11

 あれから何年も何年も経って、たくさん勉強して、僕は年齢上、ついに大人になった。

 けれど、僕は僕の憧れていた大人なんかではなかった。僕は酒を飲んで計算して言われた通りに仕事をこなして、地位が上がると時には王様のように支配しているような気分になる、憧れとは真逆の大人だった。

 ずっと、大人に憧れていた。

 けれど今は、子供の頃が愛おしい。

 きっと大人は、子供に夢だけを与える存在なんだ。与えるだけ与えて、あとは自分でなんとかしろと見放してしまうのだ。

 ああ、なんてことだ。今、僕にはほぼ生きている実感がない。


 大人は難しい話しかしない。なにか文章を書くときだって、紙いっぱいにちっちゃな文字をずらりと書く。それはいつもいい評価がつけられるとは限らなかった。

 子供の「楽しかった」「嬉しかった」「難しかった」「面白かった」とか、そういう一言で片付けてしまう感想の方が純粋だと思った。なにに対して楽しかったと思ったのかわかっていないからじゃなくて、きっと本当のことを書いているだけなんだ。楽しかったから「楽しかった」とそのままのことを書く。

 それに、子供のときよりも悲しいことを恐れている。そしてその悲しみの中に、幸せなんてひとつもない。

 次々と振ってくる仕事でいっぱいで、いろんな場面において想像力はほぼゼロだった。

 僕は今、子供の頃ずっと大人に憧れていたことを後悔している。


 そんな途方に暮れる暇もない残念な日々を送っていたある日、子供の頃三度だけしか続かなかった夢の続きをみた。

「やあ、久しぶりだね」

 彼女の姿はあの時と変わっていなかった。

「あなたは今、大人になれて嬉しい?」

 夜の砂漠をふたりで歩く。

「……全然……子供の頃に戻りたい」

 今となっては後悔しかない。憧れなんて、どこにもない。

「あなたは、心の中に大切なことを見つけたはずなのに、それでも大人への憧れを捨てられなかった。どうして?」

 僕は疲れて、その場に座り込んだ。

「わからない。シオンが大切だった。本当に一番大切だったんだ」

 彼女も僕の隣に腰を下ろした。

「あなたは、それまで大人に憧れていた自分を壊すのが許せなかったんじゃない? 憧れの大人になるために準備してきた長い時間を壊すことが、どうしてもできなかったんでしょう?」

 ああ、そうか。僕はシオンよりも、過去の自分が大切だったのか。過ぎ去ったあの日々が、そんなに大切だったのか。だからモヤモヤの正体がシオンへの好意だと気づいても、ずっと言えなかったんだ。ばかげてる。「もし」が癖だった僕が憎い。

「……僕は、間違えたんだ。あの時、もしなんて捨ててしまえばよかった」

「だから言ったじゃない。今を大切にしたほうがいいって。あなたは幸せだった過去と憧れている未来に生きていた。ずっと、妄想と想像の中で生きてたんだよ」

 彼女の言う通りだった。

 ずっと妄想と想像の中で生きていた。それはどちらも、「もし」でしかなかったのに。

 もし憧れの大人になれたら。

 もし違う選択をしていたら。

 それだけのことでしかなかったのに。

 僕は蹲って泣いた。彼女に見られていることもかまわずに、恥を晒した。

 もしシオンを選んでいたら、彼女はいじめられていることを素直に僕に話してくれて、今もすぐそばにいて、幸せだった、かもしれない。

 けれどそれも所詮は「もし」でしかないのだ。


 きっと僕は星の数よりも多くの涙を零した。

 そして泣き疲れてふと顔をあげた時、隣に座っていたはずの彼女がいないことに気がついた。

「……」

 ああ、名前を知らないから叫びようがない。せめて彼女に礼を言おうと思ったのに。

 僕はとにかく走った。どの方向に彼女が行ったかわからないけれど、そうせずにはいられなかった。

 どうか、彼女が見つかる前に夢が覚めませんように。

 ひたすら走って、井戸の前を通り越して、彼女は簡単に見つかった。

 彼女は僕に気がついたようで、僕の方を向いた。相変わらず顔はみえない。

「君は、誰なんだ?」

 その時、急に星が光りだした。そうか、今まで砂漠だというのに星すらもなかったからこんなに暗かったのか。

「私だよ」

 彼女の顔が見えるようになると同時に、彼女がそう言った。

 面影が残っていて、すぐにわかった。

「……シオン」

 彼女は、大人になったシオンだった。

「私は大人になった修平を見れてよかったよ」

 涙はまだ枯れていなかった。

「シオン、あの時、想いを伝えてれば……」

 そこまで言って、もう「もし」はやめようと思った。

「シオンのことが好きだ」

 そう言い直すと、彼女は微笑んだ。そして彼女の瞳から雫が零れた。

「ありがとう」

 そう言って、彼女はその場に倒れた。

 彼女の足元には蛇がいた。

 ああ、彼女の姿が星を連想させたのは、そういうことなのか。

「ありがとう!」

 僕も、キラキラと消えてゆく彼女にそう叫んだ。

 僕は星を眺めるのが好きになった。


 目が覚めた僕は泣いた。夢の中であれだけ泣いたのに、現実でも同じくらい泣いた。

 彼女は大人になれなかった。

 僕は大人になった。

 憧れの大人にはなれなかったけれど、大人になってこうして生きてるんだ。

 なら、まだ諦めなくてもいいんだ。

 彼女の分まで生きよう。そして、死ぬまでに、彼女のなりたい大人になろう。



 砂漠で不思議ちゃんな笑いかけてくる女の子を見つけたら、すぐに僕に教えてください。

 そうしたら僕は、彼女のなりたい大人になれるのですから。

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