第5話 我が道を行く オールドファッションド

 同期の藤田が人事部に呼ばれたと話題になっている。これで何人目だろうか、すでに会社は45歳で実質上の定年宣言をしているようなものだった。表向きは本人のキャリアアップのためだと言いながら地方か子会社への出向を言い渡される。大人しく従う者の方が多かったが、退職を選んだ先輩たちも結構な人数になっていた。

 豊は勤めている会社がリストラに着手するという話を新聞記事で知った。親しい上司に確認をしてみたが、口が堅いせいなのか、本当に何も知らされていないのは不明だが、詳しいことは聞かされないまま、時間ばかりが過ぎていった。


「俺、会社辞めるわ」

 藤田と会社帰りに毎日のように通っている立ち飲み屋に豊はいた。喧騒に圧倒されながらも負けじと声を張る姿は、板についている。

「辞めてどうするの?」

「実家に帰るわ」

「山形だっけ、実家は」

「そう、そこで農家をやる」

「奥さんは何て言っているの?」

「好きにすればって」

「理解あるんだ」

「そうじゃないよ。別居するの。あいつは東京で仕事を続けたいそうだ」

 意外とサバサバしている藤田だった。

「子どもたちはどうするの?」

「東京だよ。学校あるしね」

「離婚はしないのか」

「そうはならなかった。単身赴任のようなものだって家族は喜んでいる。子どもたちは山形が好きだから時々は遊びに行くねって」

「奥さんの実家が近いから安心だな」

「同じマンションだからね。同居と何にも変わらない」

「それが嫌だったのか?」

「正直それもある。でも農家に興味があるから決めた」

「興味?」

「そう、やりがいも感じるしね」

「やりがいか」

「お前はどうする?」

「色々と考えてはいる。お前みたいに住宅ローンが無いわけではないから、そう簡単にはいかいけれど」


 藤田と別れた豊は独りで飲み直そうと、近くにあったバー『タイムトラベル』という店に入った。

 痩せ型のバーテンダーはボーイッシュな女性だった。いや、今は男性なのかもしれない。

「最初の一杯はビールを飲んでいただくのがこの店のルールになっています」

 出されたクラフトビールはさっぱりしていて喉越しが最高だった。

「自分の会社を興したいって夢があるのですよ」

 豊は聞かれてもいないのにベラベラと自分の夢を語り始めた。


 いつかは起業して自分の会社を持つことが豊の夢だった。大手ソフトウェア開発会社に就職し技術部門の部長にまで上り詰めた。技術からマネジメントに至るまでを経験し、自分に対しての自信だってある、はずだった。


 44歳の豊は12年前に結婚をして11歳になる男の子の父親である。3歳年下の妻は専業主婦として豊を支えてくれていた。豊の両親とは二世帯住宅を建てて同居しているが、嫁姑問題にも悩まされず、自分は家庭に恵まれていると思っていた。


「住宅ローンさえなかったら・・・」

 豊はボソッとバーテンダーにこぼす。

「そんなに大変なのですか?」

「いや、周りと比べたら土地は親父の持ち物だし、建物だけのローンだからそれほどでもない。それに親父が金を出すって言ったのを見栄張って断っていてね」

「じゃあ、お父様にお願いすれば返済してもらえる」

「そうね。いつでも出すって言ってくれている」

「起業を躊躇うのは家族の方たちの同意が難しいからですか?」

「いや、妻は何も言わないかな。いつも「パパに従います」が口癖だからね」

「ご両親の同意が必要なのですか?」

「それも別に必要ないかな」

「だったら、ご自身の決断だけですね」

「そうなのかもね。でも藤田のように何がしたいっていうのがないからな・・・」

「ただ起業したい、独立したいっていうだけなのですね」

「そう言われればそうなのかも・・・でも昔はね、色々と考えていたな」

「それを思い出せばいいのではないですか?」

「それはわかっているのだけれど・・・」

「何が問題なのですか?」

「俺はソフトウェア開発の技術者として今の会社に就職したのだけれど、もうその技術もとっくの昔に通用しなくなっていてね。しかも部長としてマネジメントをしてきたのだけれど、こっちも起業家としては何の役にも立たないことに気付かされて・・・」

「現実は難しいと」

「そうなのだよ。サラリーマンとしてのスキルしか身に着けてこなかったからね」

「忖度とか・・・忖度、あとは・・・」

「アハハ、忖度ばかりではないけれど、井の中の蛙大海を知らずってやつだよね」

「でも深さは知っている訳ですよね。人間関係だって上手く築いてきたでしょうし、根回しだって得意ではないですか?」

「それだって忖度のようなものだからね。そればっかりでもね」

「でしたら、これ飲んで数年後の自分に会ってきたらどうですか?」

 出されたグラスを見て、ウィスキーベースがオレンジと相性よく調和している様に豊は感動すら覚える。古いタイプの人間とフレッシュな若者とが上手く融合しているかのようだった。

「これ何というカクテル?」

「オールドファッションドです」

 豊は自分自身を奮い立たせるために、それを一気に飲み干した。

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