2 世界の狭さ、人間の不在
『半沢直樹』は金融ビジネスの世界を描いている。もっと言えば、金融ビジネスの世界しか描いていない。第2期の初回1時間20分を見た限りではあるものの、全編を通して、画面にはほぼ会社と呑み屋のシーンしか出てこなかった。呑み屋で会っているのも会社の同僚や上司だし、話す内容といえば仕事のあれこればかりである。半沢が妻に電話を入れるシーンでかろうじて彼の自宅が映っているものの、当然ここは物語の主要な舞台ではない。ひょっとするとこのご時世ゆえ外ロケが難しかったという事情があるのかもしれないが、それにしても、この作品では物語の舞台が相当限定されており、東京にはオフィスビルと呑み屋しかないのかと思わせるほどだった(学校のシーンも少しだけあったが、過去回想である)。
物語の舞台だけでなく、世界観そのものもビジネスに染まりきっている。登場人物たちの頭の中、少なくともその言動の中に、会社と仕事以外のことがうかがえないのである。さきほどこのドラマは金融ビジネスの世界を描いていると書いたが、より正確に言い直せば、描かれているのは東京中央銀行、およびその関連組織における派閥争いである。半沢自身もこの銀行で頭取を目指しているらしく、だからこそ社内でのライバルとの対立や権力闘争がストーリーの主軸となっている。……それはわかるのだが、それにしても、登場人物たちの言動の端々からうかがえる、「僻地の支店に左遷されたり出世コースから外れたりすれば人生終わり」みたいな価値観は、個人的にはなかなか理解しがたい。そんな歯を食いしばって働くくらいならもっと楽な仕事に転職するとか、あるいは早期リタイアして悠々自適に暮らすとかいう思考回路は彼らにはないのだろうか。イ〇ダハ〇トあたりに「まだ東京で消耗してるの?」なんて挑発されそうである。もっとも半沢的には「『まだ東京で消耗してるの?』でまだ消耗してるの?」と「倍返し」したいところだが。
とにもかくにも、『半沢直樹』の世界(観)は狭い。この世界の人々の人生には会社と仕事しか存在しないかのようだ。むろん、この狭さこそがこのドラマの成功要因のひとつであるだろうし、制作サイドも意図的にこうした設定と演出を作り上げているものと思われる。ストーリー進行上「余計な」要素をそぎ落とすことでテンポがよくなっているし、主人公の「仕事で結果を残すビジネスパーソン」というキャラクター像もよりヒロイックなものとして確立されている。
ただ、そうした演出上の是非とはまた別のレベルで、この世界(観)の省略によって興味深い現象が起きているようにも思う。「人間」の不在である。平たく言えば人間味が薄いということである。経済システムの「外部」の消失といってもいい。そして、おそらくはドラマのドラマ性を担保してきたであろうこうした「臭さ」を消し去ってなお「ウケるドラマ」が存在しえている事実に、現代社会のありようも透けて見えてくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます