5
誰もいない放課後、学校の屋上に真人はひとりでいた。
グラウンドの西側では、野球部が走り込みの練習をしている。反対側では陸上部が走り幅跳びの準備をしている。門の近くでは大勢で群れて下校するもの、一人で下校するものの姿が見えた。
そんな風景を、真人はフェンス越しにぼんやりと眺めていた。
突然、屋上の扉が開く音がした。
彼は驚いて振り返る。
「あ、相川くん、ど、どうしてここに?」
相川は軽く手を振りながら、真人の方へ近づいて来る。
彼は真人のすぐ傍まで来ると、鞄を置いてその上に腰を下ろした。
「この学校の屋上って、何でか鍵がかかってないんだよな。まあフェンスは高くて頑丈だし、無理やりに乗り越えようとはしない限りは、誰かがうっかり落ちるってことは、ないと思うけど……」
相川は、夏休みが明けた二学期の初めに他県からやって来た転校生だった。
真人とは同じクラスだったが、お互いの席も離れていて、今の今まで言葉を交わしたことは数えるほどしかなかった。
「なあ、川村」
「な、何?」
「何でおまえ、田代たちにやり返さないんだ?」
突然の相川の質問に、真人は狼狽を隠せないでいた。
「え? なんでって……む、無理だよ! 相手は三人もいるし、田代くんたち、みんな身体だって僕より大きいし、つ、強いし……そ、それに……こ、これが僕のクラスでのポジションだから……」
真人は一気にそう捲し上げたあと、表情を暗くして下を向いた。
「そうか……じゃあ、仕様がないか」
相川は妙に納得した表情で頷く。
「え!?」
「ん?」
二人の声が重なった。そして顔を見合わせた。真人はなんとなく気まずくなって、先に目を逸らした。
「……なんか、相川くんって変わってるね」
「そうか? ほらっ」
相川は気にする素振りもなく、ズボンのポケットからガムを一枚取り出すと、真人の方に差し出した。
「あ、ありがとう。でも虫歯になるから……」
「大丈夫、シュガーレスだから」
相川は銀紙をはがすと、一枚自分の口の中に丸めて放り込むと、ニヤリと笑った。
真人はガムを受け取ると、注意深く銀紙をはがして口に入れた。ブルーベリーの甘味が一気に口内に拡がっていく。
自然と口角が上がって、真人は笑顔になった。
ふと、暫くの間ブルーベリーのガムを食べていなかったことに彼は気づいた。懐かしい味だった。
「川村、おまえそのガムの味、久しぶりだろ?」
何か答えようとする真人を手で制すと、相川は続ける。
「いいか、今お前が食べたガム、それは勇気のガムだ。おまえは勇気を何処かへ置き忘れてきてしまった。でも、今思い出したはずだ。その味を忘れるなよ」
そう言って、転校生は真人の肩を軽く叩いた。
「え?」
真人が彼の方を見ると、転校生は本気なのか冗談なのかは分からない表情を浮かべていた。
色白で、すらっと背の高い転校生、真人には彼が自分と同い年にはどうしても思えなかった。
「相川くんって、本当に、変わってるよね……でも、これ普通のブルーベリーのガムだよね? スーパーヨシムラとかで売ってるし……あ、でも、ありがとう……それから、この前の駐輪場裏でのこと……」
最後の言葉は少し震えていた。
転校生は何も答えず、ただ前を向いて真人の隣に座っていた。
屋上から見える街は、ゆっくりと夕焼けに染まっていった。
一体、今まで何回、夕焼けに染まるこの景色を見ただろうか、真人の脳裏に突然そんな疑問が浮かんできた。
「……これがオレの忘れものなんだよ」
「え?」
「ここに転校してくる前に、オレには友達がいた。その友達には助けが必要だった。でも、オレは助ることが出来なかった……だから今度は……それが、オレの忘れもの」
「わ、忘れもの……?」
「ああ、『人生の後悔』……忘れもの。オレはそう呼んでる」
相川は視線を真人に向けた。
その真っすぐな瞳は、なぜだか真人を少しだけ萎縮させた。
そんな真人の心の動揺を見抜いたかのように、相川はゆっくりと視線を外す。
「……勝てなくてもいい。反抗の意志をみせるんだ。それだけで……きっと何かが、変わるよ。でも、もし今やらなかったら……」
「やらなかったら……」
真人は息を呑んで答えを待った。
「……それはまた、必ず自分に戻ってくる」
相川はゆっくり真人の方を向くと、少しだけ笑った。
「オレ、すぐまた転校することになったんだ」
「え? うそ? いつ?」
「たぶん、来月の初め……そういえば上田が言ってたけど、去年の秋頃、川村もこの学校に転校して来たんだってな。転校って、なんか面倒くさいよな」
真人は去年の秋のことを思い出す。
去年の二学期の終わり、真人はこの学校に転校してきた。中途半端な時期に転校してきてたためか、彼には中々友達が出来なかった。
あっという間にその年の年度が終わると、この春のクラス替えで田代たちと同じ今のクラスになった。そしていつの間にか真人は、今の虐められるポジションにいたのだった。
「……うん、そうだね……」
「転校生ってさ。みんなから注目されるよな。良い意味でも悪い意味でも」
「うん……」
「それで、初めに良い印象を与えることが出来れば人気者になれる。でも、悪い印象を与えてしまえば……」
相川はそこで言葉を突然切ると、素早く起き上がった。
「いいな? やられたらやり返すこと、忘れんなよ。じゃあな」
そう言うが早いか、彼は真人に背を向けると階段の方へひとり歩き出した。
「あ、相川くん、またね!」
真人は立ち上がって手を振った。
相川は一度立ち止まると、振り返って手を振った。
「ああ、また明日」
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