そうかもしれないわね」
「あのまま店舗数を増やして、経営拡大を目指していたら、今の幸せはこなかったかなって思います。『子ども食堂』にシフトして良かったです」
「あなたにそう言われると、ホッとするわ。もっと売り上げを伸ばせるはずだって言ってくるコンサルタントのアドバイスを無視したことは間違いではなかったって思いたいからね」
「最初の頃は私もあのアドバイスにどうして春菜さんは耳を貸さないのか、理解できないでいました。もっとお金を手にした方が、幸せになれるのかなって。でも、私も子どもたちと接してきて、働く意味、というのですかね、言葉に上手くできないのですが、意味のある人生が開けたと心から思っています」
気が付くとバーテンダーの真治が冷たい水を出してくれた。
冷たい水が喉にも心にも心地よかった。
「働くってお金だけではないのよね」
春菜は自分から出た言葉に自分でも少し驚いていた。
「そうですね。お金は必要ですが、限度というものがありますよね」
「そうなのよ。カフェ経営が順調になってきたら、もっともっとと売り上げを伸ばすことばかりに躍起になってしまってね。そうなると細かい経費に眼がいって、その結果、働いているスタッフたちへ負担をかけることも多くなってしまったの。それで、何だかお店の方がギスギスしてきて・・・」
「経営者は大変ですよね」
「でも、それって私が望んでいる経営ではなかったの。もっと、スタッフの子たちが幸せになれる経営をしないとって思えてね」
「とても素晴らしいことですね」
バーテンダーの真治の笑顔により一層勇気を得た春菜だった。
「経営の仕方って色々あるものね。ボランティアという言葉はあまり好きではないけれど、今の仕事でもっと多くの人たちの役に立てるやり方を考えてみるわ」
春菜は晴れやかな気分でバーを出た。
「まだまだ若い子には負けないぞ!」
外の熱気に圧倒されながらも、春菜は空を見上げて叫んでいた。誰かに笑われた気がしたが、そんなことは気にもならない。満月が自分の味方をしてくれている。そう思うと独りでいることが楽しくなってきた。
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