第6話 6年後の自分

 豊は同期の藤田の誘いで山形県に来ていた。藤田にだけは思いのたけを話していた。

 壮大な畑に案内されるかと思っていたら、連れていかれた先は工場だった。しかも外観はかなり古い。ドアを開けると内装は新しく清潔で色とりどりの瓶が並んでいた。

「ここでは産地の果物でジャムを作っています」

 若い女性の案内でジャム作りを見て回った。

「旬の果物をここでジャムにして売っている」

「そうなのか」

 豊は若い人たちと一緒になって生き生きと働いている藤田を見て、嫉妬の感情すら湧いてくる。

 農産物の直売所にも案内され藤田がやろうとしていることが、おぼろげながら見えてきた。農家の人たちと共同で新たなことに挑戦しようとしている。その姿に圧倒されるばかりの豊かだった。

「ここの野菜たちが東京でも食べられたらいいよね」

 豊はポロッと本音を言っていた。

「そうなのだよ。最近ではネット通販を始めている農家の人たちもいるらしいのだけれど、なかなかハードルが高くてね」

「そんなことないだろう。スマホがあれば簡単にできるじゃないか」

「お前にはそうだろうけれど、なかなか慣れないことには手が出ないのだよ。それに農家は結構忙しいから時間もないしね」

「だったら外注にだせば・・・でもそんなにお金はかけられないか」

「何かいいアイデアがあればね」

「共同で会社作るっていうのはどうなの?さっきのジャムとか加工品や名物のスイーツだってあるようだし・・・」

「だったらお前が考えてくれよ。もしよかったらその事業始めないか?」

 豊は自分でも信じられないくらい、この地に来てから色々なアイデアが頭を駆け巡っていた。


 起業した年はマスコミにも取り上げられ、周りも協力的だったため順調な滑り出しだった。ところが3年目に突入する頃には資金繰りが苦しくなり、更には田舎の人間関係のトラブルにも見舞われた。元々胃腸が弱かった豊は、しばらく入院することになりしばらくの間東京に戻った。

 自分の考えの甘さを反省し、何をこれからするべきなのか、どうすれば事業が持ち直せるのかを冷静に客観的になって考えた。新たに勉強もし直し、退院してからは様々な業界の人たちにも積極的に会いにも行った。一からやり直す覚悟で山形に戻り事業を再開させた。

 自分にもまだ、それだけの努力をする気力が残っていたことが、何より嬉しかった。我が道を行くには多くの人に受け入れてもらわなければならない。そのためにする努力なら、辛いことなんてなかった、むしろ楽しいくらいである。

 大変だと感じていた田舎での人間関係の構築も、サラリーマン時代の経験が意外とものを言った。年配者への根回しや権力者への忖度の加減は心得ていた。それらをやり過ぎて若者の心が離れてしまっていた時期もあったが、若者たちへの配慮や彼らを尊重するようになってからは、全てが上手く回るようになっていった。


「農家の人たちの紹介動画が好評だよ」

 藤田は嬉しそうに豊の事務所に入るなり言った。

「最初はみんな反対していたけれどね」

「お前が皆を説得したおかげだよ」

「俺の力なんてそれほどでもないよ。皆、本当に良い品作っているし、頑張っているのだから、その姿勢が消費者に伝わっただけだよ」

「お前も謙虚になったな。ちょっと前まではどうなることかと心配だったけれど」

「ちょっと天狗になっていた時期があったからね。病気をして皆に支えられていることに改めて気が付いたから」

「苦労はあったけれど、起業して良かっただろう?」

「そうだね。あのまま会社に残ることもできたけれど、それをしなくて良かったよ。今の年齢から起業をするのはもっと大変だろうし」

「きっと遅いってことは何事にもないのだろうけれど、一度きりの人生だもの後悔はしたくはないからね」


 気が付くとバーテンダーの真治が冷たい水を出してくれた。

 それを一気に飲み干すと気持ちが少し晴れやかになった。

「順風満帆ではないよね。起業しても」

 豊は様々な思いを駆け巡らせながらも心からそう思っていた。

「そうですね。経営は難しいですから」

「この店は君の店?」

 バーテンダーの真治は豊より少し年下に見えた。

「いいえ、オーナーは別にいます。店にもママとして出ていますよ」

「そう」

「はい、僕の妻でもあります。正式ではありませんが」

「だったら共同経営者みたいなものでしょう」

「そうですね。子どもがいるので交代で店に出ていますし、何でも話し合って店のことも家庭のことも決めています」

「何だか羨ましいね」

「そうですか?僕は身体は女性として生まれましたが心は男性です。妻は身体は男性でしたが心が女性です。あべこべの夫婦なのですが、普通のカップルと一緒でそれぞれの意見がお互いにあるのでそれが経営にも生かされていると思います」

「俺は妻の意見をちゃんと聞いたことがあったかな」

「それはいけませんね」

「わが道を行くっていうのはそれだと上手くはいかないよね」

「そうですね。奥様の話をちゃんと聞いたほうが上手くいくと思います」

「妻ともよく話し合って後悔のないよう頑張らないとね。いろいろとありがとう。」


 豊はバーテンダーの真治にまた来ることを約束して店を出た。

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