4 プレーヤーとしての半沢直樹

「プレーヤー」しか存在しない世界。そこでは「人間学的な深み」など消え去るほかない。俳優陣による演技のけれんみは、おそらくここから要請されている。その人の「顔」となるべき「欲望」がないから、あのくらい芝居がかった演技でもしなければ、登場人物たちはみな一様な表情を持つ「のっぺらぼう」になりかねなかっただろう。

 さて、やはり最後に、そんな「表情豊かな」プレーヤーの中でも、この男に触れておかねばなるまい。主人公である半沢直樹である。彼の立ち位置というか、不思議な魅力についてだ。

 このドラマの登場人物たちには出世や権力以外の目的がないと言った。しかしじつは、半沢には頭取を目指すべき理由があるらしい。かつて彼の両親が経営していた工場が銀行からの融資打ち切りによって潰れたという過去があるのだ。半沢は父の無念を晴らすにも頭取になって銀行を変えようと考えている。半沢が勤める東京中央銀行は、世界第3位のメガバンクという設定である。それだけの銀行の頭取ともなれば、なるほどたしかに、人類の、と言わないまでも、日本人の幸福に貢献できるだけの影響力を持ちうるのかもしれない。その意味では半沢には「大儀」があると言えなくもない。

 ただ、こうした「背景」については、ドラマ版ではあまり重きを置かれていないようだ。すくなくとも第2期初回を見た限りでは、冒頭などで特に紹介もなかった(以上の設定はネットで調べた)。今後言及されるのかもしれないし、原作ではまた違うのかもしれないが、初『半沢直樹』視聴者の目には、ここも「省略」の範囲なのかなと見受けられた。この作品のファンも半沢の過去や背景については特に意識していないのではないか。そういう意味では、主人公の半沢もやはり、このドラマにおける他の登場人物たちと同じ、ひたすらに「ゲーム」の勝利だけを目指す「プレーヤー」のひとりと言える。

 そんな半沢はビジネスパーソンとしては「曲がったことを許さず、常に筋を通すのをよしとする」という信念を持っているらしい。ただこれも倫理的な信念というよりは、「プレーヤー」としての矜持といったほうがよいだろう。その証拠に、半沢がライバルの卑怯なやり口に憤るのは、別にそれが(「人間」の世界における)道徳的な「悪」だからではなく、単にビジネスのルールに反しているからである。半沢が本当に「倫理の人」であるならば、わりと犯罪っぽい不正をした人物を、銀行ごと告発すべきだろうに、どうも彼は「ゲーム」の舞台をぶち壊しかねない真似はしないようだし、組織の論理と社会正義の間で葛藤するということもないようだ。

 しかしこの「ルール順守」の「戦略」こそが、半沢を主人公として輝かせている。なにせまわりはルールなんて知ったことかと言わんばかりの「汚い連中」ばかりである。これだけ「濃い」メンバーに囲まれれば、そりゃあ半沢のほうが相対的に「信念」を持っているようにも見えるだろう。たとえ彼がクライアントに肩入れするのが、「人間」的な同情からではなく、「プレーヤー」としての矜持からだったとしても。

「信念」といえば、奇しくも半沢は第2期初回で半沢は自身のビジネス上の信念を問いただされていた。「やられたらやり返す」という有名な台詞が、それらしい。しかしよくよく考えればこれは、逆に言えば「やられない限りなにもやらない」ということである。権謀術数渦巻くこの世界においてはいささか受け身な態度ともとれる半面、ゲーム理論的に考えれば「プレーヤー」としてはなかなか利口な戦略ともいえる。愚直とも言える戦略だけを頼りにこの高度資本主義ゲームを戦う半沢に、人々はある種の憧れと期待を抱くのだろう。

「信念」はなくとも「戦略」は正しい。「人間」の皮をかぶらずして「プレーヤー」としての輝きを放つ。そして「ルール」を守らない姑息な連中にはきっちりと「倍返し」。そんな「プレーヤー」としての半沢直樹は、すべてが「ゲーム」と化したこの現代において、新たな魅力を備えたヒーローとして私たちの目に映るのかもしれない。そして私たちは、漠然とした憂鬱を抱えつつも、明日も資本のゲームに「ログイン」するのである。

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『半沢直樹』、あるいは高度資本主義ゲームにおけるプレーヤーについて 電柱保管 @hiro315

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